033話 それぞれの実技授業――魔導専攻の場合



 自分の席に着いたボールは、机の上に本と棒が丁寧に置かれてあったのを見た。

 皆が扱っていたものはこれだったのか、と手にした棒は木でできており、本体と持ち手の境目に透明な宝玉が一つあしらわれていた。


「ささ、一つでも魔法を作らないと欠席扱いになるわよ?」

「欠席扱い? つか、魔法を作るってどうするんだよ」

「簡単よ! その授業用の杖で、目の前の本のページに魔法陣を描くの。特別に私が実践してあげるから見てなさい」


 説明した彼女が杖を持って本と向き合った途端、宝玉の中で煙のような焔色がたなびいたのだ。


「何だ? 今急に出た玉の中のやつ――」

「話しかけないで。今魔法考えてるの」

「おう……ってちゃんと教えろし。俺の出欠席が関わってんだぞ?」

「では、私がお教えしますわ」

「あ、フロウ」


 ボールに声をかけてきたフロウは、手元の杖の宝玉を指差した。


「こちらの中に浮かび上がる光は、使用者の魔力の質を表しています」

「質?」

「はい。どのような属性がどのくらい放出されているのかを、中の光で計ることができますわ。今のリンゴさんで例えますと……放出しているのはホノオ系の魔力ですね。光の流れが早い点から、相当集中していらっしゃるとみてとれます。透けがみられる点からは、ホノオ系は覚えたて、もしくは目覚めたてといえそうですわね」

「すげえ、当たってる。あいつは最近魔法に目覚めたんだ」

「的中でしたか。これも勉学の成果ですわ」


 そうしてフロウは柔らかく微笑んだ。


「そこまで詳しく分かるもんなのか」

「はい。ですから、ボールさんもまずは握ってみて下さいな。頭を空にすれば上手に魔法陣が描けるはずですわ」

「頭を空に、か」


 そうです、と告げられる頃のボールは自然とまぶたを閉じていた。ボールは杖を強く握り締める。


 そして、頭を空に。

 空に。

 カラに……。



「出来たわ……見なさいボール! これがあたしの――」


 その内にリンゴが、書き上げた魔法陣を見せつけるものの、彼女の言葉は目の前の光景によって失われてしまった。


「どうしてあいつの髪なびいてるのよ」

「今は話しかけない方が良いですよ」

「それは見れば分かるけど……」


 杖を握ったボールをまとう気の流れは、熱くもなければ冷たくもない、肌に心地よい温度感ではある。だが、どこか近寄りがたい物々しい雰囲気。普段の彼の態度を体現したような、そんな刺々しさを覚える。


「ちょっと、怖いわ」

「そうですね。集中されていますし、何かを掴みたいという意志の強さも伺えます」


 気圧けおされてしまったリンゴをよそに、さて、とフロウは口を開いた。


「あなたの頭の中は今、何も無い常闇です。そこから込み上げる感覚を、あなたが握るその杖で絡めとるのです」


 淡々とした言葉の後、聞いたらしいボールが杖を僅かに振るった。これに反応するように彼の髪が左右に揺れ動く。


「感心しないな」

「あ、先せ――!?」

「どうされたんですか皆さん!?」


 先生の声に振り向くと、周りを驚愕めいた面持ちのクラスメイトに囲まれていた。特に目立つのは、大きく目を開き、たるんだ顎をわなわなと震わせるアギーだ。


「こ、こんな大きい魔力を、体験入学生が出してるだ……」

「やっぱりこの気配は魔力なの?」

「でももったいないだ。何にも感じないだよ」

「そう? あいつの性格がよく出てると思うんだけど」

「確かに彼らしさはあるだろうが、アギー君の意見には私も同意だ」


 告げたルベンは既にボールの背後で、彼の肩に手を置いていた。


「君は魔法で何をしたい。その底知れぬ魔力で君は何を求める」


 ボールは依然黙ったままだが、問われたことが合図だったように音もなく気配――魔力は消えた。


「どうした。あのまま続けたまえ」

「いや、先生」


 ボールは杖を置きルベンに振り返る。


「俺にそんな力ってあるんですか?」

「 ? 」

「あの、ボールさん?」

「なんて冗談言うだよ君!」

「そうよ! あんなに魔力っぽいの出てたのにどうしてそんなこと言えるわけ!?」

「俺が? なんで?」

「なんでって――!」


 きょとんとしているボールに呆れるしかないリンゴ。集まったクラスメイトも騒然としている最中だった。


「魔法陣を描きたまえ」


 ボールの横で放たれたルベンの言葉で周りは静かになった。言われた本人はおもむろながらも本へ向き直る。


「フロウ君が言ったようにすれば良い。頭を空にした後、君が求める魔法を想像すれば自ずと描けるはずだ」

「……分かりました」


 腑に落ちない、と言わんばかりの表情だったものの、ボールは言われた通り再び目をつむった。それからしばらくして、先と同じように髪がなびき始める。


「見てください、ボールさんの手元の杖を」


 皆が様子を見守る中でフロウがボールを指差す。彼女の指先が捉えたのは、彼が持つ杖の宝玉の、陽光のようなわずかな輝き。始めに感じた物々しさとはかけ離れた柔らかい雰囲気。しかし真っ直ぐに光を放つさまは、彼の一貫した姿勢を現しているよう。


「あんな光の人はどんな魔法が向いているの?」

「いずれ分かります。ほら、手が動きますよ」


 フロウの言葉でリンゴの目は再びボールの方へ。彼は持つ杖を指揮者のごとくなめらかに振るっている。



「よし」


 一言。そしてボールは椅子に深く腰かけ息をつく。そんな彼の前に伸びたルベンの手が描き上がった魔法陣を見るべく本を取り上げた。


「何が出来たのかしら」

「私達も見て良いですか、ボールさん?」

「別に良いぜ。でも適当だぞ」


 ボールの許可を得たリンゴとフロウはルベンの手にある本を覗き見た。描かれていたのは、羽を伸ばした女性が天から何かを授かったような絵だった。


「ボールにしては、可愛い絵を描くのね」

「絵で効果を表すとは、面白いですわ」

「このページの上で杖を振るってみたまえ」


 ルベンは言うと、魔法陣が描かれたページを開いた状態で本を机上に置いた。言われたボールは頷くなり杖を握りしめる。

 そうして杖を魔法陣の上で一振りした刹那。音もなく上昇した光がぱっと咲き、そこから白銀の羽根を広げた女性が現れたのだ。


「何あれ!? 天使!?」

「女神だ。俺は女神の方を想像した」


 ボールがいう女神は、集まったクラスメイト全員を包み込めそうな翼と相反し、背丈は人の手の平程の小ささだ。そんな女神が彼の正面へ降り立ち、両手を前に差し出す。その両手は、艶やかさと透明感をもった液体をすくっていた。


「……くれるのか?」


 ボールが問うと女神は優しく微笑み、両手で抱えていた液体を落としては霞がかったように姿を消してしまった。渡された液体はひんやりと冷たく、感触は固まりかけのゼリーのようだ。


「綺麗ね! 取っておけば?」

「こいつを入れる物なんか持ってねーよ」

「この小瓶をどうぞ。スポイトもありますわ」


 言ったフロウが持ち出してきたのは、親指ほどの大きさをした瓶とスポイト。ボールは片側の手に液体を移し、空いた手で受け取ったスポイトを用いて液体を吸うと、フロウが持つ瓶にそれを移した。


「それにしても感服しましたわ。にじみ出るボールさんの、なんて強い魔力!」

「いや、こんなの俺の力じゃ――」

「そんなことありませんわ! 女神様を呼び出すのは相当の魔力と強い心が必要です。小さいながらもそれが出来たボールさんに魔力がないはずありませんわ!」

「そうよ! あんたが集中してた時の空気の変わり方、魔力がなきゃああならないわよ」


 迫る二人にボールはため息で払う。


「あのな。魔力があるのは杖のおかげだぞ。この杖があるから魔法陣が描けたわけで発動も出来た……違いねえだろ、先生」

「ふむ。間違ってはいない」

「ほら、たったそれだけの事だぜ?」

「そうなのでしょうか……」

「リンゴも同じはずだ。――お前はここの人間じゃねえ。杖の力があるから魔法が使えてるってこと、忘れるなよな」

「分かってるわよそんなこと」


 じゃあ聞くけど、とリンゴがボールの前に出る。


「あんた何の為にこの学園に来たの? ここは魔法を学ぶ為の場所よ? その口ぶりじゃ、自分は魔法を信じていないって言ってるようなものじゃない」

「そりゃそうだろ。俺達はここの奴らとはちげえし。それに俺は、あくまでここを知る為に――」

「知る事ならこの街じゃなくても出来るじゃない。わざわざここに来なくたって――ファトバルにだって詳しい人はいるわ。だから思うのよ。本当はもっと違う理由があるんじゃないかって」

「……何が言いたいのか分からねえな」

「そうね。回りくどい話はやめましょうか」


 告げたリンゴが一歩前に出てはボールに人差し指を突き付ける。


「どうしてマルーに付いてきたわけ?」

「は?」

「だからどうしてマルーと一緒にチームを組んで、マルーと一緒に世界回って、マルーと一緒に強くなろうとしてるわけ? って聞いてるのよ」

「話飛んでねえか? なんであいつの名前がここで出るんだよ」

「当然じゃない。ただでさえマルーが引き受けた事は大きいのよ? だからあたしはマルーの力になりたいって思って、一緒にいることを決めたの」


 あんたはどうなのよ、とリンゴは険しい目でボールを捉える。


「考えなしにここに来てるようじゃあ、マルーに付いてくる意味がない気がするんですけど?」


 言ったリンゴの視線をそらすように彼はわずかにうつむいた。その様子にリンゴは呆れ混じりの声を上げる。


「こんなことに素直に答えられないなんて。別に恥ずかしい事言うわけじゃないでしょ? それとも、本当に理由がないわけ? 暇つぶし程度に思ってるなら家に帰ってよ、足手まといさん?」


 ボールが目を見開く。


「何よ、驚いた顔して。強くなろうとしてない、ただ付いてきただけっていうなら、あんたはっきり言って“お荷物”よ? このクラスに来る必要もなければ、この街に来る必要もないし、ましては世界中を周る必要だってないわ! 家で屁理屈言いながら大人しくしてもらったほうがよっぽどありがたいんですけど!」

「お前いい加減にし――」


 ボールがリンゴに手を出そうとした刹那を予鈴が包み込んだ。


「時間だ。続きは放課後にやるように」

「――別にやりませんよ」


 リンゴに背を向けたボールはルベンへ魔法陣を描いた本を手渡す。


「とりあえずこれで俺は出席扱いだろ? もう帰るぜ」

「ちょっと! まだ話は終わってないわよ!」

「だからやらねえっての」


 吐き捨てたボールは実技室の戸を開けるとそこで止まった。


「分かったような口利くんじゃねえし」


 がらがらと大きな音を立てて閉められた戸。それを目にしたルベンは頭を掻きながら眉をしかめていた。


「ボールさん! 授業が終われば終わりではありませんわ!」

「大丈夫だフロウちゃん。僕が引き留めに行くだよ」

「ほっといていいわよ。行ったってどうせ――」

「をおー! フロウちゃんを困らせるやつはおらが許さないだーっ!」

「アギーさんお待ち下さいっ!」


 フロウがアギーを呼び止めた頃には既に彼は実技室を去ってしまっていた。両手で頭を抱えるフロウをなだめるリンゴは戸に向かって息を漏らした。


「あんたよ、分かってないのは」


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