第19話「夢だった夢は悪夢となりて」

 俺は茜さす日を見送りながらジッと階段に座って、彼女の部活が終わるのを待ち続け思い焦がれている。体育館に響くダムダムとボールの音が消えてゆくのを心待ちにして手紙に手汗が付かない様、誤字脱字や訂正する箇所は無いか文章を何度も確認しながら運動部が居なくなった階段に座り彼女以外の人が来ない事を祈りながら放課後を過ごすという日課が、この古びたクソみたいな学校の唯一の救い。それは彼女が、この階段に座って窓越しから見る茜染まった木々が好きらしいという噂を聞いてからの事だった。


 初めは彼女と同じものを見たかったほんのソレだけだったが繰り返している内に俺はこの寂しそうな木々が時たま風に少し揺れ動く様を母性と感じるようになって、彼女は何を見て何を感じているのか一寸だけ解った気がしたのだ。運動部の階段練習が終ると体育館以外は大きな要塞みたく守られて、動くものは窓越しに見えるもの以外、総てが止まっているように時間がゆっくり流れ、下校を促すトロイメライの調べが流れると皆一斉に現実を伝える其の瞬間、夢と現、静と動、緊張と解放によって轟かす自分という生命の意外性を感じる時……俺はまだまだ生きてゆける……と快く帰路に着けるのだ。


 彼女は俺と真逆の位置に居る存在だ。小さい身体をハンデにさせずに使いこなして、成績も総合的に優秀で、クラスの皆から信用を寄せている完璧さが故に疲れてしまい、独りになりたい時だってあるだろう。スポーツ推薦で笑顔で高校に通える彼女は、敢て内地の平凡高校に通おうとしている俺と同じこの景色を見て、そう同じ考えをしているワケは無いが……そんな高嶺の花に近付けている様な気持ちになって、これで満足していれば良いものを、手紙に書き連ねた思いを伝える諸行無常。俺だって人間、片思いのままずっと悶々としては男で居られない、そういった古い教育の基に育ってきたのだ。


 そして彼女も、幾ら完璧でも等しく人間であり、最後の大会に向けて後悔せぬように練習を怠らずに努力の日々が続いてか、噂は本当に噂でしかなかったのか、もう四日が経っても俺はずっと独りで、日課がもはや習慣になり、少し前まではこんな猿みたいに群れてライトライトと騒ぐしか能のない男子と、テレビの話しか出来ない頭の足らない女子ばかりのこんなボロ学校が廃校になるのは当然だと思っていたのに、この風景が、もう二度と誰の眼にも映らなくなると思うと寂しく、すっかり虜になってしまっている自分が一番バカだったんだなと溜め息を吐くと、木で出来た要塞の階段が、ミシミシと上から警告音を鳴らして侵入者を許している事に気付き、いつものようにトイレに身を隠そうとすると、足を踏み外して転んでしまった。それは為るべくして為ったのだと、心配を帯びた透き通る声色が聴こえた時に、果報は寝て待てという言葉と共に感じた。

「大丈夫?……じゃないね、口が切れてるよ」


「えっ、ええっと……これは乾燥しているからであって元からであって……」

 俺は緊張のあまり唇の傷の痛みなど微塵も感じなかった。奇跡を信用していなかった俺はただ彼女に手紙を渡せられたらそれで良かったのに、話し掛けられる事を想定していなく、不格好な所を見せてしまって頭が回らずどもってしまい、状況を悪化させる。


「まあそれ位なら舐めてれば治るよ。じゃあね」

 彼女はハアっと疲れの溜め息を吐きながら俺が座っていた階段に座る。俺は深呼吸を何度もして冷静さを取り戻そうとするが、すればするほど呼吸が荒くなってゆく……。



「あれ? ここは君の場所だった?」

「い、いえ、そんな……ここはライトさんの場所です……」

「ここは私だけの場所じゃないよ、みんなの場所。だから君の場所でもあるんだよ」


 彼女はずるく端に詰める仕草をしながらそういうのだ、俺は隣に座らざるを得ない。彼女の眼はどこか遠く、夕陽がその眼の悲しみをハッキリさせる。何か悩みを聞けるのなら本望だが、ポケットの中のどこを探っても本来の目的であった大事な手紙が無い。

「もうすぐ私たちも高校生になるんだよね……君は推薦?」


「受験で……す……」

 静かだからか俺の小さな声を彼女は訊き返さずに頷いてくれる。味方だった静けさの復讐だ、息をのむ音さえ響かせる。完璧にした手紙を失くし、すぐ隣に彼女が居るこの状況で落ち着いてお喋りが出来るワケ無いのだ。だが彼女は何も気にせず話を続ける。


「私もう受かっちゃったんだ、内地に。偉ぶった高校さんが選んでくれたみたいでね、親も先生も『新しい友達を作りなさい』だってさ。ヤになるよ、幼馴染だっているのに今まで作ってきた全部を捨てるのが不安で仕方なくてさ。正直、恐いんだ……」

 彼女は友達にいうかのように不安を打ち明ける、俺は何か気の利いた事をいわないと後は無いのだ……どうしよう、どうしよう……。彼女の本音に嫌な含みは感じなくて、それも悩ましくゆっくりというので……俺を冷静にさせてくれる時間を与えてくれた。



「俺も、内地に受験しています……都市です……でも俺は友達なんて元から居なくて、捨てるものも得るものもココには無くて……羨ましいんです……!」

「ハハ、じゃあ友達になろうよ、私も都市なんだ。嬉しいな、名前はなんていうの?」

「ーーー」

「え?」

「ーーーです」

「珍しい名前だね。私は、ライトさん」


 彼女は笑いながらそういうとトロイメライが流れると共に、夕陽が落ちて月が昇り、背後から男の両手が彼女の小さな身体を包み、笑顔が闇の中に引きずり込まれてゆく。俺は唖然としながら闇の中を覗くと、やっぱり暗くて何も見えないが、何か聴こえる。




「ダメだよこんな事、ダメだってば! んっ……ダメ、イヤ、助けて! 誰か!」

「抵抗しても無駄だよ、ここには誰一人として居ない。お前が僕を裏切ったんだ……。お前さえ居なければ僕はずっと独りで、自由の身だったのに、お前は僕の心のトゲだ。お前の所為で僕は……お前の所為で僕は……!」


 暗闇の中が段々と見えてくると、彼女に暴力を振るっている青白い顔した男がハッと気色悪い眼が合って、逸らそうとしても頭が穴にはまったみたいに動かなく逃げようと頭を引っ張ると首から引っこ抜けて転がる。それでもずっと気色悪い男が眼を合わす。


「お前は良く頑張ったよ、ついに、僕の積年の恨みを晴らせる……!」


 男の首がボトッと落ちて、自ら俺の頭と交換する。俺は彼女の安否を確認すると……

「ええっと、どちら様でしたか……?」……彼女はなんで、俺の事を憶えていないの?



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「……ぐすっ……ぐすっ……。この世に愛情や友情などの人情は、もう消えて無くなったのか……? ぐすっ……人間の存在理由なんて、本当にちっぽけだ……」

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