第2章

021話 魔導都市・スペルクシティ


 太陽の熱がうっとうしい街中を、マルーは脇目も振らずに走っていた。


「皆と約束してたのになあああんで寝過ごしちゃうなかああぁもぉおおお!」


 叫び声を力に変えるように速度を上げたマルーは、やがて眼前に捉えた風の森に向けて、左腕を前へ突き出した。


「 開け! ローブン の世界を 繋ぐ 扉! 」


 言葉を合図に、左腕のブレスレットから一直線に光が放たれる。その光が空間に青白く輝く円を展開させると、マルーはそれに向かって飛び込んだ。


「皆ごめー――、あれ?」


 円をくぐった先は飛空船フライトの中だ。しかし、照明は全て消され静まり返っている。そんな船内で一際目立っていたのは、運転席の、大きくひらけた窓ガラスから見える青だった。

 それに近付いてみたマルーから。息をつくような感嘆の声が漏れる。


「ヨーロッパに来たみたい」


 前のめりになって見つめる窓からは、石畳の港の先で、赤土色の建造物がひしめき広がっていた。


「ここがきっとスペルクシティなんだね。……よし! 皆が待ってる!」


 姿勢を正したマルーはすぐに飛空船フライトを下り、スペルクの街中に消えた。

 マルーは街の人々に道を聞きながら、今回向かう場所である図書館へと歩を進めてゆく。しかしせめぎあう建物を縫うように進んでゆくうちに、街の喧騒と、日の光からは遠ざかっていた……。



「困ったなあ。誰かに道を聞きたいのに」


 気付けばマルーは、レンガの建物で埋め尽くされた、車一台がやっと通れる程の路地に迷い込んでいた。しんとした光の届かないこの場所は所々で苔を生やしている。

 マルーはその場をきょろきょろしていると、道の一方から、身なりも姿勢も整った人物がこちらに向かってくるのが見えた。


「あ、すいませーん!」

「――どうかしたかな、お嬢さん?」


 すかさず声をかけたマルーはその人物の下に駆ける。反応を示してくれたその人は、目深に被っていたジェントルハットのつばを上げてくれた。明るみになったその人の顔は、目尻にしわを携えており、口元から喉にかけて白いひげを伸ばしていた。


「あの、私図書館に行きたいんです! 道を教えてくれませんか?」

「図書館へか……うむ、勤勉なことだ」


 その人――老紳士は、噛み締めるように頷く。このゆったりとした振る舞いは、今のマルーにとって我慢ならなかった。


「私! 寝坊しちゃったんです! だから早く図書館に行かないとなんです!」


 今にも走り出しそうなマルーを、老紳士はまあまあとなだめると、あれを見なさい、と中空に向けて指を差した。


「図書館は、あの大時計の下にある。あれは、私が生まれる前からあるとっても古いものでね。スペルクシティの始まりは、あの大時計からといっても、過言ではないんだよ」


 雄大な佇まいの大時計を見上げる老紳士は、目を細めて語り続ける。マルーのそわそわとした様子などお構いなしだ。


「そんな大時計の下に、私の先祖がスペルク大図書館――お嬢さんが目指す場所と、スペルク魔導学園を造ったんだ」

「スペルク魔導……学園?」


 突如出てきた“魔道学園”という単語に、マルーはついと首を傾げた。


「その名の通り、スペルクにある、魔導を教える学園のことだよ。その場所で私は、先祖の血を継いだ者として、魔導の申し子達を育てなくてはならなくてな――」

「じゃああなたは――っ?」


 マルーが老紳士の正体を口にしようとした時、彼の正面がマルーの影を色濃く映した。それと共に暑くなる彼女の背面に視線を送るとなんと、炎をまとった蛇のような龍がこちらに迫っていたのだ。


「おじいさん危ない!」

「お嬢さんどきなさい!」


 同じ拍子に上がった声に驚いたマルーがその場を避けた。老紳士の、空を斬るように大きく振った腕からかまいたちが飛び出す。吹き荒れるかまいたちはいとも簡単に炎の龍をかき消した。


「すごい! 一瞬で消えちゃった!」

「どうやら申し子達に、私の居場所を突き止められてしまったようだね」


 微笑みを浮かべながら、老紳士は人差し指を軽く振るうと、彼の周りを風が舞い、勢いよく宙へ浮き上がった。


「またどこかで会えるといいね、お嬢さん」


 そう言い残した老紳士は建物の上に消えた。

 マルーは老紳士が消えた先をぼんやりと見ていたが、やがて瞳をきらきらと輝かせた。


「ひゃあああとってもかっこよかった! 私もあんな風に魔法が使えるようになれたらなあ……」

「でしたら、編入されてはいかがですか?」

「へっ?」


 突然声をかけてきた青色の長髪の少女が流暢りゅうちょうに語り始める。


「スペルク魔導学園は、魔導への探求心さえあれば、あなたを教え子として迎えて下さるはずですよ」


 こう話す少女の身なりは、ブレザーにワイシャツ、腰巻スカートとローファーという、いかにも学生らしい格好だった。

 学園の生徒なのだろう、とマルーは感心していると、語っていた少女の横を人影が通り過ぎ束の間、自身の胸ぐらを掴まれぐわんぐわんと揺らされた。


「お前なんで学園長の前に立ちはだかるんだよー! スペルクの人間なら、学園の生徒に力を貸すもんだろー!」

「わぁあぁー! どういうことですかぁあああ!?」


 人影の正体は、先の少女と同じブレザーを羽織った黄髪の少年だった。マルーの顔を見上げ責め立てる少年を、青髪の少女が引きはがそうと手を出す。しかし激しい動きをする彼に少女の手は思わず引っ込んでしまった。


「ここは任せて」


 少女が困惑しているところに別の少女の声が。その後少年の喉元に腕が通ると、その腕がマルーから少年を思い切り引きはがした。さらにもう片方の腕が十字を作れば、彼の首が締め上げられる図の完成だ。


「赤の他人に何してくれちゃってるのよ。こんなことで学園の評判が落ちたらどうする、のっ!」

「わ! る゛がっだ、って! ぁあ参っだ! 参っだがら゛あ!」


 少年が両手を上げて降参を告げると、よろしい、と腕を解く。そんな少女は赤髪のショートカットで、二人と同じ校章がついた襟なしのジャケットを羽織っていた。


「いきなりごめんなさい。怪我はないかしら」

「私は大丈夫です! でも私、何だか悪い事しちゃったみたいで……」

「気にすることはないわ、こっちの問題だもの。そんなことよりあなた、図書館に急いで向かっていたんじゃなくて?」

「あっ、いけない!」

「ここから向こうへ真っ直ぐ進めばいいから――」


 赤髪の少女に図書館への道を教えてもらったマルーは簡単にお礼を言い、その場を足早に去っていった。




 マルーの姿が三人から見えなくなってきた頃、上空から重い鐘の音が鳴り響く――大時計のすぐ上にぶら下げられた黄金の鐘が、悠々と揺れていた。


「あぁくそっ、時間切れか」

「あんた肝心なところで運がないわよね。ちゃんと仕留められたら、私達、学年トップに踊り出てたのに」

「いやだからあいつが出てきたから――!」

「いけませんよ、人のせいにしては。これはきっと、勉学・鍛錬を怠るなという天声です。あの方がこの光景を見ても、こう言うはずですよ」


 青髪の少女の言葉に、少年は奥歯を噛み締めるように口を閉じる。やがて彼は、分かったよ、と口にし、二人を引き連れその場から消えていった。


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