第15話「名探偵ゲイン」

 ゲインの口角は下がったまま、背中に丸みを帯び立たせどっかりと椅子に座る……。こういう切羽詰まった時に便利いいのは対話方式だろう。ヘタに考えず相手の向くまま返答する。ゲインは僕をこの世界のプラスアルファにしようとしている、という疑いを念頭に置いて返答すれば、ゲインが罐を掛けたとしても僕にも答えが返ってくるのだ。


「まず聞くわ、アナタは純粋?」

「純粋すぎる程にまで純粋だよ」

「いや……。そうね、じゃあ……昨日はどうして、私たちに口を開かずに考え事をして居た様だけれど、私たちに何もいわず仕事を再開しようという答えに行き着いたの?」

「仕事の再開とは……?」

「もっと深く聞くわ……アナタはどうして私たちに何もいわずにラジヲを点けたの?」

「ラジオ……どうしてソコでラジオが出てくるか解らないけれど、好きだから点けた」

「好きだから?」

「うん、ラジオは好きだよ、娯楽として一番のものだ」


「……謎が謎を呼ぶわね……」

「謎が謎を呼ぶのはゲインの方だよ、どういう仕組みでラジオが僕と繋がるんだ」

「私に聞かれても、仕組みは解らないけれど成功したし……というか、実験が成功して安全が確立されてこの仕事に就いたんだし……そもそも説明書に書いてあるのよ」


 紙ペラ一枚の説明書を見せられるが、文字が全く解らない。それは世界の違いだから仕方ないとして、この世界で意識的に『僕』を連れてくる事が実験で成功そしてそれが仕事という意味に恐怖を感じる。だが少女たちに殺意は感じられない。ラジオを点けるという行為は僕を捕獲する事だとは解った、だが、どうしてこんな立派な身体が……?



「……これから僕を、どうするつもりだ……?」

「何もしないわ。ただ電波を通してアナタは娯楽として浮気をしたのは事実」

「僕は浮気なんて出来る能は無い筈なんだけれどねえ……」

「じゃあどうして何もいわず出て行く様なマネをしたのよ」

「逆に聞きたい、どうやってラジオなんかで僕をこの世界に留められたのか」

「私が聞きたいわよ。ラジヲは世界移動する為のものなのに、仕事に行ったんだと私はアナタは純粋だと思って身体を重ねようとした時、アナタは直ぐに起きた。それは私と例の『あの娘』が重なり合うように……実際アナタはあの娘が――」



 僕は狐につままれてチキを負う肩に入っていた力がストンと落ち、二人の存在を思い出して合点がいった。ゲインとは肉体関係があって、チキは先にした事を咎めていた。ゲインはただ自分の体裁がどうこう……という話で、僕の存在等どうでも良く、愛だの恋だの……それほど平和な世界だと判ったのでチキをソファに寝かせてタバコを胸一杯吸い、緊迫していた自分を恥じながら聞いていると話の終いに妙な疑問を投げかける。


「ねえ……アナタは二百年と一日、どっちが大事なのよ?」

 ……どういう意味だ? あの娘と浮気したとか私はどうかという話だったのに……。


「さっきからいっている「あの娘」……ってどこに居るの?」

「アナタをこんなにまで狂わせた、二人ぼっち世界に居るわ」

「僕を狂わせているのは今の所、ゲインなんだけれど……」

「それほど私たちに似ているのね……区別がつかない程に」



 ゲインはチキに温かそうな毛布を掛け、僕の手を寝室まで引っ張り込む。起きた時にアンティークだと、特に気にしていなかったベッド脇に有る何気ない手作り感あふれる単球のスーパーラジオを指差す。知識の無い僕にでさえ作れそうなラジオは物音ひとつせずに緑色のランプがぽつりと点いている……ただそれだけのものを見せてゲインは、

「なんで、スイッチが点きっ放しなのかしらね?」

と意味あり気に耳元で囁く。さっきラジオは世界移動の為に使うといっていたが……。


「このスイッチ、切ったらどうなるかしら?」

 ゲインの発するその言葉に背筋が凍った。このラジオのスイッチを切る、という事はこの世界から解放されるという事であるが……僕はどこへ行くというのだ?……そして僕はやっと気付くのだった。今までどこで何をやって来たか、記憶を失っている事に。



 芋洗い迷路みたいな記憶を辿れば……どうやら僕はゲインと行為中にふと目が覚めた時が始まりだった。とても気持ち良くて、嬉しくて、悲しくて、虚しくて、侘しくて、瞼を開いたのであった。逆に、僕の脳髄はそれ以前の事がぼやけて記録できていない。現世界の言葉を喋る事が出来ても文字は読めない、タバコとお酒の事を知らずうきうきのんでいたがソレを少女たちが嗜んではいけないという常識等は僕はドコで教わって、ドコからやってきたか、何らかの仕事をしていてチキに「仕事は終わった」といわれ、安堵したのは何故か? そういった疑問が怒濤の如く押し寄せて来て、僕は混濁する。



「どうして、呼吸を荒げているのかしら」

 どうして、呼吸を荒げているのだろう。まるで幼子が真実を理解しようとしても知識不足で理解できぬ苦しみ、触れてはいけないものを触れようとする緊張感。喉元通らず引っ掛かる事は危ないから止めなさいという信号であるからして、深呼吸をする……。一回……二回……僕の最古の記憶は『真っ白』だった。それはこの家どころか世界には火の灯り以外の光は無い、どう夜目が利いていても『真っ白』なんて理解できない筈。


「僕は……記憶を失ったらしい」

「じゃあ、このスイッチを切っても良いわね?」

「えっ!?」

 素っ頓狂な声を出してしまう。このラジオのスイッチは切っちゃいけない理由は無いが、切らなければいけない理由も無い……解らない、解らない事だらけであるが、切る必要性は電気代節約くらいしか無く、そもそもこのラジオは銀色の乾電池が半裸でありコンセント式ではない。詰まりはわざわざ切る必要性は皆無というワケだが、切らない必要性も無く、そのままの状態を維持しなければいけない必要性は……有る。少し気が動転してしまって……タバコが燃え尽きて指に火傷を負い床は灰だらけになっていた。


「アナタが記憶喪失であるのと、ラジヲのスイッチを切るのとは関係無いじゃない」


「お前は何がいいたい、切らなくともこの電池が切れたら電源も切れる。このラジオは見てくれだけで電池の中に僕が居る……そこから出る起電力が真空管を伝って制御され発振しているとでもいいたいのか。記憶喪失でも無理な話だと判るぞ。僕の何かを確信して脅迫し、何かを試している。そして僕も本能的に何か憶えているから怯えていて、ソレを見ている僕が居る……。ゲイン、もう総てを暴いてくれ!」

 自殺行為だと判っていても自分の不確かさが不安の根源なのでゲインに託した……。その心中を汲んでくれたのかゲインはスイッチから指を離し、ふうっと息をつく……。


「私は、アナタはもうーーーじゃないといったわよね。本当にその通りだった様で……アナタは件の『あの娘』なのよ。このラジヲの中に居た、正確には、このラジヲの中に居るーーーが惚れた憎き狂人娘よ。世界が違うからか電波にヤられてか記憶が巧く移動出来ていない脳髄に齟齬が有る不完全な状態でーーーの魂とアナタの魂を入れ替えた。だから脅す様なマネをしたんだけれど、まだ私の推理の域を出ないわ、アナタの記憶が蘇らない限り……その本能的な記憶がハッキリするまで……」



 僕は初歩的な事を考慮に入れていなかった、ゲインの推理には十分な合点がいった。『僕』が性行為で巧く出来なったのは女であるから、言動行動思考が不安定なのは狂人であるから、記憶に齟齬が有るのは世界移動したから、そしてラジオの中に居たから、一人称が『僕』という女だって少なからず居るというのも、胸を張って首を縦に振れる満場一致でスタンディングオベーションものの推理に感服し、僕は胸を撫でおろした。


「じゃあ僕はヒトかな? 女だって色々あるよ、メスと称されるものだったり」

「ーーーがヒト以外に恋をするとは思えないわ」

「そうか。良かった、ヒトで……じゃあ――」

「じゃあ、さようなら」

「えっ! なんで!?」

「そりゃそうでしょ、このラジヲのスイッチを切ればアナタは元に戻るんだから」

「そこはまだ推理できていないよ。このラジオのスイッチを切ったら僕ことーーーは、ラジオの中から出られず、僕ことゲインたちに似た娘も世界移動をしなかったらずっとこの状態であるかもしれない。だから、このラジオのスイッチは密室のドアノブだよ」


「……どういうこと?」

「最強の盾と最強の矛がぶつかる時の間に在るものと同義、信憑性が足りないと――」

「ふあーっ! 良く寝たーっ!……ゲイン、なにゴニョゴニョしてんのーっ?」

「「チキ!」」

 推理バトルが平行線を辿る中、最強かつ打開策かつ馬鹿かつ癒しであるチキの存在を二人で呼び合うことで僕たちの今までの緊張が一気に霧が晴れるが如く明るく渡った。


 チキが半開きだったこの寝室のドアをゆっくりと完全に開け切る直前にゲインは僕の耳元で小さく「誤解を招くと面倒だから記憶喪失者って事で通して」と、早口で囁く。


「あー良かったーっ、まーたゲインがーーーと遊んでるのかと思ったよー」

「そんな事より重大な事実が発覚したのよ。ホラ、昨日のーーーは様子がおかしかったじゃない、それは――」

 ゲインは僕の顔を窺い、僕は記憶を失ってしまったんだというセリフを促す……が、チキの高い声は良く通り、僕よりゲインの方に集中しているみたいなので声を呑んだ。


「そんな事よりじゃないよ大事なことーっ! ゲイン、私のお薬のんだでしょーっ」

「へっ!? 私は飲んでないわよ、私の分はまだ有るし……」

「じゃあ誰が飲んだってのさーっ! ーーーはアアいうの飲まないしーっ!」


 あっ……と、また疑惑が浮上して、またゲインは僕の顔に睨みを利かせて窺う。僕の立ち位置はコンニャクで出来ているのか、しっかり記憶喪失者として立てるかと思えばチキの一息で揺れて転びそうになる。なんの薬か解らないものは飲んでいない筈だが、さっきの推理バトルの所為か……かもしれない運転がなかなか止まないのでいるのだ。


「いや、チキ……まずはだね、僕はその『おくすり』なんてものは知らないんだ」

「じゃあやっぱゲインが飲んだんだなーっ! これから遊ぶつもりだったん――」

「チキ、察して。僕は『知らない』といった、僕ことーーーであるなら知っている事を

『知らない』といったんだ。であるからして、僕ことーーーは、ーーーで無いワケで」

「ーーーはーーーだよ、そんなの誰が見たって解るって。だってーーーはーーーだし」


 ビーっビーっビーっという長音正弦波の連発で脳髄が侵食されてゆくみたいだ。僕は先刻の推理バトルで脳髄を働かせたのもあり、脳髄を休ませる為にベッドに横に成って頭を保護する。……チキの言い分は今の僕の思想や行動はそのーーーの見た目に反していないから『僕』はーーーであると解釈できるが、記憶が無いという事実が有るので、この解釈は不必要である。あながち無意味でもないが、言い換えれば僕の器であるこの身体は絶対的で揺るぎ無いからして『僕』自身を彼に似せられれば僕はーーーなのだ。


「チキ……じゃあ……せ……セックスでも……。で、出来る……?」

「そりゃあ出来るよ! たっぷり寝たし、私はお姉さんなんだからーっ!」

「えっ……」


 今思い返すと、ーーーという人間は性に関して貪欲だ。夜這いされるのが普通の様で僕の不安定な思考で動いても許され、今こうして可愛い少女にセックスの要求をしても嬉々として承諾される立場に居た……変態……であったという事が解る。逆に考えれば僕が変態に成り切れば、僕はーーーだということ。だが成り切るとは演じるという事でしかも、ここには僕と相容れない関係だった二人が居るワケでどちらかが妥協せざるを得ないのである。僕はそんな羨ましい存在のーーーを尊重し変態を貫くしかないのだ。


「チキは、処女なの? ゲインとはもうシたからゲインは非処女で、僕も非童貞だね」

「えっ……?」

 僕とのセックスを受け入れたチキは何故か身を引いて怖がる。いき過ぎてしまった?


「アナタ今、決定的な発言をしたわね……。これで総てが解決したわ!」

 名探偵ゲインが僕を推理してくれるみたいだ、これで僕がーーーだと証明されるやもしれぬ。早い所、このコンニャク立場の基礎を固めたいのだ、このままでは埒も無い。


「アナタは今、大いに矛盾する発言をしたわ……『チキは処女ゲインは非処女ーーーは非童貞』と確かにいった。まずアナタは百歳の契りを交わした事を……教会で私たちの処女膜を両人差し指で同時に突き破った事実を憶えていないと……そして私たちとしたセックスの回数が今日を入れて三六五〇一回だという事を憶えていない。更にはそんな当たり前の事を質問し、確認しようとした。……これはもう……アナタはいつも通りのアナタであるとは、どう考えても弁護できないわ。アナタは記憶を失くしたーーーではない別の誰かであるのは絶対。別の誰かというのはこのラジヲの電波で交信した狂人娘である線が濃厚。昨日おかしかったのはアナタがーーーを侵略して征服し交換したからでしょう? ーーーはその手助けの為にチキの強いお薬を飲んだのかもしれないわね」

「えっ、えーっ!」

 今までの経緯を知らないチキは驚きのあまり甲高い声で鳴くが、僕としては、またも名探偵ゲインはスタンディングオベーション級の推理をされたと懸念する。僕の存在が軽い気持ちで放ったタッタ一言がきっかけに連鎖反応みたいに次々と明らかになった。



「待ってよゲイン、ーーーが昨日おかしかったからってこじ付けしないでよ! もっと簡単に考えようよ。ーーーは何かの間違いで、酔っ払ったか何かで昨日、お薬を飲んでしまって、耐性の無いーーーは……私のは強いから今日も未だ残ってる位にさ!」


 チキの考えにも信憑性が有る、そうだ『僕』は昨日のことを全く憶えていないのだ。



「……チキ、それだけなら良いんだけれどね……」

「もうっ! ゲインの石頭! ーーー、ちょっと外の空気すって来よう?」

「良いけど……でも、ゲインは……」

「ゲインなんてドウでも良いよ! だってーーーを狂人扱いする女だよ?」


「まあ……じゃあ……ゲイン、少しおいとまするよ」

「ええ……お互い、落ち着いたほうが良いわね……」

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