037話 諸悪は帳に紛れ



 夜空に昇った月の明かりすら届かない場所で。左にかごを提げ、右に箱形のランプを掲げ、階段を下りる者が一人。


 階段を下りてすぐの扉を眼前にすると、ジャケットに忍ばせていた鍵で取っ手についた扉の錠を解いた。開けた扉の隙間から痛いほど鮮やかな黄緑色の光が漏れる。

 扉をくぐっては律儀に閉めたその人は、長い廊下を前に立ち尽くした。壁際に所狭しと並ぶは黄緑色の液体を溜め込んだ機械。そんな液体の中で浮かんでいるのは、スペルク魔導学園の生徒だった。


 口をつぐんでは一歩を踏み出したその人は、ただただ道程を見据えるのみ。




 ――コン、コンコン。


「入りたまえ」

「失礼します」


 両扉を前にしてそれを手の甲で叩いた来訪者は、奥から聞こえた声に従って扉を押した。重苦しく軋む音を上げた両扉の先では、白昼色の明かりに照らされた空間が広がっていた。

 白岩のレンガで舗装されたこの場所の奥には、多くのチューブに繋がれた装置がそびえ立っている。そんな装置を前にしている一人の人物がいた。


「お飲み物をご用意します」

「いつものところに置いてくれ」

「はい」


 来訪者は装置からやや離れた位置の小さなテーブルへ向かう。そこに辿り着くと、テーブルに置いたかごから飲み物を淹れる道具を取り出していった。ポット、茶漉し、匙、カップ、茶葉の入った瓶……これらを置いた来訪者がまず手にしたのはポットだ。底に添えた手の平が柔らかい光を帯びると、しばらくしてポットの口から湯気が上がる。それを確認した来訪者はポットを置くなり瓶を開け、茶漉しに茶葉を二匙。再び手にしたポットを傾ければ沸いたばかりの湯が茶葉へ注がれる。



「どうぞ」


 道具を片付け、テーブルが紅茶の入ったカップのみになったところで声をかける来訪者。しかし空間の主は無反応。目の前の装置に夢中のようだ。


「……いい加減止めませんか、こんな事」


 突いた言葉に空間の主が振り返る。


「君には関係のない話だ」

「大いにあります。あなたの企みを唯一知っているのですから」


 主に虫が好かないような顔を向けられたものの来訪者は言葉を続ける。


「廊下の装置に閉じ込められた申し子達は、ただあなたの下で学びたかっただけなのですよ!」

「だから言っているだろう。用が済んだらすぐに返すと」

「そう言ってからもう何日経過しているのですか!」

「……計画の為には犠牲が必要なことは知っているだろう?」

「そんな下らないことに犠牲なんて――」


 要りません! と発する前に来訪者は喉元を押さえながらもがき苦しみ出した。


「これ以上言ったらどうなるか、分かるだろう」


 そう言った空間の主は、もがいているその人に指先を向けているだけだ。


「もう、しわけ、ありませ、んっ!」

「よろしい」


 主が指を下ろした途端地べたに倒れ込んだ来訪者は盛んに咳をする。


「文句を言う筋合いはないだろう。そのチョーカーを付けている限り」


 おもむろに頭を上げた来訪者の首元には、文字を刻まれた黒い帯状のチョーカーが付けられている。ほのかに発光している文字に触れながらその人は唇をくっと噛み締めていた。


「さて、君にはそろそろ新しい申し子を連れてきてもらおうか」

「……いませんよ。あなたと話したい申し子なんて」


 捨てるように呟かれた主はそれを鼻で笑ってみせた。


「そうかもしれないがね――つい最近だ、良いことがあってね。あの子が私の下にやって来て今まで退けていた課題全てを持ち帰ったのだよ。"今日中にやって来るから"と言ってね」


 言いながら主は紅茶の入ったカップを手にし、湯気に紛れた香りを探る。


「それがどうしたのです」

「感慨深く思ったのだよ。この学園の説きを散々退けていたあの子が自ら姿勢を変えたのだからね」


 一気に中身を飲み干した主はカップをテーブルに置くときびすを返した。


「私の努力が実を結んだと感じたよ。これだから教師は辞められない」

「何が教師です。あなたの行いはただのっ――づぐっ!」

「分をわきまえていないようだね」


 来訪者の言葉は指を差されたチョーカーによって遮られる。地に伏したその人を見るや否や、空間の主は再び装置に向き直った。


「ともかく、次は今伝えた彼を頼むぞ」

「……まさか、またしても自身の教え子を!?」

「私が育てた教え子だぞ? どう利用しようと私の自由だろう」


 淡白な声色に目を伏せる来訪者はチョーカーをくっと握り締めていた。


「あの子の魔力が加わったあかつきに生まれるのだ。魔導師共の名声を我が物とする、理想の私がね」


 そうして主は腹の底から笑声を沸き上がらせる。この声から逃れるようにして来訪者は空間の出入口へ飛び入った。重い扉を押し開けたままに長い廊下を走り抜け、始めの扉を開けて階段を上りきる。夜空の下に飛び出した来訪者は膝から崩れ落ち、手をついたまま動かなくなった。土を握り締めた手の甲にぽつりぽつりと涙が落ちる。



「どうしただ、先生?」


 不意に注がれた声で来訪者――先生の涙は止まった。腕で拭った顔を上げると、制服を着た、ふくよかな少年が乾いた表情を浮かべて立っていた。


「なんでもないわ」


 そう言った先生は服についた土埃を払いその場を去ろうとする。


「どうだっただよあの先生。いい具合にネジが外れてきただろう?」

「あなたのせいでそうなったのでしょう!?」


 振り返り叫んだ先生に生徒はくつくつと笑う。まあね、と答えた生徒は広げた手の平から深紅の輝きを生み出した。


「仕方のないことだよ。弱さを押し隠したいとしか願っていない者の定め――いつしかこの力に呑まれて自分を失ってしまう」


 語り手が見せている輝きは、錠剤程の大きさをした粗削りの宝石が放っているもの。その輝きを眼前に語り手は、いいや、と首を横に振った。


「厳密には違うだね。忠実になっただよ自分の欲望に。そのおかげであの先生は今、利己的な行動が出来ているんだな」

「何が利己的よ!あの人が描いていた理想とこの現状は、あまりにもかけ離れているわ!」

「もちろんなんだな。理想なんてものは知性の産物。その知性をあの先生は今失いかけているんだから、そりゃあかけ離れるに決まってるだよ!」

「あなたって人は……!」


 形相を変えた先生を目の当たりにした生徒はこれ見よがしに口角を上げてふんぞり返ってみせる。


「悔しかったら魔法で何とかしてみるんだな、武器使いの先生?」


 ねばっこく告げた生徒は大笑いしながら先生の横を通り過ぎてゆく。

 闇夜に消えかかる生徒の姿を憤りの目でにらむ先生。しかし、生徒の声が聞こえなくなった途端、その人の憤りは握った拳に乗り移った。


「悔しいけど、言うとおり。私の魔力では救えない。でもこの内容を赤裸々に学園長に伝えてしまえば、あの人の処分は免れないでしょう」


 握っていた拳を徐々に解くとため息と共に空を仰いだ。侵入する前まで照らしていた月は厚い雲に覆われ、その人の頬に流れた滴に誰も気付かない。


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