俺 / Β

第11話「天使の分け前」

「……起きたわね、お疲れ様! 初めての妄想代理は、どうだったかしら」

「お疲れ。最初は戸惑ったけれど、相手が楽しいヤツでさ。面白かったよ」

「それは思い上がりだよー、初仕事だし。これからワケわかんないヤツ来るかもよ?」

「まあそうだが……そうだよな。最初は本当に戸惑ったよ、恐ろしい世界だった……。『世界』というものを、何となくだが理解できた……」

「まあ、若いから出来る仕事だからね。これからも続けられそうかしら?」


「……ウウン……。まあ、報酬次第だな……」

 重たい身体をベッドから起こし、ラジヲの電源を切る。この仕事を怖がるほど毛嫌いしていたのは俺の理性が働いていたのかもしれない、この機械は恐ろしい。ハイリスクハイリターンというヤツだろう、狂人学は確かに勉強になった。恐怖から興奮して眠れなかった為の荒療治が効いて眠ったのにも関わらず、起きたとき目覚めが良くて気味が悪過ぎる。妄想代理を始めて別世界に行った瞬間、身体が熱くなり溶け染み込む様に、世界に順応していった。からだ……とは本当に魂が入る器なのだと、こころ……はその器を動かす力なのだと、ひと……はカンタンな構造なのだと実感した。だが失敗した。

 初体験だからか世界移動をする際にブレたのか、記憶を失くしてしまい、皆の名だけ憶えていたのが不幸中の不幸で、相手に情報を漏らしてしまったのだ。あの娘のお陰で途中、ヤな記憶の蘇り方をしたが……それまで目的を忘れて錯乱していた。その所為であの世界の無駄な知識を知り過ぎるほど教わった。まあ、あそこに行く用はもう無い。



「奇妙奇天烈摩訶不思議な世界だった。なぜか相手はゲインとチキに似ていたんだが、世界に俺とソイツの二人しか居くてさ、人が居ないという恐ろしさの中で……どれだけ走ってもソイツは幽霊の如くツいて来て、凄く大きな灰色の建物の中や砂漠の中をただソイツと強制的な会話しながら練り歩いていたんだ……本当に恐ろしいだろう……?」

「聞く限りだと、ただ悪夢を見ていたみたいね。本当に妄想代理していたのかしら?」

「俺が嘘を吐くと思うか」

「いいえ」ゲインはキッチンでそう応え、お気に入りのコーヒーを持ってきてくれる。


 コーヒーの香りを嗅ぐと、元の世界に帰る事が出来たんだなとホッとした。成功したとはいえない、夢にしては妄想世界に居た時の記憶が溶けていかないが……何というか

……思い出……の様な強い懐かしさがある。レム睡眠をしている時に夢を見るというがまるで一瞬の出来事みたいにちゃんとスッキリしているから妄想代理自体は俺の脳髄で成功したのだろう……確証はそのノンレム睡眠から快い目覚めという感覚しかないが。



「コーヒー飲んで醒めたかな? ずーっと一点を見つめて何か考えているみたいだけどまさか相手が女で、私たちに似ていたその娘に恋しちゃった……とかじゃないよね?」

「まさか……俺が毛もまだ生え揃っていないような、ガキに恋をするとでも思うか?」

「……何歳くらいさ」

「五十歳くらいだな」

「そっか、それなら一安心。五十歳でも妄想できるんだね、マせた娘だーっ」


 チキの恋愛欲求はゲインよりも高い。ゲインは割と「この関係が当たり前」と思っているようだが、チキは自分の胸の大きさ等に自信が無い様でゲインを恋敵にしている。恋敵といっても日常のスパイスの様な些細なものでチキはいつの間にエンターテイナーみたいになった。ゲインはそんなこと我知らずに、鼻歌を歌いながらパンを焼く……。

 食欲は無いな……。疲れるとイツも腹が減るのに、コーヒーだけで腹一杯だ。栄養が足りてないのだろうか。アタマをフル活用していたみたいだから……。せっかく故郷に帰って来られたんだ、次はイツになるか判らない、この世界ならではのパンを食べようじゃないか。二人も俺の事を想ってか食べてなかった様だ、がっつく顔が微笑ましい。


「……ウーン……。俺はどのくらい眠っていた?」

「説明書通り、ちゃんといつも通りの一日だったわよ。ああそうそう、ヘルがカニ缶を持ってきてくれのよ! アヌさんからは年代物のワイン、これで祝杯しましょうよ!」

「カニ缶! やっぱり友人が肉屋だと便利だねーっ。ワインは……高そうだよコレ!」


 俺を元気付けてくれているのか俺が寝ていたから二人が元気になったのかソンな事を解ろうとはしない、もう日常に戻ったのだから弁別しよう……深く考える必要は無い。 アヌさんは相変わらずで、記念すべき初仕事をこの高そうなワインで祝せという事だ。ラベルの絵や文字が殆ど傷で判らなくなっている、この時の為に隠していたのだろう。


「みてみてコレ! ボトルの中にあるんだから天使さん持ってかないでーってね!」

「ふふっ。でもそれってワインで起こる事じゃ……これは……香りがすごいわ……」

「これってブランデーじゃないのか。ワインが蒸発するったら相当だぞ」

「まあまあ、嗅覚は味覚に如かず! テンション上がっちゃうよーっ!」



 件のワインをグラスに注ぐと、まだ蒸留しきれてないのか琥珀色に生り切れていない色を見て何故かあの娘を思い出し、胸がジーンと熱くなる。アイツは無事に元の世界へ帰れただろうか、元の世界へ戻る扉を作ってくれたのはあの娘だ。二人ぼっち世界とは恐ろしい、相手しか扉を作る事は出来ないのに……あの娘は聡明で俺が元の世界へ帰る術を忘れてしまったのを汲み取ってくれた様に窮地を救ってくれたどころか、解決への手立てを色々と模索してくれて……あの娘だったからこんなに早く帰られたのだろう。



「ちょ、ちょっと……どうしたのよ黙りこくって……私たちとの乾杯は不満なの?」

「疲れたのは判るけどさ、私たちと一緒に飲むから意味があるってもんじゃーん!」

「ごめん、まだ頭が起きてないのか……妄想世界にタバコも酒も無かったから……」

「ああーっ……それなら仕方ないね。嗜好品、一寸ずつ減量しないと今後も辛いよ」

「うん……そうだな……」


「では、ーーー初仕事の達成を祝して……」

 乾杯! と三人仲良く同時に口を乾かして杯を乾かすと矢張り不味いブランデーだ。俺はたまにブランデーを飲むから判るが、知らない二人は四十度超の饐えたブドウ臭で鼻を劈かれ喉を焼かれてむせ返る。俺もアヌさんに勧められた時に同じ体験をしたからこういう時はタバコを吸えば幾らかマシになると二人にいい、自分のタバコを手に取り直ぐに火を点け吸うと……落ち着いた様だ。しかし何故アヌさんがこんな不味い酒を?


「ふう……。ああ、意外に合うねタバコ。でも……これは不味かった―っ」

「ふう……。まあ記念としては最高ね。アナタのお陰で吐かずに済んだわ」


 人差し指と中指を立ててタバコを吸う二人の姿は、猫が腹を見せるような……女性の何気ない生理的一幕が本当に……俺に気を許している様で好きだ。二人のその姿を見てホッとしながら俺もタバコに火を点ける。煙に目を凝らすと馬鹿みたいに天井に昇る。タバコを吸うという事は、馬鹿に成れるのだ。何も考えずボーっと、嫌だったことも、良かったことも、このバカな紫煙は馬鹿正直に天井に投影し蓋をする様に広がり蔽う。


「こんなのを飲むんだったら本物を飲んだ方が絶対良い。アヌさんの所で飲まないか」

「一応お礼もいわないとだし、ちゃんと乾杯したという事で行きましょうか。初給料で今までの借りの少しでも返しましょうよ。たまには親孝行も良いんじゃないかしら?」

「それには大賛成! レッツらゴーっ!」

「いやその前に……まずは報酬を貰わなくてはならん。親孝行するんだったら尚更だ」


「もう貰ってるよ、はい。『これを食せば頭が良くなる』って謳い文句のリンゴ付き」

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