第18話「ふんわりチキ」
チキは今なんといった?……とぼけるつもりは無いが、ゲインの誤解を解くと?……
薬を知らないと僕がいった時に確信を得た様だったが、ということは……今までチキは僕を試していた?……そんなことを僕は知る由もなくチキはただ僕の記憶を蘇らせようと思案しているなと感じながら呑気にクイズめいたお喋りをしていたが、今までずっとゲインの名推理に異議を唱えるべく『僕』のアリバイを探していたとでもいうかの如くきりっとした顔つきで僕と手を繋いで歩き出そうとする様は、まるで僕を救ってくれる小さな弁護士。ついさっきと雰囲気がまるで違う華奢な背中を見て少し寂しくなった。
僕は何もしてやれない……逆に迷惑を掛けている……記憶を失くすという事は一からやり直すワケだから育児と同じくらい迷惑を掛けているだろう僕は記憶も何かの拍子で復活する見込みの気配すら微塵も感じず……なにか……この少女たちにしてやれる事はないか、何かしてやりたいと歩きながら入念に考えを巡らしても、どうも邪魔な性欲がチラつく。料理は……作れない。使いには……道が判らない。留守番くらいにしか役に立てる事が思い浮べられない、畜生よりも使えない『僕』……という存在を呪いながらただただチキの手をぎゅっと両手で握り返して冷えた手を温め合いながら帰宅するのであった。チキはドアを開けると共に、通る声を更に大きくしてゲインの名を呼ぶ……。
「ーーー、チキ……良かった! ごめんなさいーーー、あれから色々かんがえて……」
「ちょーっと待って! それをいう前に私の考えも聴いてよ!」
チキはゲインを牽制するとゲインの顔が少し強張る。ケンカになるかと僕は反射的に怯えてしまうが、そうだ、もしケンカになったら男である僕が止める事は有益だろうと震えていた脚を肩幅に開いてしっかりと立ち直す。小さな弁護士チキの考えや如何に?
「やっぱりゲインの頭は固いと思うよ、やっぱり簡単に考えれば良い事だったんだよ。
ーーーの記憶は確かに失ったみたいだね、その理由はゲインとーーーが答えを出した。でもね、問題はソコじゃない。だって自分のこと『僕』って呼んでるし、何だか口調も変だったし、決定的なのは瞳孔がカッ開いて揺れてた! だからーーーは私のお薬を、魔が差したか何かで飲んでしまって、興奮して錯乱して記憶も飛んじゃってるんだと、私は思う! どう? 私だって本気で考えればこれくらい――」
……これは笑う所なのだろうか良く解らない……ただチキの考えはフワついていて、ゲインと僕の間に走っていた緊張を緩和してくれて、ゲインの疑っていた事の極一部を明確にしてくれたことは確かだった。そういえば、チキはゲインと僕との推理の核心に驚いて、経緯は知らない状態で考えていたのだ。それも酔っ払った後の寝起きの頭で。その衝撃的核心を何の根拠も無く否定して家を出て、身体が冷えたお陰で酔いが醒め、ふと一部分を、それも自分の薬が盗まれた事を思い出し、その犯人をちゃんと暴けた。
「チキ……ありがとうね」
「えっ!? なんで二人とも、そんな眼で私を見るの!?」
「いや、チキは本当に可愛い。そのお薬の効果が吹っ飛ぶくらい」
「そうね……そうよね。簡単に考えた方が良い場合もある……それは大事よ」
チキのえっえっという不安な表情が小動物的で、髪の毛もフワフワしている所為か、ペットを撫でたくなる気持ちを理解し、僕を含めた三人はこうやって二百年を過ごしてきたんだと納得がいき、僕はかなりセッカチに成っていたのかもしれないと反省する。
チキはふんわり、ゲインはしっかり。二人は均衡がとれているけれど、チキの考えを聴くと更に僕の立場や身の置き所が解らなくなった。お陰で、その間延びした喋り方も相まってか少しは気分が安定したようだが……マイナスからゼロになったともいえる。
「いや、そうよ。私もそう考えていた所だったの、簡単に考えれば良いって。アナタ、昨日はチキの強いお薬にヤられながら知らずに眠ったんだから、まず『いつも通り』に生活してゆけば自ずとアナタも『いつも通り』になるはずじゃない?」
「……僕はその『いつも通り』を知らない……」
「アナタも簡単に考えて、ただ可能性を虱潰しにやっていけば良いと」
「……うーん……うーん……。そのリンゴ、食べて良いかい?」
考えながら歩き回り眼が泳いでいると、余り注目していなかった筈のテーブルの上に在るリンゴが不気味に暖炉の火の灯りも相まってその赤々しさに目線がいってしまう。
「……そのリンゴはアナタが、ーーーが仕事で貰った報酬よ。食べると頭が良くなると胡散臭い説明書きと共に送られてきて私たちも謎のままだから、ダメ」
不気味と感じながらも見蕩れてしまう、毒々しい赤色……。恐らく赤色じゃなくてもこのモノトーンの世界だ、白黒以外の色を見ても注目してしまうだろうが意味あり気に立ち尽くしている様なこのリンゴは黙して語らないが何かを僕の心に強く、訴えかける抽象画を見て吸い込まれるみたいな気分になり、ドクンドクンと心臓が高鳴る音が耳を通して聴こえるくらい呼吸を荒げて見入っていた僕は、チキとゲインそしてこの世界に僕がここに居る意味の何と無さを理解すると視野が一気に拡がって二人の少女、チキとゲインが疑問符そのままの視線にやっとの事で気付いて驚きソックリそのまま返した。
「……なんだったんだろう、今のは」
「こっちが訊きたいわよ。まあ良いわ、寝ましょう!」
「うん、寝よう!」
「チキはさっき起きたばかりじゃないか」
「そうだけど、ーーーは私たちが居ないと眠れないでしょ」
「いや、良いんだよ、無理しなくても……」
「眠れないのは誰だって辛いよ。さっきヤな夢で起きちゃったから、寝直すって事で」
「うん、完全に『いつも通り』にして寝ましょ」
ベッドや枕が妙に大きいと感じたのは、ひとつのベッドで三人一緒に眠る為なのか。まるで両手に花を体現するようだが本当に二人は半ば強制的に僕を真中に床に就かす。
深呼吸をすると……僕の立場がようやく理解できた。僕はゲインの言う通り、二人においてプラスアルファなのだ。中身も外見も考え方も、何もかも彼女らとは逆であり、そこにブレが生ずると一気に崩れてしまう、いわゆる大黒柱であると。少女はか弱いのだから男が存在するのであって、僕が弱れば二人も弱る、逆もまた然り……。そんな、極自然な関係の中で、僕は赤子みたいに身体を揺すられて泣きわめいていたのだった。
……という事を、このベッドと少女らの匂いを鼻腔で感じていた。本能は日常の中で活きるものだという事を……。僕はずうっといつも通りじゃない非日常の中に閉じ込められていたから気付けなかったのだろう……。両耳で二人の寝息を聴いていると……。
二人から三人になり、『僕』という違和感が目玉が沈むと共に溶けて混ざって行った。
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そして夢の世界へ……。
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