022話 スペルク大図書館 / 前編



 大時計の鐘が鳴り止んだ頃。マルーは建物の陰を抜け出し、雑踏響く大通りで立ち往生していた。


「マルー! こっちー!」


 飛んできた声に目を向けると、そこでは手を振るリンゴにボールとリュウが、建物の軒下で待ち構えていた。マルーは三人の元に駆け寄り、真っ先に両手の平をぴったり合わせ、上半身を前に倒した。


「皆ごめん! 寝坊しちゃって!」

「ったく、大遅刻だぞ」

「あたしがいなかったら向こうアースの森で暑い中待っていることになっていたんだから!」

「まーまー。ちゃんとここまで来てくれたんだから、許してあげたらー?」


「お前は甘い」

「あんたは甘いのよ!」


 と合わさった言葉にマルーとリュウの身体はぴくりと跳ねた。


「こいつのせいで部員皆、この前あった部活の試合でひどい目にあってんの」

「あたしだって、マルーの遅刻で上映時間見送ることになったり限定スイーツを逃したり乗り物に乗り遅れたり――」

「うわぁあああもう止めてえ!」


 リンゴからべらべらと出てくる苦情にマルーは耳を塞いで頭を横に揺らす。リュウはもちろんのこと、言う立場にいたはずのボールも苦笑を浮かべるしかなかった。

 やがて身を小さくして動けなくなったマルーを見て、リンゴはふう、と息を吐いた。


「今回はこの位にしておいてあげる。今度遅刻したらまた同じ目に合わせるんだから。良いわね?」

「はい! 以後気を付けますっ!」


 背筋を伸ばして返答したマルーにリンゴは、よろしい、と言い放った。


「それじゃあ、この図書館の中に入りましょう!」

「だな」

「やっと入れるねー」

「……そっか。ここがスペルクの図書館――」


 マルーは少し後ずさりし、建物を見上げた。レンガ造りが多い印象だったこの街で、広くて大きい白壁の建物は一際目立っている。これをぼうっと眺めていたマルーは名前を呼ばれたことで我を返した。――三人は既に図書館の入口をくぐっている。

 慌てて入口をくぐったマルーは、受付のカウンターと、いくつもの開け放たれた大扉に迎えられた。外壁と同じ真っ白な吹き抜けが、マルーを天井に向けて大きく伸びをさせる。そうした瞬間に吸い込んだ蔵書の薫りが、姿勢と意識をしゃんとさせた。

 冴えわたった目が捉えたのは、受付カウンターの前でこちらを見る三人。また待たせてしまっている――マルーは小走りで受付カウンターに向かうと、そこで待つ受付嬢にカウンター越しからおじぎをされた。


「ようこそ。世界一の規模を誇る“スペルク大図書館”へ。お借りする際はこちらで申請なさってくださいね。また、館内ではお静かにお願いいたします。――」


 一通り説明を聞いたマルー達は、ごゆっくり、という言葉を背に大扉をくぐった。



 四人が目にしたのは、踊り場のような位置から広がる本棚の数々。上に続く階段の先にも、下に続く階段の先にも、真っ直ぐ続く道の先にまでも、終わりが分からないほどに整列している本棚達は四人を圧倒した。


「これじゃあ本を探すの大変そうだね」

「だからこそのこれだろ?」


 こう言ったボールが片手でひょいと持ち上げたのは、学習ノート程度の大きさをしたパッドだった。


「受付でもらったこいつに、調べたいものを打ち込むと……お、出た。近くにあるみたいだな」


 呟いたボールがその場を離れてゆく。それに釣られて三人も歩き出してゆく。

 階段を上った先。進行方向から縦に並んだ本棚の間にボールはいた。彼が手にしている本の装丁は、色使いがカラフルで可愛らしい。難しい顔をしている彼にはどうも似合わないこの本の名前は……。


「“やさしい 魔導士にゅうもんしょ”っていうんだ、それ!」

「んだよ。見んじゃねえし」

「どうして後ろに隠すの? 私も見たい!」


 隠された“にゅうもんしょ”を見ようとマルーが後ろを覗こうとする度、ボールはマルーの動きに追従して全く見せようとしない。そんな本をボールの後ろに位置取ったリュウが取り上げると、適当にページを開いてみせた。


「ほえー。火は風に、風は雷に、雷は水に、水は火に強いんだー」

「そうなの!? 見せて見せて!」

「だから勝手に見るなし――!」


 ボールの注意もむなしく、本はマルーとリュウによっていくつもページをめくられてゆく。


「魔法の無い世界の人間が、どうして魔法についての本を見ているのかしら?」

異世界ローブンを知るために決まってんだろ。見て悪いかよ」

「別に? ただどうしてかを聞いてみたかっただけよ」


 ボールと会話するリンゴは、両手を腰に当ててはいぶかしげな目で彼を見ている。そんな様子を見てか、これだよ、と声を上げたリュウがとあるページを開いて見せてきた。マルーもページの横から顔を出し、内容に目を通してみる。


「“ほじょまほう”と、“ちゆまほう”って書いてあるね! 確かに、こんな魔法が使えたら嬉しいかも!」


 でも私は――と、リュウから本をもらったマルーはページを戻し、これを覚えたい! と、先ほどとは違うページを見せつけた。


「……雷?」

「うん! 私が初めて放った技みたいな、じりじりぴかぴかした感じの魔法が使いたいって思ってたんだ!」


 言い終わるなりマルーは開いたページを凝視し始めた。


「何々? 雷の魔法は基本、ひとつの相手に対して効果を現すものが多い。なので? 当てたいものに向けて、天から地へ振り下ろすような動きをすれば、雷の魔法は成功しやすい、だって!」


 よーし! と立ち上がったマルーが開いたままの本をリュウに持たせると、そのページに載っている動きを真似し始めた。


「ちょっと、こんなところでやり始めて大丈夫なの?」

「心配することねえよ。どうせ格好だけなんだし――」

「ぇえーーーいっ!」


 マルーが腕を振り下ろした瞬間! 発光と共に鼓膜を裂くような音が轟いた!


「やったあ! 私できちゃった!」


 飛び跳ねて喜ぶマルーにリュウは拍手を送る。ボールに至っては目を見開いたまま動かない。


「ちょっと、感心してる場合!? あそこ見なさいよあそこ!」


 四人の中でただ一人怒号を飛ばしたリンゴが遠くの床を指す。その床は一点を真っ黒く焦がしていた。


「そうそう! 私、あの辺りに雷を落とそうと思ってたんだよね!」

「思ってたんだよね――じゃないわよ! 公共の施設でこんなことしちゃってどうするのよ!」


 リンゴの叱りつける声を聞きつけてか、辺りからどたどたと足音らしき音が聞こえてくる。彼女がそれをいち早く感じ取り、マルーの後ろに隠れると、リュウもボールも後ろに回りだした。


「どうして皆私の後ろに隠れるのさ!」

「あの焦げはお前のせいだろ? ちゃんと向き合えよ」

「うんうん確かにー」

「確かにーじゃないわリュウ、あなたマルーに協力してたじゃない! ていうかそもそも、あんたが本を取られるからいけないのよ!」

「は? それ関係ねえだろ」

「大アリよ! とにかくあたしは――」

「この辺りだ! 大きい音がした場所は!」


 リンゴが言葉を続けようとしたところへ今いる場所を指し示す声が飛んできた。声がした方へ視線を送ると、この場から奥へ進んだ先の上り階段に人影が見えた。それを見たリンゴが真っ先に立ち上がる。


「あたし何にも悪くないです! あそこの焦げ、このおさげの子がやったんです!」


 人影に向けて放ったリンゴの発言に三人は目を丸くする。当の本人は悪びれもせずそっぽを向いてみせた。


「何よ、だってあたし何もしてないでしょ? それなのにどうして一緒に怒られなきゃいけないのよ」

「いやお前この場にいただろ? それなのに止めなかったお前も十分悪いと思うぜ?」

「それはあんたが言ったからよ! 格好だけだからどうせ魔法は出ないって!」

「ええっ!? ひどいよボール!」

「そんな事言ってたのー?」

「言ってねえし! あいつ話盛りすぎなんだよ!」


 噛み付くボールに知らんぷりを貫くリンゴ。過去の発言の真相を知りたがるマルーとリュウ。四人の論争が激しさを増そうとした時だった。


「ああーお前ーっ!」


 馴染みのないつんざいた声に全員が振り向いた。

 声の主と目が合った瞬間、マルーが、あっ! と口にした。


「――あの時の男の子だ!」

「「「 あの時? 」」」


 マルー以外の三人が首を傾げる最中、マルーは少年に胸ぐらを両手で掴まれ、ぐわんぐわんと揺される。


「お前はこんなところでも俺達の邪魔をしやがるのかー!」

「わぁあぁあ――そんなつもりじゃ――!」


 されるがままのマルーから少年を離そうと、三人が動き始めた瞬間だった。


「やめなさいラック君」


 今度は反対方向から落ち着き払った声色が飛んできた。すると少年――ラックが途端に顔を青くする。

 ラックが見ている方へ四人が振り向くと、そこでは、顔にしわと白ひげを蓄えたジェントルハットの老紳士が目をすぼめていた。


「学園長さん!」

「おや、あの時のお嬢さんじゃないか。――ラック君。この場ではこのようなことがままある。簡単に騒ぎ立てるでない」


 目をすぼめたまま近付く老紳士――学園長に、ラックはマルーから手を離し、腰を砕きながらも後ずさりする。

 マルーが解放されたことが分かると、学園長は表情を緩め、焦げた床を指し示した。


「お嬢さんがやったんだね? ここに魔法を当てたのは」


 学園長の言葉にマルーは、はい、と頷く。

 すると学園長は、素晴らしい、とマルーに拍手を送ったのだ。


「この場は魔法に初めて触れる者が多く訪れる場所だからね。参考にした本の通りに行った結果、魔法が発動してしまった――違うかな?」


 問いかけに、マルーは首を横に振り、違っていないと示す。


「よろしい。そんな“魔法の誤発”に対して、この辺りには威力を抑える魔法陣を張っているのだよ。しかしながら、その中でこう床を焦がしたわけだ。初めてにしては上出来だよ」

「本当ですか!?」

「ああ。是非こういう子に教えを受けてもらいたいものだね」


 向けられた笑みにマルーが表情を明るくする中で三人は、叱られるという予想を裏切る展開に呆然としていた。


「つまりお嬢さん、そしてお友達も、これに気負う必要はないのだよ。存分に学びたまえ。ここで触れられる本全てが、君達を未知なる世界に連れていってくれるだろうからね」


 それじゃあね、と言葉を残した学園長は、ラックを連れてこの場を去っていったのだった。


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