第7話「半信半疑で他人を慮るという事」

 駄弁りながらこの子の実家を探す旅が始まったは良いが大事な事を忘れていたのだ、ここはドコだろう。私たちは救急車に乗せられてあの病院に入り車窓はカーテンが掛けられて周辺の様子はまるで見えなかった。地図なんてドコに在るかさえ分からないし、さっきのビルは彼が闇雲に走って偶々あっただけで、そもそもの話、現実とこの世界との違いすら解らない私たちは戻るにも戻れぬ完璧な迷子なのだ。太陽を照らすビル群のガラス窓は光を反射してスポットライトの様に私たちを照らして格好はよろしいが……

これでは全くもって歯が立たない。ここからあの子の実家は遠いだろうという事さえも解らずに旅を始め、更には彼は先刻の笑い合いで照れたのか生返事と相槌だけときた。


 とりあえずさっき開けた穴を目印に直進あるのみ……私はまず何か気の利いた話題を

……いつだって私の立場は変わらず現在の彼の状態や情報を知っておかねばならない。


「ねえ、えらく詰まらない迷路よね。俯瞰で見たら脱出は楽そうだけど、灰色の地面とビル群しか眼に映らない。大きな牢の中に居るみたいで、試されている気がしない?」

「嗚呼……本当に牢だな。逃げられもしないし休めもしない、しかも暑いと……神様の怒りがどんどん強くなってきたのか、隣でベラベラうるさいガキが暑苦しいのか……」

「仲直りの時はイツ来るのかしらね……。いつまでも執着するのはアナタの悪い癖よ」

「知ったような口を利くなといわなかったか」

「いってないわね。少しでもさ……ほら、私はアナタの恋人たちに似ているんでしょ」

「似てる、雰囲気も何も……と、お前を見ているとそういう不可思議な錯覚が起きる」

「別に私の事をゲインとか呼んでも良いのよ」

「断る。嫌みなほど几帳面な髪質、整い過ぎの目鼻立ち……ゲインと呼ぶに値しない」

「むちゃくちゃに褒めるその心は? まあ嬉しいわ、親しき仲にも礼儀ありってね!」

「曲解も曲解、お前は人形みたいで人間味が無いといっているんだ。ママゴトしているみたいで気味が悪い……誰とも喋る人が居ないから人形と喋っているみたいなんだよ」

「私は楽しいわ、アナタと人間味あふれる会話が出来て!」


 嬉しくてつい、正直な言葉を口から溢れさせてしまって彼はよりムッツリする。その人間的感情が交わるのが堪らなく楽しいのか、いつの間にやら私は彼の嫌味ったらしい口調と歩けど歩けど灰色しかない所為で凝り固まっていた表情筋が和らいでいるのだ。


「……実際、神がこれだけ怒っているんだ、右往左往するよりは鎮める意を込めて神に向かって歩いてゆくしか選択肢は無いな。断るまでもないが俺はもう意味無く走らん、これからは連帯して詰まらない徒歩を観念しろ。お前だけ良い思いはさせないからな」

「分かった。でも私はアナタが居るから心折れず歩けていて、私に甘えても良いのよ」

「お前は俺に甘え過ぎだ。さっきから一方的じゃないか」

「私はアナタの事情も聴きたいし、何なら愚痴でも何でも聞きたい所なのよねー」


 コンクリートジャングル……人が居れば賑やかなものの、都会なんて寂れてしまえば田舎以上に淋しい所だ。都会が寂れることは有り得ない事では無いが、田舎はみるみる寂れて消えてゆく必然……淋しいものだ。山を削って造られた高速道路やトンネルや、地面を掘って通した水道管……『人間界』とは既に地球を破壊する生物が侵略済みで、元々の人間は最早いないのではないか。と頭上にある意味を失くした歩道橋を見ながら自然を考えさせられている間、彼はポッケに手を突っ込み何か考えていた様であった。


「……この世界は『前の』俺が造ったといったな。どうやってどんな造り方だった」

「『前の』アナタの思考は無限大だったわ、私でさえ余り理解できていなかったみたいだけれど絶対なのは元々の世界からアナタの嫌いなもの全部を排除したのがこの世界」

「さしずめ……王様の我が儘が実現したストレス無い世界を造った……といった所か。もう話してくれても良いだろう。俺はどうして、イヤ、どうやってこの世界に来た」

「そんなの私の方が知りたいわよ急に豹変したんだから。良いのやら悪いのやらだけどアナタはココに来る前の記憶も持ち合わせているんだから何かしら発端はある筈よ」

「さっきから考えていたが……答えが微塵も浮かばないから聞いているんだ」

「ゲイン、そしてチキ……その二人が私としては臭うとしか。情報を頂戴よ」


「二人とは恋人にならざるを得なかった……が本音だ。俺とチキとゲインは別々の親の捨て子の集まりだったんだ。俺たちを拾ってくれたのは水商売人のアヌさんという……

アヌさんはすごく世話好きなんだ。その世話好きは子供が産めない身体だったからだが要するにアヌさんが俺たちの親で、俺たちは物心ついた時から一緒に居て、男女だから成長と共に近しい異性のことを想うようになり次第に三角関係というヤツになったと」


 ……あの子が恋人を作ろうとする度に、こんな設定をイチから練るだろうか知らないけど本当に居るみたいに突っ掛からずポンポン出てくる辺り設定は出来ているみたいで登場人物ひとりひとりに次々と信憑性が色濃く出てくる事が謎をより深くさせる……。


「親や恋人になった経緯は十分に解った……でもホラ! 重要なのは発端よ発端!」

 危ない所だった、まだ信じ込んではいけない。私は今、彼の主治医になったツモリで居なければならないのだ。慎重に冷静に努め、設定に何か隙を見つけたら素早く突く!

……そうする事でしかもう今はあの子の謎すら突き止める方法は残されていないのだ。


「ああそうだな、発端……。発端は……ん……?」

 誰も居ないはずなのに彼は何かに気付いた様に後ろを振り向き頭を掻き毟った。私もつられて後ろを見るが何も無い……何かの合図なのかと思ったが違う様で……妙だな。



「だあーっ……。歩くのだっるいわ……負ぶって」

 これ以上かんがえても何か浮かぶ所か変な事をしそうで話題転換にイキナリ彼の肩に手をやってもたれ掛かってみるとコッチもビックリ、何もいわずしゃがんでいつもの事の様にスンナリと私を負んぶしてくれた。だが直ぐに降ろされてまた頭を掻き毟る彼。


「全く重みが感じない、等身大の風船人形を背負っているみたいだ。気色悪い」

  そうはいうが何だか「ついやってしまった」みたいな彼はバツの悪さを感じさせる。さすが一夫多妻制を実現できた人物だけあるが恋愛的衝動にはひとっつも駆られない。彼が何度も掻き毟っている頭髪が残り少ないという大事にイツ気付くのだろうか……。


「なんだか口が寂しいな……。ここは酒もタバコも、もしや飲食物すら無いのか?」

「徹底的に無いわよ。口が寂しいんならコンクリート引っぺがして食べてみれば?」

「人間の三大欲求が満たせられなかったら……幻覚を見るとかじゃなかったか……」


 見られるものなら見てみたい。睡眠欲も性欲も無いようなもので、寝たかったら寝るしたかったらするのがこの世界の一般的な欲求の満たし方だが私は人間の三大欲求が、食欲・睡眠欲・性欲ではない事を、この世界に来て思い知った。その欲求が今になって塊になって吐き出そうになるのは何故だろう。また魔が差し、会話が途絶えるよりかはとか、今の彼ならどう感じるかなとか、自分を言い訳で固めてまた甘えるのであった。


「マズローの欲求段階説って知っているかしら、三大欲求と似たヤツよ」

「初耳だな……暇潰しに教えてくれ」


「人間は自己実現に向かって成長する生き物と……そのマズローって人が唱えたのね。初めは生理的欲求、次いで安全欲求、社会的欲求、尊厳欲求、そして自己実現欲求と、いった順から一つ一つ満たせられたら晴れて『自己実現者』に成れるという説なの」

「お前は人に教える気はあるのか? そういわれてもサッパリ分からん」

「簡潔にいうわ。アナタはソレを知っていたのに、欠乏欲求の階段をぜーんぶ無視して自己実現者になろうとしたアホなのよ! どうしようもなく下らんアホだったのよ!」

「なんだ、また前の俺の話か?」

「犬でも出来る生理的欲求も儘ならないアホ! 基礎が無いのに家が建つ訳がない!」

「そうか……大変だったんだな」

「前のアナタは頑固で自信過剰で、何でも出来ると思って止まないアホだったのよ!」

「そんなに、アホだったんだな」


 他人事の様に……イヤこれで良いんだ。私の鬱憤をたっぷり脳髄に記憶させてやる、あの子にも聴こえる位、ビル群のガラスが轟く位、大音声で欲求を発散してやるのだ。


「何かいう毎にオウム返し、聞きかじった知識を自分に都合良く改変してあたかも自ら考えたかの様に唱えて、間違えを指摘すれば怒涛の如く反論、論破されたらば言い訳!それで勝てる訳ないでしょ、成功する訳ないでしょ、幸せになれる訳ないでしょっ!」

「ハハッ、溜まっていたんだな」

 ここまでいっても彼は動じずウンウンと本当に他人事の様に聞いてくれる姿勢から、欲求解消がてらの実験結果が出た。最低限必要であろう私の罪の三箇条が揃ったのだ。


一、彼との会話の中でずっと私は年相応の立場だった。

二、今まで積極的に会話を交えようとしていなかった。

三、今まであの子は私のいう事にいつも悪びれていた。


「私は……無意識にアナタを苦しませていたのかしらん……」

「なんだ藪から棒に気持ち悪いな、何かの告白の前置きか?」


 こんな大きな口を聞く、相手を罵るなんて……年下にじゃないと出来ないもの……。ずっと、あの子は救いの手が欲しいのかと思っていた。私を産んだのも、ライトの姿にしたのも、そうして欲しいからだと……。あの頃の私は……『アナタは独りじゃない』『アナタを愛してる』等と……いうだけなら誰にでも出来る大きなお世話をしていた。



「情緒不安定だな、怒ったかと思えばまた泣き出して。それも前置きの一部なのか?」

「だって私、アナタを楽にする為にこの姿になったのに、最後の望みだったのに――」

「のぞみ……ノゾミ……う……うわっ……やめろ! 泣くのもやめろ、ヒステリーが!この畜生が! ド畜生が! その名を……いうな……思い出させるな!」


「ううっ……ぐっ……!」

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