013話 哀しみの海から / 前編
「リンゴが戦ってる――」
ぼうれいの四方八方にホノオを打ち込むリンゴは、一戦を引いたマルーの目にも映っていた。
「私も、戦いに――づぅっ!」
起きようとするマルーの身体が悲鳴を上げる。
その悲鳴が治まることを待ち、落ち着いた頃に起き上がるもまた悲鳴。そのような事を、マルーは歯を食いしばりながら繰り返していた。
「私が。行かなきゃ! リンゴ、だけ、じゃ――!」
「いいや。リンゴちゃんは君の希望だよ」
唐突に聞こえた穏やかな声。その声へ視線を向けると、腰を屈めてマルーを覗き込む、何食わぬ顔のエンがいた。
「マルーちゃん。君はあの子をどう思っているのかな?」
エンが投げかけた問いに、マルーはもちろん、と口火を切る。
「私の大好きな親友です。今までいろんな事を、二人で一緒に頑張ってきました――勉強も、運動も、遊びも――困ったことがあったら、必ずリンゴに相談したりして――」
「そうか。君もあの魔法使いに助けてもらったことがあるんだね?」
マルーはこくりと頷いた。
「なら。今もその時じゃないかな」
そう話すなりエンは立ち上がり、今度は見上げるような姿勢に。
マルーも、エンと同じような方向へ視線を変えてみる。すると、ぼうれいにひるまず戦うリンゴの姿が映った。
「君はここに来るまでに言っていたね? あの魔法使いは臆病だって。弱さを隠す為に強がっているんだって。今の彼女を見ても、君はそんな風に思うかい?」
今度のマルーは、言葉もなく首を振った。
「そうだね。例え今までが臆病な子だったとしても、この時、この瞬間の彼女は間違いなく、勇敢な魔法使いに見えるよ」
そう思うだろう? と、エンは再びマルーの方を向いた。
「――だからこそ……なんです!」
マルーは再び、腕を支えに身体を起こそうと試みる。
「私も一緒に……戦いたい、んですっ――づう゛ぅっ!」
座った体勢に戻る寸前で、マルーの身体に痛みが走る! またもや仰向けに戻ってしまった。
「相当痛むようだね――」
エンは言いながら、徐にマルーへ手をかざす。すると、かざした手の平から淡く白い光が現れたのだった。
「どこが痛むのかな?」
「えっと……腰から、痛みがどばーって、広がる感じです……」
「どばーってねー……この辺かなー?」
エンの手が位置を定めた頃、マルーは、水面に身を預けている感覚に包み込まれていた。
身体にこもっていた余計な力が抜けてゆく……。
意識もぼうっと、抜けてゆく……。
「よし! どうだい気分は?」
両手がぱちん! と合わさった音で、マルーの意識と身体が跳ね起きた。
「おおー! あっさり起き上がれるくらいになったね! 良かった良かった!」
目を細めたエンの横で上体を起こしたままのマルーは、腕を伸ばしたり、腰をひねったりしてみる。
「――全然痛くないです! すごいですエンさん!」
「すごいだろう? 今のも魔法の一種なのさ」
指を立て、鼻高々に説明したエンだったが、すぐに表情を硬くした。
「色々説明したいところだけどそれは後。マルーちゃんは彼女の元へ。僕はあとの二人を治癒しに行くからね」
「はい! 分かりました!」
「――ああっとちょっと待って!」
マルーが立ち上がり、剣を握った瞬間、エンから声がかかる。彼は、懐から何かを取り出した。
「これ! 飲むと良いよ! 更に動けるようになるから!」
何かを投げたエンは、じゃ! と短く別れを告げる。
もらったのは、両手に治まる程の小瓶だった。その中身は無色――まるで水のようだ。マルーは、もらった小瓶の中身を一気に飲み干すと、改めて、黒いぼうれいを見据えた。
広間の中心を陣取る、黒いぼうれい。それに向かって、赤々と燃えるホノオが飛んでゆく。リンゴはマルーやエンが動き始めるまでの間も、杖を振るいながら懸命に戦っていた。
「魔法の出し方のコツは、だいぶ掴めてきたわ。でも――」
足を止めたリンゴは膝に手を置き、乱れた呼吸を整える。
「魔法を使うって、こんなに疲れるものなのね……ってやだ! もうこっち見てる!」
めいいっぱいに広げた手を杖の宝玉にかざすリンゴ。ぼうっと音を立てて現れたホノオをそのままに、斬り上げるように杖を振る。宝玉から飛び立ったホノオはぼうれいの顔へ一直線――のはずが、勢いはあっさりと劣化し、ぼうれいの足元で音もなく消えた。
「そんな……」
消沈した気持ちと共にリンゴは両膝から崩れ落ちた。
……ぼうれいの重厚な足音が聞こえてくる。気が付けばぼうれいは腕を振り上げ、真下のリンゴに狙いを澄ましている。
振り下ろされる! ――リンゴがぐっと目をつむった瞬間だった。
「危ない!」
突然駆けてきた声がリンゴをさらう。そしてそれを追いかけるように打撃音が突き飛ばす。
宙に浮き、前転している感覚は“恐怖”。だが背中から感じる“安心”が、自然とリンゴの心を冷静にさせた。
「大丈夫!?」
どすん、と背中から音が上がった後。名前を呼ばれたリンゴは目を開けた。
「――マルー! ケガは大丈夫なの!?」
リンゴの窮地を救ったのはマルーだった。彼女に正面を向けながら身を案じるリンゴに対し、彼女は鼻を高くした。
「エンさんのおかげで私は元気百倍! 身体もこの通り、何ともなくなったのだ!」
両腕で力こぶを作りながら、マルーはリンゴに輝く笑顔を向ける。
「お前ら避けろ!」
「二人共避けてー!」
遠くから投げかけられた声ではっとした二人が振り返ればまたしても腕を振り上げているぼうれいの姿。
リンゴが、低く剣を構えたマルーに後ろに隠れたその時! ぼうれいの顔みたく巨大なホノオが手を上げていたぼうれいに直撃! 頬骨をへし折りそうな勢いのそれはぼうれいを仰向けにひっくり返す!
「すごいすごい!」
「なんて大きさよ、あのホノオ」
「驚いてもらったようだね!」
あれは僕の魔法さ、と、しゃんとした様子で歩み寄ってきたのはエンだった。
「俺もびっくりしちまったぜ」
「さすが師匠ですねー」
ボールもリュウも、何事もなかったかのように歩いてくる。少し前の、目も当てられない状況とは雲泥の差の振る舞いに、リンゴは目を丸くするしかない。
「皆、本当に大丈夫なの?」
ようやくリンゴが絞り出した言葉に、男子陣は軽く返事をしてのける。
「全部エンさんのおかげだな」
「うん。回復する魔法をかけてもらったし、元気になる飲み物もくれたよー」
「だから後は私達に任せて! リンゴが頑張った分、私達も頑張るからさ!」
マルー達のたくましい立ち振る舞いは、肩の力を抜け、と言われているようだった――そう思ってしまった。
「いいえ。あたしも戦うわ」
首を振ったリンゴが言うなり、その場を立つ。
「多分、もう少しで倒せるわ。だからここは皆で――」
「いいやダメだよ。駆け出しの魔法使いさん?」
こう声をかけ、リンゴの肩に手を置いたのは、エンだ。
「君は分かっているはずさ。今の自分じゃあ、勢いのあるホノオは放てないって」
「そうですけど!」
リンゴはエンの手を払いのけ、彼の正面に立った。
「あの敵は魔法じゃないと倒しづらいってあんたが言ったんじゃない! だからあたしが一番頑張らなきゃいけないの!」
「そう! 一番頑張ってほしいからこそさ」
エンは能書きを垂れながら、またもリンゴの肩に手を置く。気安く触らないで! と騒ぎ立てるリンゴは抑え込まれ、遂には地べたへ座り込んでしまった。
「はいこれ飲んで!」
エンが取り出したものは、先ほどマルーがもらっていた小瓶だった。
「あっ! それ、ビリビリのシュワシュワで美味しいよ!」
「その言い方炭酸かよ。どう見たってただの水だろ?」
「炭酸が抜けてたんじゃないの?」
「だからもともと入ってねえって」
「僕が飲んだときはすーすーしたよー? ミントみたいな」
「いやそれこそねえよ」
「私のもそんな味はしなかったなぁ」
「そうなのー?」
「どういうことよ。人によって味が違うってわけ?」
十人十色の感想で、もらった小瓶がどうにも疑わしくなってきたリンゴ。小瓶に入った液体を中空に透かしてみると、それには暗雲に似た黒いもやが漂っていた。
……ん? 黒いもや?
リンゴがぱっと手を下した瞬間! 大きなホノオで横転したはずの黒いぼうれいが目に飛び込んだ!
「ちょっと皆! あいつ起き上がっているわよ!」
マルー達に一声かけたリンゴは、小瓶の栓を抜くなり一気に中身を飲み干した!
「さあ! 倒しに行――?!」
飲み干した勢いで立ち上がったリンゴだったが、すぐに静止した。目を見開き、口元を押さえる彼女は、やがて高い声で唸りだす。
「どうしたのリンゴ――ってリンゴ!?」
臨戦態勢になったマルーがリンゴに振り返り尋ねたところ、涙を浮かべたリンゴがしきりに足踏みをしていた。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
「大丈夫じゃないわ! ――火が出そうよ!」
それからのリンゴは、悲鳴にも似た言葉を羅列しながら必死に口の中を手であおいでいる。
「どうしよう。どうすれば良い!?」
「心配ない無い! 彼女だからああいう副作用なのさ。直に治まる」
「エンさんそれでも――!」
「構ってられるかマルー! 行くぞ!」
吐き捨てるように呼びかけたボールがぼうれいの元へ駆ける! リュウに至っては既にぼうれいの後方に回っていた。
えぇ、と漏らしながら、リンゴとぼうれいを交互に見るマルー。だが、やがて彼女は剣を構え直した。
「リンゴ! 落ち着いたらで良いからね!? 私先に行くよ!」
「え、ちょっと! ねえーっ!?」
意識を切り替えるように声を上げながら飛び出したマルーに、リンゴの悲痛な叫びは届かないのであった。
リンゴを除いたサイクロンズの乱撃に加え、エンの火魔法。少しずつだが確実に、ぼうれいの動きを鈍らせてゆく。しかしどのような攻撃も、今までの様な決定打には至らなかった。
「んああああこいつ! 弱点とかねえのかよ!」
圧倒的な変化が見受けられない敵にしびれを切らしたのか、ボールが声を荒げる。
「なあマルー! こいつの弱点知らねえか!?」
「そんなの知らないよ! この世界の事もまだ分かってないのに――!」
「マルーちゃん! ここまでの事を思い出すんだ!」
二人の会話を断ち切るようにエンの声が飛んできた。
「えっと――」
マルーは一旦攻撃を止め、ぼうれいを見据えたまま後ろへ下がる。
「武器での攻撃に手応え無くて、吹き飛ばされちゃって、リンゴが魔法を使えるようになった――そういえばリンゴ、しきりに上に向けてホノオを放っていたような――!」
マルーは顔を上げた勢いそのまま、ぼうれいの周囲を駆ける!
「ボール! リュウ! 上だよ! 上を狙って!」
こう叫びながらリュウの傍を通り過ぎ、ボールに近付いてゆく。
「そうそう! あのぼうれいは間違いなく顔が弱点だ!」
「はい! リンゴとエンさんの魔法、顔か頭に当たった時が一番効いているみたいだったから、そうかなって!」
「そうだとしても、俺達でどうやって狙っていくんだ?」
尋ねるボールの声で、マルーは来た道を戻る。彼女がボールに姿をみせた頃、リュウもこちらに走り寄って来た。
「ひっくり返せば良いんだよ! さっきみたいに!」
「さっきってなあ。あれは弱点を叩いたからだろ? そういう決定打が打てるのは今ん所リンゴだけだ。俺達にそういう力はねぇ」
「じゃあどうすれば良いの?」
「俺に聞くなし」
「はーい。僕達から近付けばどお? ジャンプするとかで」
「ジャンプで届くか?」
「踏み台があれば届くよー」
「どこにあるんだ?」
「……二人に踏み台作ってもらってー、僕が跳んで、槍を急所にどーん、みたいな?」
「それだーっ!」
「は? マルー正気か?」
「やってみなきゃ分からないよ! やろう!」
意見を採用され、意気揚々と武器を揚げるリュウを背に、ボールがマルーに耳打ちする。
「あいつ、この中で一番体重あるぞ。俺達で支えるなんて出来んのか?」
「この中で一番力持ちなのはリュウだよ。だからここは気合で!」
「まじかよ……」
威勢よく語ったマルーに難色を示すボール。だが、他にも案が思い付くかというと、そうではない。
「……ここはあいつの作戦に乗るか。仕方ねぇ」
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