娯楽ではなく日常が欲しい
最近、取引先で自分と同世代の男性に名刺を渡すとき、左手の指輪の有無を確認してしまう。
「…と申します。よろしくお願いいたします」
軽い会釈から顔を上げたとき、目の前の男性が凡庸な人間であればあるほど、波留は毎回軽い絶望を味わう。どこにでもいるようなありふれた男性でも、人生を共に歩むパートナーを見つけることができる。それなのに自分は、好きな人との結婚はおろか、関係性の確認もできないでいる。
急に蒸し暑くなった7月末、中学時代の同窓会に参加するために地元に帰った。三年ぶりの同窓会では、クラスメイトの半分が結婚指輪をしていた。
「波瑠ちゃん、ちょっと何言ってるかわかんない。それって彼氏じゃないの?」
彼氏の有無を聞かれて、そんな感じの人はいるけど、と答えた。同級生たちは根掘り葉掘り、智と波瑠の関係性について聞きたがった。
「頭のいい人は考えすぎなんだって!」
5歳年下の女性と地元で結婚した男が言う。中学時代はヤンキーの部類だったが、今では双子の子供の写真を待ち受けにするようなパパになっている。
地元では、”彼女”は将来結婚する女性とイコールだし、”セフレ”は遊び相手で本気じゃないし、性欲発散に関しては単純に風俗というのが多数派だった。既婚者は嫁と子供に誠心誠意一途か、浮気がバレてお小遣いを減らされたか離婚する。
つまりはっきりしているのだ。曖昧な関係、と言うものがなかった。
智と波留のように、お互い特定の相手がいないのに付き合わず、セックスだけではなくデートもして(彼らは直裁的に「生理中に会うセフレってセフレなのか?」と表現した)、それが二年続いていることが理解できないようだった。
「付き合ってって言えばいいだけなんじゃないの?」
「それが言えたら苦労しないんだよねえ」
レモンサワーを煽りながら呟く。久しぶりに来たチェーンの居酒屋は、どれもアルコール度数が高かった。
波瑠だって、何度も何度も考えたことだ。でもその言葉は言えない。
週1回以上会うことを望まず、精神状態を健康に保ち、結婚の話を控えて。関係が壊れそうになるたびに修正して、やっと成り立っているような恋愛だ。
バーで聞いた智の言葉を思い出す。結婚を考えたことのある彼女は、「付き合うくらい好き」だった。波瑠はこれだけ逢瀬を重ねても、そのラインには達しない。付き合う気があるなら、とっくに智はそうしているだろう。
結局、最初から波瑠に対する智の思いは「それなりに好き」に過ぎないし、二年経つ今も変わらない。
智にとって、波瑠は”娯楽”だ。仕事や夢に差し障りのない程度に、週に1回程度に楽しい時間を過ごす相手。週に1回を永遠に繰り返すが、決して日常にはならない。
智は過去に結婚を考えた女のように波瑠のことを好きではないし、日常なんて自分一人で十分だと思っているのだろう。
大抵は金曜の夕食から土曜のブランチまでの約16時間、睡眠時間込み、楽しい時間を過ごす相手。それが波瑠だ。
電車を乗り継ぎ、東京の自宅へ戻る。家に着いた頃に、急に雨が激しく降り出した。窓を叩く雨音に、今日は台風が来る予報だったことを思い出す。
(娯楽じゃなくて人生が欲しい)
智との人生が欲しかった。智と日常を過ごしたい。
例えばこんな台風の夜、デートの約束をしていなくても智が横にいて、非常食料の確認を一緒にしたい。
彼が日常を共に過ごしたいと思った相手が彼女になるんだろう。それが波瑠ではない、ということだけは確かだった。
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