035話 ラックの行動 / 前編



「――ということだ。どうだ?」

「つまり……ここでこの公式を当てはめて……こうか!」

「ああ。完璧だな」

「うわすっげー! 俺にも計算できた!」


 図書館内の自習スペースで、計算の解答を書き上げたノートを掲げるラック。それを見やったボールは一呼吸置いた後、なあ、と声をかける。


「この本の事でちょっと」

「おっ! それ俺が勧めたやつ!」

「……身の丈に合う本をって言われたしな」


 言ったボールはばつが悪そうに目をそらす――切り出したボールが見せた本は『やさしい 魔導士にゅうもんしょ』。これのあるページを開いた彼は姿勢をそのままにラックへ手渡す。


「この防御魔法の一覧だけどよ、何がどう違うんだ?」

「あー、こっちが身に纏う系の。こっちが盾とか壁みたいに出てくるやつ」

「やっぱ出し方が違うだけか」

「甘いなあボール君」


 ラックは片足をもう片方の股に乗せながら背もたれに寄りかかってみせた。


「違うってだけで終わらせるその感性はなってねーよ」

「どういうことだ?」

「出し方が変わるっつーことは、魔力の流し方が全く変わってくるんだぜ? 火魔法で例えると、火の玉にするか火炎放射にするか。流れが違ってそうだろ?」

「圧縮するか、放出するか、って感じか」

「そうそう! その感覚を魔力を通じて表現出来る奴こそ! デキる魔法使いってわけよ」


 大っぴらに言ってみせたラックが本をボールに返してみせた。


「その上から目線がなければ素直に感心するんだけどな」

「そんな言い方して良いのかー? さっきのお前の失言、声を大にして言ってやっても良いんだぜ?」

「それはやめろ!」

「ほらまた顔赤いー!」

「当たり前だろ怒ってんだから――!」


 と話が脱線しかけた時だった。ごーん。ごーん――と、館内で鐘の音が響いた。


「おっと、夕方のお知らせだ」


 おもむろに席を立ったラックが手荷物をまとめ始める。


「どこ行くんだよ」

「そりゃ決まってんだろ。先生んとこ行くんだよ」

「先生? 何しに行くんだ?」


 聞かれたラックは鼻頭を掻いた。退出する準備も万端だ。


「俺、授業出てなかっただろ? 補習用の問題用紙とか課題とか、いろいろ溜まっててさ。だからもらってくる! じゃな!」


 そうしてラックはそそくさと本棚の森に消えてゆく。


 引き留める間もなく突然に空いてしまった隣の席。ボールにとってはようやく得た静寂だったが、その機会を彼は虚ろに持て余していた。


「俺も、頑張るか」


 しばらくして呟いた言葉を合図にボールは再び机に向かう。ペンを持ち、傍らに広げた本の内容を咀嚼しながら書き留めていった。


 そうしてボールが魔法の勉強に精を出し始めた頃。



「さーて、先生の部屋は――?」


 図書館から去ったラックは、学園内の先生の部屋が連なる長い廊下を歩いていた。夕焼けが射し込むこの道の先で、彼は見覚えのある後ろ姿を目にする。その人は頭上にまで積み上がっていそうな書類をその場に置き、腰を下ろした。

 これを見たラックは人差し指を片方立てては軽く一振り。すると、その人が持っていた書類が一つ残らず宙に浮いた。本人がこれに気付いた時の書類は、既にラックの横で整然と浮かんでいる所だった。


「おーおー。よくこんなとんでもない量を一人で持って来れたな」

「ラックさん!? どうしてこのような場所に!」

「そんなに驚くことないだろーフロウ」


 名前を呼びつかつかと迫るは同じクラスのフロウ。驚愕めいた面持ちだが、ラックは素知らぬ顔で書類に目を通してみせる。


「対応報告書……破損? 弁償? 何だこれ――」

「そんな事よりも重大な事がありますわ!」

「重大? この書類よりも?」

「当然です! チームのメンバーであるあなたがまたしても! 授業を受けなかったんですから!」

「だから授業内容を聞きに来たんだろ? これはそのついで」


 言ったラックは踏み込んできたフロウを横目に先を行く。

 狐につままれたような面持ちで静止するフロウ。しかし頭の中で復唱される彼の発言ではっと我に返り、急いで書類と並んで歩くラックを追いかけた。


「今ラックさん何と?」

「授業内容を聞きに来たって言ったけど?」

「やっぱり。ですが一体どのような風の吹き回しですの? 今までそんな事言いませんでしたのに」


 まあな、と口にしたラックは行く先を真っ直ぐ見たままだ。


「さっきあいつに、勉強を教えてもらってさ」

「あいつというのは、ボールさんですか?」

「そうそう。俺が魔法を教える代わりにって事でそうなったんだけど、内容が分かると意外と面白いなーって思って。だから今まで突っぱねてた課題とか宿題とかをやってみたくなったんだよな」

「いつの間にそのような事が――あ、着きましたわ」


 こうして二人はルベン先生の部屋に辿り着いた。フロウは早速部屋の扉を叩く。しかし、待てど暮らせど、部屋の主からの返答がなかった。


「おかしいですわ。いつもはすぐ返事をくれますのに」


 開けちゃいますよ! そう言った彼女がドアノブに手をかけるも動く気配がない。


「鍵がかかっているようです。いらっしゃらないのでしょうか」

「ここで待つか?」

「そうしましょう。書類はもう浮かさなくて結構ですわ」

「そうか」


 浮かばせていた書類をゆっくり床に置くなりストンと地べたに座ったラック。だが突然彼は表情を変え、ドア下の僅かな隙間を覗き始めた。


「急にしゃがんで、どうしましたか?」

「向こうからこっちに魔力が漏れてる」

「魔力ですか?」


 彼女もラックと一緒の姿勢に覗き込む。目を細めて隙間を覗くも、その顔のまま首を傾げてしまう。


「私には何も感じませんわ」

「でも俺には分かる。もしかしたら先生の身に何か起きてるかも」

「何かとは――? 今度は何をするつもりで?」


 急に立ち上がったラック。フロウが姿勢を戻した頃の彼はドアノブを握っていた。それから微動だにしないラックだったが、握っている手には確かな変化があった。


「ラックさん? 握っている手から魔力の光が漏れていますが?」

「……よーし出来た!」


 告げたラックがおもむろに手を開くと、その中に一本の鍵が収まっていた。


「それは何ですの?」

「決まってんだろ? 鍵だよ鍵! これで部屋を開ける!」

「部屋を開け――ちょっとお待ちくだ――」

「よーし開いたー! 入るぞー先生ー」


 ですからお待ちください! と言う隙なくラックは作った鍵で錠を解き、扉を開けた瞬間。


「うお!?」

「きゃっ!」


 幾百もの書類を後方の壁に張りつけるほどの暴風が二人に押し寄せる!


「この風は――!」

「やっぱり俺の言う通りだ。魔力が暴走してる!」

「ラックさん! 先生を呼びましょう!」

「そんな暇はねえ! 俺がバリアの魔法出すからフロウは援護!」


 言い切ったリックが正面で蒼い光の壁を張る。風吹く先に目を凝らせるようにはなったものの風の勢いは衰え知らず。ラックは立つことで精一杯のようだ。


「……分かりましたわ」


 フロウは呆れ顔でありながらも彼の隣で両手を前に出してみせる。すると彼が出していた蒼い壁に厚みが増した。


「協力いたしましょう。すぐに終わらせますよ」

「そうこなくっちゃな!」


 二人は部屋の中へ歩を進めた。着実に一歩を踏み締める二人だが、奥へ進む程、光の壁にかかる負担が増してゆく。


「えーーーーーーーい!」

「おりゃあああああっ!」


 掛け声を合わせた二人が思い切り光の壁を押し込む! しかしその勢いは強すぎたらしい――ひどく鈍い音を絡ませ、二人は一気に部屋の奥へ転がり込んだのだった。


「いっでぇー!」

「勢い余りましたね……」

「君達。一体どうやって入ってきたのかね」


 注がれた声には聞き覚えがあった。二人は声の方へ顔を上げた。


「ルベン先生!」

「先生大丈夫だったか?!」

「何のことだね?」

「あのっ! 先生からお返事がありませんでしたのでつい……申し訳ありません!」

「……まあ、気にすることはない。丁度困っていたことがあってな」


 そう言ったルベン先生はゆっくりと卓上にある本を取り出した。


「この魔法陣を見てくれ」

「これは、ボールさんの魔法陣ではありませんか」

「ふぇー。こりゃ高度な治癒魔法だなー」

「見ただけでお解りになるのですね」

「羽根を伸ばした女神に涙のような雫だろ? 全部治癒魔法の象徴だぜ? 手を伸ばしてるっつーことは、こいつは薬が出る魔法。……そうか。あいつが隠したのはこの魔法で出した薬だったのか!」

「ラックさんもボールさんが出したものをご覧に?」

「いや、声かけたらすぐ隠しやがって――んで先生、もしかしたらこの辺、簡易化出来るんじゃねーか?」

「さすがラックだ。であればこの杖で書き換えてもらおうか」

「おお! 先生の杖で書き換えていいのか!――」


 ラックは手渡された先生の杖を手にするとすぐに魔力を込め出した。杖先から絵の具のような物質が湧き出てくる。


「よろしいのですか? 生徒が勝手に書き換えても」

「実は私も彼と同じ考えをしていたんだ。でも何故か私には書き換えが出来なくてね。 君達が来るまで苦戦してたんだよ」

「そんなに難しかったのか?」


 ほら、とラックは書き換えた魔法陣を先生に見せる。


「ふむ、助かった。ところで君達は私に何の用だね?」

「そうでしたわ先生! 先程いただいた書類をまとめてきましたの」


 少しお待ちください! とフロウは素早く部屋を後にした。


「俺は、今まで溜めてた課題をやろうと思って」

「――今何と?」

「先生も同じ反応かよ……今まで突っぱねてた課題を全部もらいに来たんだ! 今日中にやってくるから早くくれよ!」


 手を差し出したラックにルベンは目を丸くする。だが噛み締めるように頷くとルベンは棚を漁り始めた。こうして、学園の放課後はゆっくりと更けてゆく。


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