エスパー VS ジョン・レノン 2

 なごは駅前の書店に入った。客はまばらで、平日の昼間だしこんなものだろうと思い、ささやかな優越感に浸る。彼女は職業柄、一般的なサラリーマンとは異なったルーチンで生活している。

 新調しようと思っていた英和辞典のある棚をざっと眺めてみるも、めぼしいものはなかった。手持ち無沙汰になって、新刊コーナーに積まれた松本清張の小説を捲る。


 数ページ読み進めてたとき、肩に何かが軽くぶつかった。振り向く。

「あっ。すみません」

 後ろを通ろうとしたらしい、眼鏡をかけた若い女性は申し訳なさそうに頭を下げた。店内は狭い。肩と肩が触れ合ってしまうのは仕方ないことだと思い、和は軽く微笑み混じりに会釈したのち、読書を再開した。


「んっ」


 ページをめくった時、和は唐突に手に静電気のようなちくっとした痛みを感じた。反射的に後ろを振り返る。誰もいないし何もない。

 右手に異物感があった。眉をひそめつつ見ると、右手の甲に裁縫用のまち針が三本突き刺さっているのが目に入る。先程の彼女の持ち物だろうか。何かの拍子で刺さってしまったのか?

 それにしては。

 和は怪訝にそれに触れる。偶然刺さったというには明らかにだった。ケーキにロウソクを立てるかのように、それらの針は手の甲に垂直に刺さっている。彼女は本をそこら辺の棚に戻した。とりあえず、針を取り除こう。よく見ると、五ミリ程度まで刺さっている。ますます納得しがたい。

 ――

 それはあたかも身体の一部であるかのように、いくら力を込めて引き抜こうとしても、打ち込まれたように刺さったまま微動だにしない。和は息を呑んだ。無理に力を込めると、接合部からかすかに血が漏れ出した。思い切り引っ張ってみるも、びくともしない。


 言葉を失う。

 あまつさえ、ひとりでに針が深く深く、ズブズブと皮膚へ埋まっていくのだ。

あたかも

 和はその場から飛び退いた。

 まち針は次第に深く刺さっていく。一ミリ程度の針先のため、慣れてしまえる程度の痛みではあるのだが、右手に痺れが生じてきた。放置するのはまずいと直感的に思い、周囲を見渡す。

 狭い店内にいるの自分を除いて三人。居眠りをこいている店主と、岩波文庫を眺めている眼鏡をかけた若い女、そして競馬新聞を立ち読みしている中年の男。誰も何にも気に留めてはいない。

 この異変はに起こっているようだ。和は息を呑む。


 次の瞬間、首筋に熱を感じた。直後、それは鋭い痛みと化す。恐る恐る後方を確認した。

 ハサミ。

 開かれたハサミの刃が首の後ろに突き刺さったていたのだ。


「うぐっ!」


 ……? 背後は本棚だ。投擲ができるような場所ではない。もちろん、後ろから近づいて刺そうものなら、当然気配を感じる。

 呼吸が加速する。今までにないおびただしい出血に恐怖を煽られる。血と汗でシャツがぐちゃぐちゃになる。

 生暖かい血液が背中につたって、即座に冷える。ハサミの刃ははまち針と同様に、おのずと深く、皮膚を裂きつつ体内に沈んでいく。首の血管が切れたのだろうか、失血によって和は季節外れの寒さを感じた。

 背後に腕を回し、持ち手を掴む。またも、得体の知れない力によって押し込まれているこどがわかる。普通の紙切りバサミよりも一回りほど大きい。これは、裁縫で布を切るための裁ちバサミだ。

 和は目をしばたたかせた。まち針に裁ちバサミ。この書店にあるものではない。もしかすると。彼女は考える。


 店中にいる三人。そのうちの誰かが私をいるのか? 


 思案は強制的に中断させられた。和の鼻柱になにかがぶつかった。理不尽の連続に、彼女は現実感を喪失しそうになる。

 まるでディズニーのアニメじみた光景だった。棚に詰め込まれていた本がひとりでに持ち上がり、顔面を打った。直後、おびただしい本が、こちらに向かって突っ込んできた。ハトの群れる公園でスナック菓子をぶちまけたかのように。

 視界が大量の本で塞がれる。それらは身体にびっしりと密着し、引き剥がそうとしてもびくともしない。


 ――?


 よく見ると、本の他にも紙くずやカレンダー、画鋲、ネズミの死体なども、自分に向かって飛んできている。店内にある、ありとあらゆるものが無差別に彼女の方へ向かってきている。今私は力を身体に帯びている状態にあるのだ、と和は悟る。

 つまり。 


 和は深呼吸した。鉄っぽい血の匂いと古本の匂いの混合した、奇妙な匂いと一緒に空気を吸い込み、吐く。巻き上がっているホコリを吸い込んでも咳き込みはしない。冷静さが取り柄だ。

 同業者いわく。

 いつ何時でも冷静でなければカウンセラーという仕事は務まらないそうだ。

 不躾ではいけない。無関心ではいけない。

 ある人の心を開かせたい時。

 力づくで無理矢理『扉』をこじ開けてはダメだ。

 優しく、辛抱強く、反応がなくてもノックを続けなくちゃいけない。


 これは明らかに『能力』による攻撃――そして、私のとは違った種類の――だと、和は推測する。対象に『引力』を帯びさせる能力。それによって、針やハサミ、そして本を私へぶつけることによって攻撃を試みているのだろう。『引力』は身体の深層部に向かっていく。そのため、針やハサミもそこへ引き寄せられ、おのずと皮膚を突き破っていくのだ。


 後藤から話を聞くまで、この特別な能力ちからを持っているのはこの世界で自分ただ一人だけなのだ彼女は思っていた。

 実際のところ、東京都民にもそれなりの数がいると彼は言ったが――たいていの人間は自身になにか特殊な才能が身についていることを知ったとしても、それを口外しようなどとはまず思わない。専門技術を他者に明かさない職人がいるように、超能力を持った人間は『私は能力者です』と名乗ったりしないだろう。貴重な商売道具は企業秘密だ。

 つまり、誰もが能力者であり、自分の命を狙う刺客である可能性があるということ。

 後藤との面会のあとけられていたのか。彼は確かに、裏切り者には適切な処置を加えると語っていた。

 まさか、何らかの手段によって彼は私の思惑を暴き、即座に排除しようと刺客を差し向けたというのか。

 和は瞬時に思考を纏めた。嫌な予感はしたが、私の目的がこんなに早くバレてしまうとは。この仮定が正しければ、敵は店内にいる誰か。

 能力の強弱に性別や年齢は関係ないらしい。外観で判別はできない。

 とりあえず出口を目指し、逃げることを考える。今、店内はまさにだった。吸い付いてくるそれらを掻き分け、扉を目指す。客の女や老人の姿は見えない。

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