第24話「猫の余計な恩返し」

「ヘル、黒猫は不幸の象徴とはいうけれど、それこそ差別的だよ」

「大丈夫だったか、ーーーっ!」

「ヘルこそ大丈夫か。ヘルは弱者を虐めるようなヤツなのかい?」

「なに呑気なこと言ってんだよ! 走れ! ウチはもうすぐだ!」


 ヘルが恐がる様に走りだすので僕も少し追いかけようとするが、あの黒猫が可哀想で足を止めて振りかえると、何事も無かったかのように同じ位置に段ボール箱が置かれて居た。その黒猫がヒョイと顔を出して、金色の瞳がゆっくり瞬きをするので、大事には至っていなかった様だった。ヘルの家に着いたらしっかりワケを聴こう。僕の走り方は未だぎこちないが少しずつコツを覚え、小走り程度なら出来るようになったのではあるが当然ながら小走り程度でヘルには追い付けず、行ってしまった。たぶんこのワダチの通りに進めばヘルの家に着くのだろうと、実に安直で甘い考えに誘惑されているという事実……僕らしくない、まだ酔いが醒めていないのか、僕はもっと慎重なはずだ……。


 タバコとは便利なモノだ、急かす思考を文字通り煙に巻いてくれる、有効に使おう。そうやってナアナアにしてふらふらと歩きながらに思う。この世界は、イヤ、この町はなんだか文明がチグハグに思うのだ。妄想代理という眠るだけの斬新な仕事が開発されこの町は壊滅危機に陥っている様だが、形あるもの総て何だか懐かしく感じてしまう。町自体が閉鎖的で他の文明を取り入れていないのか、それとも文明自体が未発達または発展途上なのか……。少なくとも僕は、この町の人間の「常識」に違和を感じている。



「おーいっ! ーーーっ!」

 遠くから野太い叫び声を聴いて、タバコの灰を一回も落としていない事に、長く白い灰がボロリと塊で落ちて気付いた。この叫びは僕を呼んでいる……探しているようだ。


 その叫び声は、そんなに大きな声を出さなくても聴こえているよといいたい位に近く感じる。ヘルは道を戻って僕を心配してくれていたようで、だらだらとタバコを吸って追い掛けもせずに歩いて失礼な事をした。だがヘルは何故そんなに走る必要があった?


「ゴメン、なんだかまだ酔っ払っているみたいだ。考え事をしていたみたい」

「お前は考え過ぎるタイプみたいだな。さっきのバーでもそうだったけどよ……。別に相手の気持ちなんて解るワケでもないんだから肩の力を抜けって」

「いや、僕には解るよ。相手の表情、雰囲気、姿勢、直前の言葉の意味等を察すれば、当然に見えてくるんだ。そりゃあ完全に解る事は不可能だけれどね」


「そんなことして、疲れないか……?」

「いや、疲れているのはヘルじゃ――嗚呼、そっか……またなんだ……」

 さっきの、僕へのうるさい呼びかけは、酔っ払って眠りに入っていた『僕』への呼びかけだった。胸が苦しくなり、辛い……そうだよ、疲れるよ、人間関係……アヌの銃でちゃんと殺されていれば、僕はこんな思いをしなかった……。そうなのだ、ヘルのいう通りソンな事をしなければ、絶対に疲れたりせずにもっと気持ち良く飲めたはず……。

 なのに……僕は無意識に相手の表情、雰囲気、態度等……それだけならまだ良い方で

『こうすれば喜ぶ』『こうすれば怒る』『こうすれば哀しむ』『こうすれば楽になる』など其の人間そのもの、人間性を分類し、パターン化してしまう、そんな事は損な事。


 であるからしてイツからか僕はヒトをロボットとしてしか見られなくなった。自分の都合の良い様に解釈し、そのパターンから外れば冷や汗をかきながら別パターン化するというまるで神様にでも成ったみたいに幸せと不幸を配給していた。逆に僕の人格などそれだけだ。本当に単純で、難しく……僕の感情なんてどこかへ逝ってしまったのだ。


「ヘル、ネコなんて、見てないよね」

「見てないけど……」

「ヘル、まだ僕たち、走ってないよね」

「どうした?」

「ヘル、僕を思い切り殴ってくれ……僕を……ボコボコにして……殺してくれ」


 これもパターンだ。こういえば絶対にソイツは殴らない……それも解り切っている。僕の感情がひとつでも残っているとしたら、寂しさだ。寂しいからそういう卑怯な手を言語化し相手を困らせて遊ぶ女々しさ、それがどんな人であれ今までつちかったパターンを当てはめて困らせる……僕が女だったら、絶対に可愛いらしいだろうな。僕はどうして女じゃないんだろう……女であればこの思考は可愛らしいのに、男がこんな思考をしてただただ気持ちが悪い、気色悪い……という自己嫌悪や自虐をするのも、ズルい……。


 僕は何も解らなくなり顔をぐしゃぐしゃにして友達を困らせていたら、その気味悪い顔をこれで洗い流せと言わんばかりのバケツをひっくり返したような雨が降ってきた。僕は悲しくて堪らなくなって俯くと、アヌから借りた可愛らしい女の服を着ている事を思い出したのだった。僕はまた世界に選択を迫られている気がして、もう自棄やけになる。



「雨、結構つよいなーっ」

 まだヘルの家にゼンゼン着きそうにないので、僕たちは近くに在った大きな木の下で雨宿りをしている。雨で濡れた女物の服を着ている僕は、自分に興奮するのであった。その素直な感情を正直に、ジワリジワリ足音を立て僕の中の女が歩み寄ってくる……。


「ヘル……」

「ん、なんだ?」

「……寂しい」

「……おいっ、俺たちは『友達』なんだろ?」

「じゃあ、キスして」

「いきなりどうしちまった? 俺は、浮気はしたくないんだ」

「……そうだよね……浮気は、ダメだよね……」


 そういうと彼女は成仏するかの如くに立ち去った。そして男の我に帰って考えると、確かに昨日、僕は女だとか、男でもあるだとかゲインと自分の存在を推理していたが、昨日は薬でトリップしているからという結論が出て、寝て起きると二人は安堵の表情をしたから僕はすっかり安心していたが、今日『僕』というものは人格がほぼ全てである脳髄に人格がポッカリ消えたから穴埋め的に『僕』というものが形成されたという結論にも至った。ふたつ確固たる信憑性十分の結論を持ち合わせているというのに僕という存在が『僕』という存在に翻弄されているという事実、僕も『僕』も反発しあう磁石のように乖離していて、未だ自分の存在の証明には至っていない不安……僕は何なのだ?


「あ、俺もまた、良いか?」

 さっきはタバコで狂わされたみたいだけれど吸っていないとやっていけない。ヘルが僕の隣に居て会話を交せたからという事で自分が保てられているという曖昧な存在根拠

……これで気が済むか僕の中の女……と可能性を消すようにシガーキスをしてタバコに火を点けてやる。僕は女の格好をしているが僕は男で在りたいのだ。前向きに考えればさっき僕の中の女が喋った時、ヘルはそういう関係では決して無いと、僕たちは本当に友達以上の関係では無いと明確にしてくれた。僕はそんな事を気にしていたから、その疑問を解消する為にお遊び半分で女のマネをしたという事。只そこに意識は無かった。



 雨が、僕の焦る思考が解決していく内に弱まりつつあるが、まだ許してくれない様で木の葉から水滴が首筋に落ちる度々ネコのようにビクッと、虚ろな自分が垣間見える。


「辛いよな、そういうのって」

「え、え?……なにが……?」

「例えば……というか俺にもそういう時期が有った。これはアヌにはいっていないが、お前になら話せそうだ。なんだか『前世』みたいな記憶が残ってるんだよな」

「へ、ヘルにも……?」

「有るんだ。お前は、俺が人肉を作って売ってる事を『狂ってる』と思わないか?」

「狂っているというか……この世界では常識なのかなって……」


「そういう事なんだよ。俺の残ってる記憶、前世ではちゃんと狂人扱いされてた様だ。そしてカネが無ければ何も出来ないという記憶も在って俺はまずカネを作ろうとした。この世界で人肉を隣町のアンダカントってココより栄えてる町の市場で道行く人たちに勇気を振り絞って試食をして貰ったんだ。そしたら何とビックリ、美味しい美味しいと

皆いってくれて売り切れてさ、その時わかったんだよ。バカと天才は紙一重って言葉は本当なんだって、狂人とは世界を股に掛ければ普通にも、偉人に成れるって」

「それは……」

 そうかもしれないけれど……僕の記憶は『真っ白』と『黒く長い髪をした少女』しか無い……。それに僕が人肉を作れたとしても、それを町中に行って売る度胸どころか、そんな発想までに至らないと思うから……僕はこの世界との相性は余り良くないという結論になり、ヘルはビクビクしている僕を励まそうとしているみたいだけれど、もっと自分とはこの世界に不必要な存在なんじゃないかという惨めな卑屈が出てしまう……。


「ふう……。だから考え込んでるソレを行動に移すのも手だっていいたかったんだけど

……余計に考え込ませちまったみたいだな……ゴメンゴメン、俺、お前みたいに頭良くないからさ……そうだ! その頭脳で何か一筆かいてみれば良いんじゃないか?」

「字が解らない……」

「ああ……。なんか、ゴメンな……」


 ああ、ヘルまで項垂(うなだ)れてしまう、草木も泣いている。自ら湿っぽくしてしまったが、湿っぽい雰囲気というものはとてもキライだ、この場合、ピエロに成り切って何か気の利いたジョークでもいうか、偽善者に成り切って今の湿った雰囲気を尊重して眼を擦り泣き事でもいって明暗ハッキリせねばという思考に陥る……弱った僕はもうどん底まで暗くしたくなった……。この世界は元から暗い上に丁度良く月が雲掛かっているんだ。


「ふう……。はああ……」

「まあ……なっ! 人生ってのは行き当たりばったりだと思うぞ俺は! 難しく考えるよりかは簡単に考えた方が……お前は迷路の中で更に迷路を作ってる感じだろ?」


「そう……そうなんだ。それも三次元的なんだ。迷路のゴールを目的とせず、僕の居る迷路の中を彷徨(さまよ)う敵に、罠のように迷路を張り巡らせて、自分を守っている……」

「その敵は……敵じゃないと思うぞ。現にさ……見てみろよ! こんな俺とお前が隣り合って木の下で雨宿りを会話で暇潰ししてるんだ、これは……敵か?」


 ヘルは本当に、顔に似合わず優しい……僕より精神的にも肉体的にも目に見えて強い人間であるはずなのに、曇り無き少年のような眼差しでそんなことをいわれると……。ヘルは、馬鹿だよ脳筋だよ。人間には表も裏もあるのは絶対で、友情なんて……愛情ですら平気で裏切る人が居るのに、それをまだ知らないヘルは矢張り年下であるためか。


「僕たちは友達だよ。でもねヘル、そんなにヒトを信じていては危ない、幸せになれば幸せになるほど、不幸に落ちた時は痛いだろう?……信頼は裏切りの素なんだ……」

「そんなこと考えてたら何も出来ないだろ。大丈夫、お前が不幸に落ちそうになる時、俺はお前の手を引っ張って岸へと戻してやるよ。その逆も然りだ!」


「ああ、それなら僕も強くならないとね……」

 なんて互いにクサい机上の空論をいい合える人が友達なんだと僕は思う。互いに強くなった気になって、たまにじゃれ、慰め合い、褒め合い……等という事が継続できるのならそれ以上に、優しさに満ちた世界は無い。ヘルは本当に友達が欲しかったんだな。



 すると自分に余裕が生まれた様で、空の哀しみも同調するように、きりさめ程度だが晴れてきた。僕が優位に立てる世界かもと誤解した瞬間に、ネコの悲鳴が聴こえ、僕は息を荒げていたことに気付いた。大きな木など無く服も濡れていない事に、雨も降っていない事にも気付き視野が一気に広まってまた火の点いたタバコを持ちながら、幻を、優位に立てる世界の幻を……見ていた……足にはザラザラしたネコの舌の感触がある。


 タバコの灰の塊を落としながら下を見ると、先刻の黒猫の美人さんが段ボール箱から出て、僕の右足に顔をスリスリと擦り付けていた。僕は状況を理解できずに、優越感も吹っ飛び腰が抜けた。嗚呼この黒猫さんは拾ってやれないのに僕に懐いてしまったか。

 ……違う、僕は幻を見ている間、夢中遊行の如くネコを愛でていたらしくその所為で僕に懐いていたようだ……だが、ヘルは嫉妬しているみたいに、気が狂ったように……

その美人さん黒猫を片手で乱雑に掴み草原の上に出来るだけ遠くに投げ飛ばしている。



 何回も投げ飛ばしてヘルは其の魅了されるほど美しい金色の眼が、僕に近づいてくる前に住処であろう段ボール箱をメチャクチャに踏みつぶすと、ネコは素早い足を止めて僕に向かってお辞儀をする様にまたゆっくりと瞬きをしてアシンメイクの方へと、もうここに用は無いと、新しい住処を探しに行くと共にヘルは、ハアッ……と息を吐いた。


「どうしてあんなことしたの?」

 僕は不思議でたまらない、さっきの黒猫への行為は正気の沙汰では無かっただろう。これがヘルの本性なのか、極度の猫嫌い若しくは美味しくないからという考えからか。



「今日は最高の酒だったのに……クソッ……!」

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