1969年 1月 20日

NEW WORLD  1

「ずっと気になってるんだけど、天皇とか皇太子って、やっぱこう、オナニーとかすんのかな」

 シュリは右手を卵を軽く掴むように握り、上下運動のジェスチャーをした。

「なにいってんの」

「おピンクを叡覧になって、尊茎をおしごきになられ……」

「君、かなりヤバイこと言ってない?」

 時代が時代なら不敬罪でパクられるかもしれない。首が飛ぶ!

というか、彼女がこの手の露悪的な性的ジョークしもねたを好むタイプであることなんて知らなんだ。おピンクってなんだよ。

 出原いではら遊剛ゆうごうは性的なものを弄ぶような冗談を先天的に好きになれないのだが、彼女が言うならしょうがないかと割り切る。

 

「人間なら性欲はあるじゃん。セキュリティの面から、側近に見守られながらしごくんだよ。やるせないよね、裕仁ひろひとも」 

「皇居の性事情とか世界一どうでもいいよ……」

 君、相当に下品なやつだったんだな!


「耐え難きを耐え、シコり難きをシコり」


 遊剛は苦笑した。猪野いの朱里しゅり。命の恩人である。彼女がいなかったら俺はどうなっていただろうか。

 仮に失血死を免れたとしても、あのままでは傷口が化膿して腕を切断しなければならなくなったかもしれない。こうして医学の知識を持った彼女が偶然介抱してくれたからこそ、こうして俺はピンピンとしていられるのだ。感謝してもしきれない。

 彼女はげっ歯類的な素朴な可愛らしさのある顔を絶妙に崩して笑う。


「やっぱり気になって仕方ないよ。教えてくれよ、コレのこと」

 遊剛は彼女に唐突にふっかけられた乱暴なテロ的なエロを強引に切り上げ、襖に指を刺した。そこにはまるで焼却炉に投げ込むがごとく、おびただしい数の五百円札が乱雑に詰め込まれいる。

「それね、使えないんだよ」

シュリはゆっくりと腰を上げ、襖を開けた。その中から一枚の紙幣を抜き取る。思えば、そこにあるのは五百円札のみのようだった。使えない、とはどういうことだろうか。遊剛はコーヒーを啜りつつ彼女の話に耳を傾ける。

「私ね、そのお金全部しなきゃならないの」

「処分?」

「それが私の役割」

「役割?」 


 シュリは言った。

「出原くんにだけ、特別に教えてあげる。私ね、三億円事件の犯人なの」

 遊剛は笑った。なるべく嘲るニュアンスを醸さないように意識したが、失笑じみた仕草になってしまった。いくらなんでも、冗談として滑っている。返答にも困る。

「へー、すごいじゃん」

「信じてないでしょ」

「そんなことないよ」

 もちろん、全く信じていなかった。高倉健はあくまで役者であって、本物の極道者ではないことと同じで、言うまでもなく、証明するまでもない。

 証拠を見せてあげる、と吐き捨てるように呟いてから、シュリは部屋の奥へ向かっていった。しばらくして、花柄のフォトアルバムを抱えてきた。

「ほら。この写真。この男の顔、わかる?」

 遊剛は睨むように、その白黒写真をじっと眺める。

 おそらくライブハウスであろう入口を背景に、楽器を持った三人の若い男女が映っている。中心にいて、諸手にドラムスティックを携えている少女は、よく見るとシュリそのものだった。

「これ君か。ドラム叩けるんだ?」

 うん、と誇らしげに頷くも、そっちじゃなくて、と隣のページを指差した。そこにはヤマハのバイクに跨がって、カメラ目線で微笑む男が映っていた。濃度の薄いモノクロ写真であるため分かりにくいが、警視庁の制服と機動隊の白いヘルメットを着用していた。しかし、跨がっているのは白バイではない。

 写真の左下に、白のペンで何か書き込まれていた。

蟻坂アリサカ アキラ……?」

その男の名前であると思わしきその文字列を、遊剛はそのまま読み上げてみる。『蟻坂』という珍しい名の読みはこれで正しいのか不明だったが、彼女の反応を見るに、当たっていたようだ。

「警察……なの? この人」

「警官を装って三億円を強奪した、『モンタージュの男』。似てない?」

「似てねーよ」

 そもそもあの写真はいろいろな顔の貼り合わせであって、あの顔写真が犯人の素顔というわけではない。それを加味してもぜんぜん似ていない。あのモンタージュ写真の男の、しずかにこちらを睨みつけるような、厳かな目つきといったものはこの男にはなく、あくまで好青年といった感じだ。

「でも、見覚えないかっていうと、そうでもないんだよなぁ」

 遊剛は首を傾げ、呟く。彼女に迎合してやったわけではなく、なぜかその写真からはかすかにデジャブを感じた。蟻坂という名の人物と関わったことはないし、聞いたこともない。蟻坂ありさかなる苗字が存在していることすら知らなかったのだ。しかし、この男の顔つきには何か引っかかるところがあった。幸薄そうで、浮浪者みたいにみすぼらしい笑顔を作っている。うーんと唸ってみて、アルバムを彼女に突き返した。

「やっぱり分かんないや」

 ふと、床に転がっていた偽の白バイのヘルメットが視界に入った。そういえば。

「じゃあこの蟻坂アキラが現金を奪う担当。君がヘルメットを作ったり、警官隊の制服を調達したりする担当ってことか。二人組なんだね」

 まぁそういうことにしてやるか、といった口調で遊剛は言う。事件が発生してからというものの、「自分こそが真犯人だ」と警察や新聞社に名乗り出てくる者が後を絶えないそうだ。悪名でもいいから目立ちたいという心情は理解できる。誰だってそう思うよ。俺だって。

「もう一人。三人組だったんだ。警察から制服とかを手に入れてきた、もう一人がいる。彼はある特技を持ってて、そういうことが得意だったんだ。木橋きはし えいっていうんだけど」

「へー」


 シュリは声色を変えて、ふと呟く。

「あのね、出原くん」

アルバムを閉じ、咳払いをした。 

「どうしたの?」

「私はここに罠を張って、証拠を隠滅するための囮を手に入れるために……ずっと待ってたんだ」

罠? 遊剛は鸚鵡返しに発する。

「君は五百円札に触ったよね」

「え? どういうこと」


「ごめん。出原くん」

 冗談の類いとしては、いささか深刻すぎる口調と顔つきだった。臨終を家族へ伝える医師、そんな印象を連想させさえした。

「私は、君を嵌めたんだ。そういう役割だったんだ。罪をなすりつけて、安全に逃げるための。蟻坂にそう指示されたんだ」

「まさか」

遊剛は笑った。

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