汚れた顔の天使

緑茶

汚れた顔の天使

 少女は木の枝で蟻をつぶしていた。手足がちぎられて狂い悶えるさまを、不思議そうに見つめている。

 その上に大きな影がかかって、少女は顔を上げた。


「こら。そんなことをしてはいけないよ」


 髭面の、恰幅のいい男だった。少女は枝を放り投げて、男に抱きついた。男はためらいなく少女を撫でた。

 

 瓦礫の街の外れにある、廃屋も同然の場所だった。二人はそこに住んでいた。


「いいかい」


 男は少女に向かい合ってしゃがみ込み、静かに言った。


「どんなに小さくても、それは生きてるんだ。苦しそうにしてただろう。人間も、ああなると同じような動きをする。それは嫌なことだろう」


 少女は首を傾げて、わからない、というような動きをした。


「そうか。……お前にはまだまだ、教えることが沢山ありそうだ」


 男はため息を付いて、背を向けた。大きな背中だった。少女はそれを、穴が空くほど見つめている。


「よし。決めた」


 男は言った。少女はまた首を傾げる。


「お前に、なにか生き物を買ってきてやろう。猫か、犬かだ」


 そうしてボロボロの玄関から出ようとする。

 ――少女が、後ろから彼の服を掴んだ。

 そして、小さな声で言った。


「かえってくる?」


 男は黙っている。少女はもう一度言った。


「……かえってくる? ちゃんと、かえってくる?」


 男は思案するようにしばらく黙っていたが、やがて首をちょっとだけ曲げて、小さく笑いながら言った。


「あぁ。もちろんだとも」


 それからドアノブに手をかけて、外に出ていった。

 少女はやはり、去っていく背中を見ていた。


 男が外に出て通りを歩いていると、やがて薄暗い路地に入った。

 彼の後方に、二人の男が歩いてきた。

 足を止める。

 それから振り返って、何かを言おうとした。


 炸裂音が響いた。

 男が、腹をおさえて蹲った。


 二人のうち一人が、拳銃を手にしている。銃口からの煙が、灰の空にのぼっていった。


 地面に顔をつけて泥だらけになっている男に、二人は近づいた。

 それから、一人が顔を覗き込むようにして言った。


「いずれこうなることは分かってたんだろ? えぇ、おい」


 もう一人も重ねて言う。


「お前だけで何人殺されたかわかったもんじゃねえ。逃げ切れるとでも思ってたのか」


 男は何も言わない。

 二人は苛立ったように顔を見合わせて、また吐き捨てる。


「……ふざけやがって、そのまま綺麗に逝けると思ってるのか」


「てめえは狂ってやがる。血を見なきゃ生きていけない手合いのはずだ。あのガキだってそうだろ? バラして、たっぷり楽しむために自分の所に引き込んだ。違うか……?」


 男は――顔を上げた。

 そのまま、くっくっと喉を鳴らした。笑っているのだ。


「この野郎……」


 二人のうち一人が逆上して、しまいかけていた拳銃をもう一度構えた。

 それから、撃った。片割れは止めなかった。


 轟音が何度となく響いて、男の身体はそのたびに跳ねた。

 薄暗い水溜りにどれだけ血が流れ出ても、男は抵抗しようとしなかった。

 ――やがて男は、動かなくなった。


「……ふん」


 溜飲を下げきったのか、二人はそのまま去っていく。

 それから、男の死体は闇の中に、ゴミと一緒に埋もれていって、誰にも見られなくなった。



 少女は、男の帰りを待ち続けている。

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汚れた顔の天使 緑茶 @wangd1

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