第8話
厨房には、あわただしく仕込みをする椿さんの姿があった。
「椿さん!」
俺がそう声をかけると、椿さんはこちらを見る。
その眼は、明らかに好意的ではなかった。
「……なんですか?」
「えっと、今お時間大丈夫ですか?」
「もう少し待っててください。仕込みの途中なんで」
「わかりました。食堂で待ってますから、終わったら来てください」
さすがに、手を止めてとは言えない。
おとなしく食堂で待つことにした。
耳を澄ますと、かちゃかちゃと調理をする音が聞こえる。
今夜の晩御飯は何だろう……。
そんなことを思ってしまうほど、ここの料理は美味しい。
しかも、すべて椿さんの手作りだというから驚きだ。
そういえば、どうして椿さんはここにいるんだろう。
これだけの腕を持っているならば、別の場所で働いていそうなものだ。
そんなことを考えていると、椿さんがいつもの服ではなく、私服で来た。
下は普通にコックの服なので、上だけ脱いできたようだ。
「コックの服じゃないんですね」
「服は船が来るときにしか交換できませんからね、厨房以外ではあまり着ないんですよ。それに衛生面のこともありますし」
つまり、コックとしてお客さんの前とかに出るとき以外は脱いでいるのか。
「それで、俺に何の話ですか?」
「今朝のことです。今朝のことは知っていますか?」
「ああ、聞いていますよ。葵が大変だったみたいで」
「かなりショッキングな姿でしたからね……」
その言葉を聞いて、椿さんもばつが悪そうな顔をする。
さすがに想像はしたくないだろう。
「それで、昨夜から今朝までのことを教えてほしいんです」
「探偵みたいだ……」
「フリーライターです」
思わず訂正してしまった。
さすがにみんなが知っているような探偵ほど、頭はよくない。
「昨日は……」
―― 椿 啓太の証言 ――
昨夜、料理を運んだあとはここで洗い物をしていました。
食器は葵が運んでくることになっていたので、俺はここで待っていました。
葵がすべての食器を運んでくると、その食器も全部洗って、それが終わってから部屋に戻りました。
時刻は……11時くらいですかね。
その日は、ルームサービスもなかったですからすぐに寝ましたよ。
「ルームサービス?」
「ホテルとかでよくあるじゃないですか、軽食とか夜食を注文するやつですよ」
「ここでもやってるんですね」
「すぐに出せて、保存のきくものしかやってませんけどね。こういう場所ですし」
「確かに……そうですね」
食料が定期的にしか運び込まれないこの島で、ルームサービス用の食材を確保していくわけにもいかないし、料理で使う食材を削るわけにもいかない。
そう考えると、なんだか納得できた。
「それにしても、結構時間かかりましたね。やっぱり一人だからですか?」
「自分達の分の食事もありますから、それが済んでから片付けるので結構遅くなるんですよ。葵が食べる時間も遅いですし」
「ずっとメイドのお仕事をしていますからね……」
「9時半頃にようやく片付け始められたくらいですから、それから鍋を洗ったり、皿を洗ったりしてましたから」
となると、1時間半かけて食器洗いをして、そのまま寝た……というわけか。
「その間は誰も来ませんでしたか?」
「厨房には誰も来ていません」
「厨房には?」
「食堂に誰か来てたとしても、気づかないんですよ。ほら、さっきも声をかけられるまで気づきませんでしたし」
「つまり、昨夜だれか食堂に来ていた可能性がある……ということですか」
「なくはないとおもいますよ。可能性は低いですが」
「可能性が低い?」
「みなさん、すぐに寝ちゃいますからね。それに、ここに来ても何もないので」
「わざわざここに来る理由がない……」
「そういうことです」
そういう気がしないでもない。
実際、本庄君以外は部屋で寝ていたようだし、彼がここに来る理由も思いつかない。
「もういいですか?」
椿さんはいやそうにそう言った。
どうやら質問攻めにうんざりしてきたようだ。
「それじゃあ最後に1つだけ」
「なんですか?」
「どうしてここで働いているんですか?」
「……!?」
ぎょっとした顔をする椿さん。
俺は、そんなに変なことを聞いたのだろうか……。
「ここに受かったからですよ。給料もいいですし、住み込みですからね。これでいいですか?」
早く切り上げてくれ。
そんな意志が伝わってきた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「それじゃあ、続きが残ってるんで」
そういうと椿さんは厨房の方へと消えていく。
その後姿が見えなくなるのを見届けると、俺は大きく深呼吸した。
これで全員の証言を聞き終えた。
彼は何を思い出し、どこへ向かったのか。
そして、なぜ3階から突き落とされたのか。
ここの部分がどうしてもわからない。
この中で誰かが嘘をついていることは確かだ。
でも、誰が……?
この状況下では、嘘をついている人間を突き止めることは難しいかもしれない。
なにか……なにか証拠がないと。
……いったん整理しよう。
彼は服はずぶ濡れだった。
それはつまり、彼は昨夜のうちに突き落とされ、死亡したと考えられる。
樋口さんの証言から、彼は遅くても11時までは生きていたことが確認されている。
死亡したのはそのあと。
それまで起きていたといっているのは、椿さん、向井さん、竹富さんの3人。
春奈さんは10時に、俺と真田さんは9時半までには寝ている。
だが、寝ていたと証言しているだけで、本当に寝ていたという保証はない。
ありえないことだが、俺も春奈さんも容疑者の一人だ。
嘘をついていないという証明はできない。
……一体、だれが犯人なんだ……!!
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