第3話「運命」
「ん……頭が……。ここは……? おーい! チキ、ゲイン? アヌさん、ヘル?」
まどろみの中、意外と早くこの子は戻って来たようだが、まだ錯乱しているらしい。今回のケンカの事もあったのだ、あまり刺激をしないように寝たフリをしていよう……その方がお互いの為だろう……というのは、私が卑屈になっているのだからだろうか。
「頭が……アタマが……ん、お前は誰だ? 皆をドコへ隠した!」
「……それが眠っている人にいうセリフ?」
話し掛けられたから答えた、ただそれだけの事なのに自分の悪い所が判ってしまってヤになる……未だに高圧的で斜に構えて喋るんだ、そりゃあこの子が怖がるのも判る。
「あ……謝る。だがコッチはそういう呑気な状況ではなくて……」
「どこにも誰も隠していないから、深呼吸でもして落ち着いてよ」
どういう状況だと訊いたって世界が違えば無益な質問だ。それにまだ逃げた世界での記憶が残っているみたいで、そこからまた逃げて戻って来たワケで……可哀想だがまず落ち着いて貰わなければ私とでさえ会話にならない。私は身体を起こしてパイプ椅子にワザと腕と足を組んでどっかり座る。この子は深呼吸もままならないようなので、まず大袈裟な事をいってみて、過呼吸するほど怖かった第三世界の状況を忘れさせようか。
「アンタ、いつの間にこんなに大きくなったのよ。母さん嬉しくて涙が出るわ」
「母さん……? 母さん……。いや……違う……お前は俺の母さんではない!」
なんだろう、この違和感は。ここにはこの子と私しか居ないのに、違う人と話しているような、今までにない感覚が……そうか、この子はちゃんと私の瞳を見て、お腹から声を出して喋っているからだ。まあ私を見て母と勘違いするとはお楽しみも甚だしい。
「私を見て母親と勘違いしたという事は相当なロリコンばか受け世界に行っていた様でいらっしゃる。私はアナタの娘よ、呼吸もおぼつかないのなら自分を慰めたら?」
「なに初対面ではしたない事をいっているんだこのガキ……。とりあえずココはドコでお前は誰だ。娘というのも嘘なんだろう……俺はそれ位には落ち着いているぞ?」
お得意の「なりすまし」だろう、この子の現実逃避行動のひとつだ。一人称も口調も態度も変えちゃって……強気なキャラは前例は無いから少しおちょくってみよう……。
「ここは私とアナタ以外の人類が滅びてしまった世紀末、アナタが私を守ってくれた、アナタの魔法『ナントカコントカ』でこの建物は核爆弾をも弾き返した。でも、それが仇と成り人類滅亡させたアナタは英雄であり悪魔なの。どう? 思い出した?」
「……一応もう一回だけ訊いておくがな……お前は誰で、何が目的なんだ」
「私はアナタの愛した最後の女、あの時はアナタが居なきゃ私はもう……って、自分でいってて恥ずかしくなってきたから止めるわ。でもそんな感じよ、アナタは英雄であり悪魔で、私はただの愛人。目的といったらそりゃアナタを安心させる事よ」
「もういい! チキとゲインはどこだ。お前の所為でオカシくなりそうだ」
「はいはい、そのチキとゲインとやらはアナタの心の中に居るわよ」
「ふざけたことを……いっておくがお前は俺の愛人ではないからな」
未だ体勢を崩さず……それどころか本当に別人と話しているみたい。前例が無いからだろうか? 私の適当にいった事が第三世界と似ているから腹を見せないといっているかの様で、私も少し不安になる。愛人を作ってくるのは前例が有るから許容範囲だが、名前を聴いたのは前例が無いし、記憶が総てソッチにいっちゃっているご様子だ……。
「おいココはどこなんだ。いっておくがお前は嘘を吐くと目を逸らすクセがあるぞ」
「え……ああ、うん……。それなら嘘偽りなくいうわ、ここはアナタが作った世界」
「漠然とし過ぎだ。俺が作った世界、ハイそうですかと真に受けるバカではないぞ」
「あらあら、察しが良いのね。皮肉気味にいうと『前の』アナタが創造した世界ね」
「お前はアレか。ヤクを飲みすぎて頭が可笑しくなったバカか。ヤクは止めておけ」
「は……?」
私はショックを隠しきれない……この子にだけにはいわれる筈のない言葉をいわれてしまったからだ。決してこの子はヤク中ではないけど、確かにソレに似ていて、いつも見える筈ない何かに怯えていた。こうしてみるとヤク中とこの子は良く似ている。怖い幻聴や幻覚に怯えて薬を飲んで楽になっての繰り返しだったソレを止めておけという。
「……アナタ、どうしてしまったの……?」
「とにかくちゃんと説明してくれ。お前は誰で、俺は何故こんな所に居るのか」
「かくかくしかじか……としか……」
「そろそろ怒るぞ……? ちゃんと正常な人間にも解る様な説明をしろ」
こっちが困惑してきた、こんなの私の方が解らない……。もしかしてあのケンカが、そんなにもこの子を苦しめてしまって、なりすましをワザと解かずに私に謝れと……?いや、この子はさっき自ら「謝る」といった。第三世界が余り酷で、のめり込み過ぎて記憶が混同しているのだとして、私がシッカリと穏やかに説明しなければ……だけど、説明しようにも経緯が有り過ぎてどこから始めれば良いのか……じゃあ私の立場から。
「落ち着いて聴いて。私はアナタのヘルパーで、アナタはまあ、記憶を失ったのよ」
別に間違った事はいってない……そういう状況になっているだろう。この子は今にも殴りかかってきそうな苛立ちを感じるから出来るだけ優しい言葉で凌ぎたいのだ……。
「お前がヘルパーなのは百歩譲って良いとして俺は記憶を失っていない。ちゃんと皆の事を憶えている。ただ、お前とは初対面だろう、これはどういうことなんだって話だ」
「違う世界の記憶なんて、コッチの世界ではなんの意味も無いわ。解るでしょ……?」
「解らない。もしかすると俺がお前のヘルパーなんじゃないか。お前は記憶喪失者か、もしくはヤク中の虚言を吐く馬鹿野郎。俺の話の方が筋の通った話だと思わないか?」
「なっ! 知って――」
知っていることを理解が出来ないお前にいわれたくない……いいそうになるが我慢。こういう事を口に出してしまうからダメなのだ……発言には気を付けないといけない。今は尚更だから、コトを荒立てず、穏便に且つ嘘は吐かず解り易く噛み砕きつつ……。
「……わかったわ、アナタは記憶を失ってない。実は多重人格だったのよ。ホラ、良くいうじゃない、違う人格になった時には前にした事を憶えていないと。私は見てきた」
これも特に間違ったことはいってない。この子は本物の多重人格者ではないが、私と接する時と愛人と接する時の人格は豹変したみたいに明るく暗くなったりするからだ。
「私が証拠よ。多重人格の証拠は、それを見てきた人が最有力じゃないかしら?」
「……………」
だんまりを決め込まれて、納得したかは判らないが逆に少し安心した……。やっぱりこの子にこういったキャラは向いていないのだ、頼もしく見えるけど根が優しいから。
「じゃあ、外に出てみましょうよ。外に行ったら何か分かるかもしれないわ。私は外に行ったことがないの。判るかしら、この気持ち……行きたくても行けなかったのよ」
「……勝手に行ってくれば良い。見知らぬ場所で下手に動いてしまうと危険だろう」
「アナタが人形を動かせる魔法を使えたとして、遠くに行けるようにするかしら?」
「逃げられる可能性や盗まれる可能性が生まれてしまう位、外は危険という事――」
「そういう事だから早く行きましょう明るい内に。この建物は暗いけれど晴れてるから外に出れば気分も一変するくらい気持ち良い筈よ。気持ち良い事はお嫌いかしら?」
「……………」
私たちは暗黙の中、選択肢はそれしか無いとこの子も了解したようで、固く閉ざした階段までの扉をナースステーションに有るカギ全部を試して開ける様を見せつければ、この子も私がこの世界の事を殆ど知らない事実が判るだろう。一回だけ二人で出た事があって、この子は新しい空間を嫌いココに戻りカギを元有る場所に戻したという事も。
「やっと開いたわ、暗いから気を付けてね?」
「いわれなくてもわかっている、階段だろう」
太陽が入る窓が無いから階段を降りる際に頼れる物は手摺りしか無いからね。という前に居ても立っても居られなくなったのか先に行ってしまって、一段目から踏み外してゴロゴロと音を立てて転げ落ち、やっと思い出したのか手摺を伝って折り返してみるもまた踏み外し……階段である必要が無いほど素早く降りられる様なので私は右に倣う。
「い、痛くないのか……? この世界ではそうやって階段を降りるのが普通なのか?」
「この世界の楽しい所よ。たとえ身体がバラバラに切り刻まれようと瞬く間に再生して痛みなんて無いの。でも物質は再生しないから注意してね……良い仕返しになったわ」
「な……離せ!」
この子は私と手を繋いでいないとダメだ。判らないフリをするにも目を惹き付けようとワザと失敗したり甘えたりするのは危険だし見て居られない。普通?……常識?……
そんなのは違う世界でも同じ世界であっても誰も説けないのに言葉だけが先に作られて独り歩きしているようなものなのだから、そんな態度をする様なら使って欲しくない。例えば「時間は存在するか?」と問えば「当り前だ、では君は何を基準に生きている? 時間を基準にして生きているのが普通の人だ、常識だろう」と、お門違いでつまらない回答が、その二つの言葉を使えば逃げ口上だと気付かずに正当な意見だと胸を張らせて返してくるだろう。しかし次に「時間の存在の証明を」と問えば、そんなツマラン人は必ず時計を指差して「これが何よりの証明だ!」と下らん事を声高らかに抜かすのだ。
「離せといっているんだ! お前は俺の何だっていうんだ! 気持ち悪い狂人が!」
力で手を振り解かれた。いけないな、眼の焦点が定まっていない。こんな時この子は怯えているのだ、恐ろしくなったり楽しくなったりする事に……治すには攻撃他ない。
「うっ! ぐっ……。頭がおかしいとしか思えない……初対面に向かって……」
タマを膝で蹴り潰す事しか私の身体的攻撃方法は無い。得もいわれぬ不思議な感覚になるが睾丸を蹴られた時ほど冷静になれる時は無いらしく、痛みが無くとも条件反射で血の気がサーッと引く感覚に陥ってしまうと聞いてから「とっておき」だったってのにもうやってしまった。攻撃してばかりの私は段々と哀しみが出てきたが心を鬼にする。
「どうどう……ほら……あそこから出られるから、あのガラスが割れている所。一階のガラスは薄いからドコからでも出れるけどモノは大事にココから出ましょう」
「まあ良い……もうこんな所には居られん。うわっ本当に明るいじゃないか」
ニヤリと、何か企んでますよと公言しているかの様な笑みが出ている。余りに分かり易過ぎてこっちも笑ってしまう。笑い合うって良いものだ、さっきの緊張が嘘みたい。
「ふふっ、じゃあアナタから先に出て良いわよ。押したりしないから」
「そうか……あ、いや、お前から先に出てくれ。レディファーストだ」
それにしても妙、人間はこうも変わる事が出来るのだろうか? レディファーストという言葉がこの子の口から出ると何のフリをしていたって不気味にしか感じられない。
「……よいしょ……おおーっ! 久しぶりのシャバだわ! 気持ちが良いったらもう」
脚に刺さった割れガラスを取っていると身体に自然の暖かみを感じ、不安を忘れる程背骨が折れんばかりに伸びをして深呼吸……美味い。太陽が優しく温く気持ち良い!我々を出迎えに来たかの様な素晴らしい太陽と青空! 二つの意味でテンキを感じる。
「……ウワッ……これは、凄まじいな……」
こんな天気だというのに、この子はしかめっ面で出てきた。太陽を見るのが久しぶり過ぎて目を開けていられないのだろう。私も窓越しに見ていたが流石に本物は違った。
「外に出られたけど、あの木の下まで行けるかしら? 行きたいな……なんて……」
「行ってやろうじゃないか……。木の下までとはいわず、ドコまでも……」
昂ぶる感情を落ち着かせているのか、冷静を装っているのか震えた声で返事をする。ずっとこの調子なんだろうか……今のこの子は私でさえ何を考えているか判らないからやりにくい。でもここまで来られて、ドコまでもというのなら、このままの状態で居て欲しい……いや、どうだろう。国立病院だけあり出口までは結構あって少し歩くから、二人して黙って歩くのも退屈だろう。鼻歌で紛らわそうと出てきたのはまた『運命』。
「ふふふふーん……」
「…………」
「ふふふふーん……」
「……門は開いているんだな」
「ふふっ、可愛いわねアナタ」
私が退屈そうに見えたのか鼻歌が耳触りだったのかこの子から話を持ち掛けてくれるなんて思ってもいなくて、漏れた本音に恥じらい顔を背けながら酷く音痴な『運命』の鼻歌が吐息に混ざって微かに聴こえる。それも今、産まれて初めて聴いた曲みたいに。
「ごめんごめん、アレは入口だと促す為のモノで閉まる事は無いわ。私もここから先は初めてなの。ここから一歩でも出ようとするとアナタがあの暗い二階へと逃げるから」
「そうか」
またも片方の口角が上がったのを私は見逃していない。予期せぬ事を企む術が有るのならこの子は本当に?……と考えながら歩いていると何のコトも無く平和に門を潜る。
「じゃあ……サヨナラだ! 二度とそのツラを見せるよな、バーカっ!」
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