036話 ラックの行動 / 後編
帳が降り、道を照らす灯りが消えかかる頃。本を片脇に寮の扉を開けた者がいた。
「戻りました」
「おやおかえり! 門限ぎりぎりまでお勉強かい?」
「はい。すいません、ぎりぎりになってしまって」
扉の近くにいたらしい寮主は鍵を片手に今にも施錠しそうだ。それを見て肩をすくめたのはボールだった。
「本の虫になるのも良いけど、ちゃんと飯を食うことも必要な事だからね?」
そう言って寮主が右方を指差す。
廊下の続く先、開放された両扉。暖色の光の下で聞こえてくる生徒達の談笑。
「あそこで飯食えるから行ってきな。あんたの連れもまだいるはずだよ」
「マルー達もか」
呟いたきり。ボールは頭を掻くのみでその場を動かない。
「とりあえず、借りてきたこいつらを部屋に置いてきます」
「そうかい。行っておいで」
そうしてボールは寮主から足早に去った。
彼は食堂への道半ばで上り階段へ。きっきっ、と靴音を立てて階段を上りきり、自身の部屋へ歩を進めようとした時だった。
「ん?」
薄暗い廊下に一つだけ浮かんでいる明かり。とある一室から漏れているものだ。
誰かいるっぽい――光に近付いたボールが戸を三手叩く。
「なんだよ、飯は後って言ったろ?」
「俺も飯は後にしたいんだ。そっち入っていいか?」
「あ、ボールか丁度良かった!」
聞きたい事があったんだよ――というような声を連れて戸は開かれた。
「こいつのここが分かんなくってさ!」
戸を片肘で押さえた声の主――ラック。本に載った設問に指を置いている彼の後ろは、紙や本がとっ散らかっていた。
「精が出るのは良いけど、一旦部屋の整頓しようぜ」
「部屋の整頓? そんなのこれが終わってからで良いだろ?」
「じゃあ教えねえ俺部屋に戻るわ」
「待て待て教えてくれ頼むから! ちゃんと片付けるから!」
持っていた本を投げ捨てたラックは去り際のボールの腕を掴んだ。涙ながらに見上げてくるラックにしかめっ面を見せたボールだったが、やがてそれはため息と共に解けた。
「ひとまず片付けるぞ。話はそれから」
そうして腕をまくったボールはラックの部屋に入った。
勉強真っ只中な机の周りでは、教科書や、図書館で借りたらしい本の山がいくつも出来上がっている。その中や、周りに散らばった紙は授業でやるであろう設問が羅列されていた。
「ったく、この用紙全部提出物だろ? ちゃんと教科ごとに分けろって」
「仕方ねえだろ? 分かるのだけやろうとしたら、こんなに出来ねえのがあったんだから」
「だからって投げ捨てるのは良くねえぞ。ちゃんとまとめる事も出来るんだろ、向こうの書類みたいに」
「……ああ、あれか」
机上の書類が目に留まったらしいボール。その様子を見てラックの動きが止まった。
「どうしたんだよ」
「いや。なんでも。とりあえずそいつらそのまま仕分けしといてくれよ!」
「おうよ」
言われたボールは作業に戻る一方で、ラックは手を止めたまま。それから経たずして彼は身を投げ出し寝転んでしまった。
「何してんだよ。俺だけに片付けやらせる気か?」
「だってやっぱやる気しねーんだもーん」
「だったらもっと散らかして帰るぞ。そこの書類もバラバラに――」
「それだけはやめろ!」
形相変えて起き上がったラックがボールの前に立ち塞がる。
「あれは今いっっっちばん大事なやつなんだ!」
「一番大事なやつ?」
こくと頷いたラックは、机上の書類の束を一つづつ手にしては両腕で抱えた。
「こいつらは、レティとフロウで協力して、事件のことを調査した結果をまとめたやつなんだ」
「……もしかしてそいつら、図書館で学園長に見せていたやつか?」
「そうそう! あれ以来持ち出してねえし、見る事もなくなったけどな」
「なんで」
問いかけたボールの目の前で、まあ見てくれよ、とラックは床に座った。ボールも彼に合わせて腰を下ろし、渡された書類を受け取る。
内容はいたって単純だ。行方不明になったのだろう生徒を学年ごとに分け、見やすいように情報を表にしているというものだ。性別・成績・動向等を彼らなりに判別したようだが、ボールが気になったのはそれらではなかった。
「この、関わったことある先生、って項目。ルベンって名前が多くないか?」
「やっぱり、そう思うよな」
「あたってみたのか?」
言ったボールに、ラックは首を振った。
「そんな事、俺には出来ねえ」
「なんでだよ。突き止めねえと犠牲者は増える一方だぞ」
「そうしたいのは山々だ! でも、フロウに止められた。先生が犯人なんてあり得ない! って」
俺もそう思ってる――呟いたラックは天井を仰ぐ。
「でもこれが事実なんだろ? 一人のわがままで事実をないがしろにするのか?」
「そんなつもりは――」
「だったらちゃんと向き合えよ」
ボールは見ていた資料をラックに突き出した。
ラックの目がすぐ捉えたのは“ルベン”という文字。それを掻き消すように腕で資料を払った彼は立ち上がってボールから離れた。
「無理だよ、俺には。なんだかんだで世話になってる先生にこんな、
背を向けるラックを、ボールは座ったまま見据えている。
「俺――お前はもう分かってると思うけど、勉強苦手なんだわ。魔法に関してだったら読み漁ってたから分かるけど、計算とか歴史とか科学とか、そんな事はからっきしでさ。魔法以外の授業は付いていくのに必死だった。でもある日途端に何も分からなくなって」
「サボるに至ったと」
「ああ。レティとフロウと先輩に教えてもらってたんだけど、先輩は卒業。あいつらも忙しくなって、頼るやつがいなかった俺はすっかり勉強を諦めちまった。そんな俺を気にかけてくれたのが、ルベン先生だった」
語りながらラックは散らかした本や提出物を片付け始めた。
「その時の先生は、特別授業を担うだけでクラスは持ってなかったんだ。だから授業をしない時間は校内の見回りをしててさ。サボってた俺を見つけてはよく叱ってきて。そりゃあもう、それしかやる事ねえのかよ! ってぐらい。でも、叱るだけじゃないんだぜ? 先生は俺の分からなくなった所を教えてくれたんだ。だからこの年までこの学園にいられてるんだって、そう思う」
本を手にしては埃を払い、一つの場所にそれを整列させる。ラックはこれをひたすらに繰り返していた。
「でもそんなルベン先生も今はクラス持ち。しかも教え子皆成績優秀。だから俺はまた付いていけなくなっちまった」
「それを今度は俺が助けたというわけか」
口を開いたボールにラックは振り返った。ほらよ、と差し出されたボールの手は本を持っていた。
「でもお前って、それほどの奴か?」
「……どういう意味だよそれ」
「誰かに道を示してもらわねえと何も出来ねえのかってこと」
本を渡したボールが腕を組む。
「先生が生徒想いなのはよく分かった。どんな生徒も――サボってばっかなお前をも優秀にするすっげえ先生だってことも分かった。でも、それとこれとは全く別だ」
そう言った彼が取り出したのは資料。これにラックはまた目を反らす。
「向き合うのが怖いってのは分かる。でも向き合わなかったら。お前が大事だって言ってた仲間はどうなるんだ? こうしている間にも、犯人がお前の大事な仲間を粗末にしているかもしれない。そんな事をしている犯人がもし先生だったら――」
「やめてくれっ!」
真っ直ぐ伝えられた悪い予感にラックは頭を抱えてしまった。
「信じたくねえよ、そんな事!」
「だからこそ止まっちゃいけねえんだ!」
張り上がったボールの声はラックの顔を上げさせる。片手を強く胸に当てているボールは眼差しも強いものだった。そんな彼が再び資料を開いてラックに見せた。
「こいつは自分で開いた道だろ? それを自分で閉じちまったら! 道を外した犯人を、元の道に戻す機会がなくなるかもしれねえ」
それはつまり。
……もし。もしもだ。自身の“悪い予感”が本当だったとして。その予感に目を背けたまま自分が放っておいたら。俺はその人を誘拐犯のまま――悪人のまま放っておいてしまうという事にならないか?
「信じたくねえんだろ? 先生が犯人だって。だったらなおさらだ! 自分で自分が信じる先生に戻すべきだ。三人で作った道を辿ってさ」
そうしてボールは資料をラックの前に出す。
「……進まなきゃだよな」
ぽつり。そしてラックはボールから、フロウとレティと自分の三人で作り上げた資料を受け取った。
「進んだ先で待っている犯人を正しい道に戻すだけ。その犯人が誰であろうと――先生だったとしても同じ! そういう事だよな、ボール!」
言い切ったラックに、ボールはふっと笑った。
「らしい顔になったな。んじゃ、ついでにもう一つ」
とボールが人差し指を立てる。
「お前、自分で思ってるよりも勉強出来てると思うぞ?」
「え。そうか?」
「だって、俺が教えたのは要点だけだし。それをあっさり汲み取って自分の力で答えを出せてる」
「自分の力で? 俺が?」
「ああ。それに、勉強を教えてる俺が苦戦してる魔法をさ、お前は覚えてて、使えてて、分かりやすく教えられてるんだぜ? そんなお前が勉強出来ねえ訳がねえよ」
そうしてボールは口角を上げた。
「大丈夫。ラックなら楽勝だ」
「ボール」
こくと頷いたボールを見てラックは、よっしゃ! と意気込んだ。
「やってやる! 魔法の天才の俺なら勉強だって事件解決だってへじゃねーぜ!」
「それ自分で言うか?」
「本当、相変わらずねラックは」
「ですけど、これでこそラックさんですわ」
不意に聞こえた二人以外の声に目を向けると、戸を開け放ったレティとフロウがしゃんと立っていた。
「ずっと下りてこないから心配で来てみたら」
「勉学に励んでらしたのですね」
やっぱりそうだったんだね! と今度は違う声が飛び入ると、レティとフロウの間からおさげを携えたマルーの顔が出てきた。
「あれ? ボールも帰ってきてたんだ!」
「おう。ただい――」
「あんたあれからどこほっつき歩いてたのよ! 天井と壁を壊したってことで肝心のあんたがいないから、代わりにあたしが呼び出されたのよ!? そのせいで事件の調査出来なかったんだからどうしてくれるのよ!」
「ほいほーい、リンゴー落ち着いてー?」
「落ち着けるわけないじゃない!――」
言葉で噛み付くリンゴをなだめるリュウにボールは苦笑するしかないようだ。
「ねえボール!」
呼ばれたボールが振り返れば満面の笑みを浮かべたマルー。ボールが首を傾げていると、じゃーん! と彼女が後ろから紙に包まれた物を差し出してきた。
「昨日も今日も勉強頑張ってるでしょ? だから作ったんだ、夜食!」
「夜食?」
とにかく受け取ってよ! とマルーがボールの手を取って包みを渡した。両手程の大きさをしたそれに目を見開いたかと思うと彼はめくめくと包みを剥がしていった。
「やっぱりだこの匂い――」
「ボールが好きなサンドイッチだよ!」
「……“サンドウィッチ”っつーの」
現れたのは、楕円のパンで野菜も肉も溢れ返ったサンドウィッチだ。
「
「食堂の時間を過ぎちゃうなーって思った時に、ひらめいたんだ! 私が美味しいって思ったお肉料理を、サラダと一緒にパンで挟んでみたの。名付けて! 私一押しお肉料理のスペシャルサンドイッチ!」
「だからウィッチだって」
声を張り上げたマルーに小言を放ちつつも、いただくぜ、とボールはサンドウィッチをほお張った。
「うん。肉のたれと、コールスローのまろやかな感じ? めっちゃ合ってる」
「そうそう! この組み合わせがね、とっても美味しかったんだ! ボールに絶対食べてほしくて!」
「ああ。食えて良かったよ。サンキューな、マルー」
ボールとマルーが互いに笑顔を向けている――二人だけの柔らかな雰囲気に向けてラックは咳払いしてみせた。
「なあなあ俺にはー? 俺もマルーのスペシャルサンドウィッチっての? 食ってみてーなー、なんて」
「誰がやるか。これは俺の飯だぞ」
「それに、私のでいいの?」
「へっ?」
マルーの意味深長な言葉の後、背後からあからさまなため息が聞こえた。
「ラックさんはマルーさんのが良いのですね」
「せっかく私達も作ってきたのにいらないなんてねえ?」
そう言うフロウとレティの手にあるのは、マルーと似た大きさの包み。二人がそれをおもむろに外すと、中から“マルーのスペシャルサンドウィッチ”が顔を出した。
「仕方がありません。これは私達で食べてしまいましょう」
「そうね! もったいないから私達で食べちゃいましょうか!」
「ちょっと待てって! まさかレティとフロウが作ってくれてたとは思わねえじゃねーか!」
「何よその言い方。心配して作ったのに損した気分。ねえフロウ?」
「全くです」
「だから悪かったって! 謹んでいただきますから!」
そうして時は、ゆったり昇る月のように流れてゆく。
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