歳を取っても

誕生日祝いに波瑠が予約したレストランに、智が来なかった。


「ごめん!明日だと思ってたから、飲みの約束入れてて、もう飲み始めてる」


お互い日付を勘違いしていて、それに気づいたのは予約時間の20分前だった。早く着きそう、という波留のLINEを見た智が電話を掛けてきて判明した。

(落ち着かなきゃ)

震えそうになる声を抑え、声のトーンをあげる。

「だよね、わかった。誰か探すからこっちは大丈夫」

「そっか。このタイミングだとキャンセル料がかかるのか。それは払うから」

「ううん、どうにかするから。ありがとう。じゃあまた」


我ながら冷静だと思う。「いい子」だな、と。

電話を切った瞬間、涙が溢れた。すれ違ったカップルが、ギョッとした目でこちらを見た。表参道のライトアップされた道で、ボロボロと泣きながら歩いている女は惨目さが際立つ。気合いを入れたメイクもドレスアップも全部無駄だ。

予約の時間まで20分しかない。近くに住んでいる妹に電話をしたら、すぐに向かってくれるという。

コンビニのトイレに寄って、化粧を簡単に直す。LINEを見返したが、日付を間違えたのはどちらのせいとも言えなさそうだった。


「彼氏、どこで飲んでるの?遅れてでも来ればいいじゃんね」

同期の結婚式の帰りだった妹は、今日は昼も夜もフレンチのフルコースだわ、と笑った。突然半泣きで電話をしてきた姉に対して深刻にならず、軽く流してくれるのはありがたかった。

「まあ、残念なことに私の優先順位低いからね」


妹の気楽な反応によっていくらか楽になり、軽口を叩けるレベルには落ち着いた。

智は大抵いつも恵比寿か新宿で飲んでいる。今日がなんの集まりか知らないが、来ようと思えば来られたんじゃないのかと思う。

こういうとき、自分の優先順位を改めて自覚する。


(彼女だったら、今すぐ来て、と言えたのだろうか)

彼女と言う地位であれば、その権利がある気がする。


メインディッシュが出てきた頃に、智からの着信があったが出なかった。代わりに、何も気にしていない風にメッセージを送った。

「取り置きしてもらってたドライフルーツのパウンドケーキだけ今日渡したいから、飲み会終わったら連絡くれる?」


喫茶店に智が現れたのは23時だった。

「お誕生日おめでとう。はい、パウンドケーキ」

「ごめん、ありがとう。今日は結局大丈夫だった?」

「うん、妹が来てくれたから」

「そうか、よかった」


アイスコーヒーを頼み終わった智にさりげなく聞く。

「表参道まで来てくれてありがとう。今日はどこで飲んでたの?」

「ゼミの先輩と北千住で飲んでた」

北千住なら仕方がないな、と思った。千代田線で一本だが、店までは30分以上掛かる。


「…そっか、楽しかった?」

「久しぶりに会うゼミの先輩だったから盛り上がったよ。波瑠は?食事美味しかった?」

「そうだねえ」


智はヒステリーやメンヘラを極度に嫌う。元カノの何人かは、感情的になって彼に別れを切り出されていると聞いた。だから波留は、なるべく精神的に安定した女性を演じようと努力している。それでも、いつかのバーでのように泣いてしまうこともある。

それを智がどう感じているか、聞いたことはない。


「あ、波瑠、白髪」

カフェの後軽く飲みなおし、その夜は智の家に泊まった。朝方、抱き寄せられてベッドでまどろんでいると、智が日の光にキラキラと反射する一本の髪を救い上げた。

「えー、どこ?抜いてよ」

「抜いちゃダメなんだよ。切ってあげるからちょっと待ってて」

智はボクサーパンツを拾って履くと、PCの前からハサミを取って戻ってきた。そっと髪を掬い上げ、シャキンと切る。

「ありがとう」

台風が過ぎるとあっという間に20℃を下回る日が続き、うっすらと汗をかいた背中はすぐに冷えていく。自宅に帰ったらクローゼットから薄手のコートをひっぱり出さなくてはいけない。

「年取ってキレイな白髪になったら、やっぱり紫に染めたいなあ」

波瑠がブランケットにくるまりなおすと、智も潜り込んできた。

「波瑠は紫、似合いそうだね。俺はハゲたら坊主にするって決めてる」

「似合わなさそう…」

二人で笑う。

(歳を取っても一緒にいたい。一緒に歳を重ねたい)


寒さが終わって春が来れば、出会ってから丸三年になる。

月日も無駄に重ねれば、少しは情が湧くのではないかと考えている。彼の波瑠に対する感情から、愛は生まれなくても情が移れば、この関係性がまだ“セフレ”でしかなくても未来はあるかもしれない。






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