第10話「神は有限、人は無限」

 彼が振り向く前に私はワンピースを脱いだ。こんな女にしたのは誰? アナタなの。そんな人が何故、将来を見据えるような眼差しで私と、私の後ろの景色を同一視する?


「おい……いつから肌の色も、建物の灰色も変える魔法を唱えた」


 またお盛んなネコに戻ってしまったようだ、ちゃっかり魔法なんて現実味の無い話を受け入れてしまって……これは私が悪いな。夕陽をも神といい出しそうなので、大声で

「ライト様が優しい光に成って!」……いいながら私も驚く……どこまでも続いていたビルとビルとの境にまん丸く夕陽が本当に神の導きの様に私の白い肌を茜色に染めて、

「ゴールを導いている……」と尻つぼみに震えた声を聴いて彼は走ってくれた。私は力無くワンピースを置き去りにしたまま彼の駿足に身を任せてしまい、着いた先は……。



「……もしかして俺たちは神に弄ばれているのか……?」

「砂漠に一本……道路が続いている……」


 私はもう、わからない、解りたくない……だって……誰が予期できた事か? ビルの向こう側に一本の道だけがある砂漠なんて、人間の脳髄の過度な妄想で出来ている筈のこの世界、脳髄の容量は途方もなく有りソコに想像力を加えれば無限大と解っている。 

 でも……たかが人間に、狂人であっても世界の創造などココまで出来る筈ないんだ。今までの過程で、不細工なものなどは無かった、美しいほど繊細な造りだった、だってそれ等は総て『現実からあの子の邪魔を省いたもの』だったからであって、たとえ妄想だろうと互いに見た事のない砂漠なんて実現化できるワケない、屁理屈をまかり通らすアタマなんて持ち合わせていない筈だしソレこそ机上の空論、思考実験レベルのもの、それを具体化するなんて都合が良すぎる……。そうだ、私たちは殺風景な灰色の中で、茜色の優しい夕陽に魅了されて幻覚を見ているのだ……その方が理に適っている……。


「この道を歩いてゆけば何か有るのは間違い無い、そうに決まっているわ。ハハ……。私たちバカみたいに、まんまとライト様に魅入られたのよ」

「良かった、まだ救いがあるんだな。これだけ歩いたんだ、報酬があるはずだろう」

 こうやって無理にでもポジティブシンキングしなければお互いやっていけないのだ。意味の無い事は無い、あの子はずっとそういっていた。あえて砂地を歩こうとすると、砂が細か過ぎて足どころか全身どこまでも入る様で鼻で笑ってやると笑いが止まらなくなって……薄れゆく意識の中この旅の目的地を思い出して笑って居られなくなった。


「おい、家が見えるぞ!」

「その屋根は……何色?」

「「赤」」 同じ幻覚を見ているに違いない、赤い屋根の家が砂漠の蜃気楼の中にある事実が一致した。あの家の中には二本の木が生えているのだ、禁断の果実が生る……。それを私が食べてしまってエデンの園から、この世界から追放され私は妊娠するのだ。

 彼を見る目が変わり恐怖する、胸が張り裂けそうになる。違う! 私は「まだ」で、それ以前に私は彼のタルパ、想像上の人物、異種に当たるから受精するワケないのだ。


「お前、さっきから様子がおかしいぞ、黙りこくって。もう着くというのにだ」


 病院を出てビル群の中に居た時はドコかにあの子の実家があったら良いなと、実家があったら多分あの子の親の死体が居て、この子は泣きながら死体に謝罪するのかとまで予測していた……だがそんなハッピーエンドは待っていない。だって私はあの子の実家の屋根の色すら知らないから。ずっと歩いて居たかった、このハゲた私のトラウマと。


「ヤダ……嫌……だ……」


 膝が笑って腰が抜け、全身が脱力してへたり失禁してしまう。脳髄が、本能が、拒絶反応を示す。どうして妄想は現実が混ざるのだ、いつだって私は妄想が巧くなかった。


「パパは……パパは、はじめ君が良かった……」

「なにをいっているんだ、ドアを開けるからな」


 私がドコへ行っても、逃げた父は金魚のフンの様に憑いてくる。はじめ君の墓場だというのにみるみる内はじめ君がはじめ君ではなくなって……それが発端の親子喧嘩から始まり、はじめ君ではない誰かが乗り移り珍道中を終え、扉が開いてみれば矢張り全て真っ白の世界。清くも汚くもない、もがき苦しみ爪痕が残った、狂った真っ白の世界。

 イツだって理想は叶わない、現実に感情など無い。アダムに恋人は居ない、アナタははじめ君よりずっと強く逞しい。私がまた懲りずに神様に身を託してしまった所為……その通りです神様、悪魔より殺してきた神様よ……駄々をこねても死人は蘇りません。



 真っ白なベッドから腰を起こすとリンゴがひとつ……テーブルの上に置いてあった。


「うえぇん……はじめ君、どうして私を残して死んでしまったの……」


 私はこのリンゴを絶対に食べないと、神なんて高尚なものが居ない青空に泣きながら誓うのであった。真っ白な引き戸がガラガラと音を立てて開くとライト様がヒトの形をして立っていた。そう、私は偽善の神の一人娘、チャイルドライトなのであった……。


「二度とその面を見せるな! アッチへ行け! 私を産んだ事、絶対に許さない!」

「……点滴がもう切れるからって、看護婦さんが――」

「うるさい! 早くアッチへ行け! 私はイヴだ! アダムは何処だ!」


 引き戸の奥から大量の白蛇が進入して、創世記の記述通りに私にリンゴを唆す。私は神から産まれただけであって、イヴに成ったって良いはずだろう。じゃあなんで、私のアダムは姿を消したのだ、あの時の私は心底嬉しかった、なのにアダムは死んだ……。



「えーんえんうぐっ……どうして現実は私の邪魔をするの……助けてよ、はじめ君」

 暴れる私の骨と皮だけの腕に、白蛇の牙がズブリと刺さる。そんなこの世を私は呪うだけじゃダメなのだ……。もう一度アダムとイヴが人類を創生させ、私達から産まれた健全な人類が、この世に蔓延っている馬鹿げたゴミみたくアホな狂人類を殲滅させるに他ならないのだ……。でも、アダムは、はじめ君は、私の話を聴いてくれる人は、もうドコにも居ない……。何故なら皆は頭が良過ぎ、国家機密を知って消されたのだから。


「同志たちよ……私は犠牲を無駄にしない……本当の現実は絶対に美しく在るべき……だから……私が……私が……。私……が……ぁ……」


 腕に刺さった、白蛇の牙には毒がある……この眼から流れる涙は重い瞼のダムですら溢れ返って、向こう側の村を氾濫させる。殺すのは村民だけじゃ足らない、もっと……もっと私は殺さなければ……犠牲者はまだまだ報われず……私が救世主とならねば誰が成る……この腐りきった現実を……殺さねば誰が遣る……何度でも……何度でも……。




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「はじめ……なんて美しい名前なのかしら……。創めの子供を光る子が作る事は絶対に運命に相違ないわ、さあ子を作りましょう。生理なんてもう直ぐ近くに在るのだから!

このエデンの園で! 禁断の果実を食べずに! 誰も悲しまない世界を作るのよ!」

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