008話 魔法使いと女王 / 前編


「――ぃやああああーーーっ!」


 マルー達が隠し階段を下りることとなった少し前に時を戻す。

 リンゴは自分の状況を分かっていないまま、下へ下へと転がるように落ちていた。


 そうして、ぼふ、という音と共にリンゴは顔から着地する。舞い上がる砂埃で彼女は咳き込んだ。


「もーう、何なのよお。ここは一体どこなわけ?」


 暗闇の中で分かる事は、ひんやりとした空気のみ。

 転がりつくした身体がきりきりと痛む中、やっとの思いで立ち上がった途端、暗闇が暖かく色付いた――壁の灯台に火が灯ったのだ。目に映ったのは、一人では有り余る広さのベッドに、ドレッサーやついたてなど、優雅な装飾を施された家具達だった。


「このお部屋、まるでお姫様が住んでいそうね! でもどうして急に明かりがついたのかしら。あたし以外はここに誰もいないはずよね。……まさかこれって、幽霊の仕業?」


 と、口にしたリンゴの脚が、がたがたと震え始める。


「もう、やだぁあたしの脚ったら――大丈夫よ! 幽霊なんているわけないんだから! とにかくこの場所から離れるわよ。ああもう寒くなってきた」

「……って――」

「 !? 」


 部屋を離れようとしたリンゴの耳に聞き覚えのない声がささやいた。彼女が踏み出しかけた脚は動かなくなる。


「だ、だだっ誰なの!? いるんだったらす、姿を見せなさい!」


 言葉を詰まらせながらもリンゴは叫ぶ。しかし部屋にいるのは静寂のみだ。


「は、早く出てこないとあ、あたしがこの杖で、やっつけちゃうわよ! ゆ、幽霊になんてあたし、負けないんだから!」


 と叫んだその時! リンゴの肩に吸い付くような冷感が襲う!


「お願い――」


 はっきり聞こえたささやきがリンゴの背筋を凍らせた。恐る恐る冷感のする方へ首をひねると至近距離に色白の顔が!


「きゃああああああああああっ!」


 盛大に声を上げたリンゴは必死に腕をはためかせた。


 ひとしきり腕を暴れさせた後、彼女は息を整えようと視線を落とした瞬間。

 見てしまったのだ。

 色白の顔の主が、泡を吹かして倒れている所を!




「……ってこの人。気絶してます?」


 泡を吹かしたまま動く気配のない、色白の顔の主。リンゴは半信半疑ながらもその人に近付き、顔を覗き込んでみた。

 透き通った肌。整った顔立ち。頭に乗せた、品と煌びやかさが詰まったティアラ。柔らかそうな見た目のドレスも相まって、まるでお姫様だ。


「ちょっとー? 大丈夫ですか――」


 安否を確かめようとリンゴが身体を揺らそうとしたその時。彼女の手はその人の身体を通り越して地面に触れてしまった。これに驚き固まってしまったリンゴだったが、やがてそのまま、まさぐるように腕を動かしてみる。


「……本物の幽霊だってことは、間違いなさそうね」


 リンゴがいくら腕を動かそうと、幽霊が目覚める気配はない。

 こんなに心臓が弱い幽霊なんているのだろうか。どうして怯える必要があったのか――リンゴは自分自身にうんざりした。


「うーん――」


 幽霊が意識を取り戻そうとしていたのもその時だった。リンゴが思わず手を引っ込めたところ、察したようにそれが上体を起こした。


 目も口も開かないまま、辺りを見回している幽霊。やがてそれはリンゴを前にして止まり、彼女の表情を伺おうと顔を近づけてくる。この時も何一つ表情は変わらず、ごく普通のそれが醸す雰囲気をまとっていた。


「これはこれは、先程の――」


 恐怖を覚えていたリンゴが、鈴の音のような声にはっとする。幽霊はいつの間にリンゴから距離を置いており、背筋をぴんと伸ばして正座をしていた。


「先程は、貴女に大変失礼な事をしてしまいました。誠に申し訳ございません――」


 きちりとお辞儀する幽霊に対し、リンゴも慌てて姿勢を正した。


「あたしもごめんなさい。いきなりだったからつい……」

「いいえ私こそ。急に気を失ってしまった挙句、ご心配までおかけしてしまって――」

「そんな、大丈夫よ」


 気にしないで、とリンゴが幽霊の肩に手を置こうとすると、その手は肩をすり抜けてしまった。


「お気遣い感謝いたします――私はもう、長いこと魂のみの存在ですゆえ――」

「あたしもうっかりしていたわ。だって普通に会話ができるんだもの」

「私も、このように言葉を交わしたことは久方です――」


 幽霊は姿勢を崩しながらはにかむ。


「私は、かつてこの辺りを治めた王の妃として、使命を全うしてゆきました――難病を、患うまでは――」

「あなた、病気で亡くなったの?」

「はい。私は王――彼より先に、命を落としてしまいました――」


 伏し目がちに語る幽霊に、リンゴはどう声をかけたら良いのか分からなかった。だが、そんな彼女に気が付いたらしい幽霊が、驚きを含んだ声色で、ああ、と漏らす。


「そんなに思い詰めないで――問題ありません。私と彼は、この遺跡の中で永久とわに一緒ですから――」


 幽霊が、なぐさめるようにリンゴの肩をさすった。


「私の身体が朽ち果て、ここで眠る事となっても、彼は私によく会いに来て下さりました。ただ――」

「ただ?」

「――あの。私のお願いを聞いていただけますか? 地を足で踏み締めている貴女でしたら、きっと――」

「ええ。あたしで良かったら力になるわ。でも歩きながら聞いても良いかしら? あたし、仲間とはぐれちゃったから急いで合流しないといけないのよ」

「まあ。誰かとご一緒でしたの――」


 それでは、と、幽霊が立ち上がった。


「行先はどちらでしょう。私がご案内致します――」

「そうね……って! あたし死にに行くわけじゃないわよ!? 変な所に連れて行ったら怒る――って、あら?」


 リンゴが気が付いた時の幽霊は、震えた身体を丸く屈め、耳を押さえていた。


「あのっごめんなさいっ! 大丈夫ですか?」

「はい。問題ありません――」


 頭を押さえながら、幽霊は丸く屈めた身体を起こした。


「このような姿になってからというもの、どうも大きな音が苦手になってしまいまして――」

「そうだったの……分かったわ。今度から気を付けるわ」

「お気遣い感謝致します――ところで、行先はどちらで――」


 改めて尋ねられたリンゴは言葉を詰まらせた。

 そういえば、エンには探索する上での護衛をお願いされただけで、この遺跡のどこまで探索したいのかは話していなかった。どこを目指しているのかは、リンゴには分からない。


「探索って言われただけで行先までは……」

「となりますと――隅から隅まで見て回りたい、といったところでしょうか――」

「ええ、きっとそうだわ」

「でしたら行きましょう。私に付いて来て下さい――」


 そう言った幽霊が歩き始めると、それが行く道の灯台に火が灯ってゆく。その代わりに、リンゴがいる位置の灯台が火を消していった。


「え? ちょ、ちょっと! 勝手に進まないでくれる!?」


 リンゴはその場を立ち上がり、慌てて幽霊の後を追うのだった。


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