第36話 咲夜の過去

気高く、気丈な咲夜が見せた涙。

一目見ただけでそれは秋人の瞳に強烈に焼き付いていた。


「どうした? もしかして、痛いところでもあるのか」


 ぶっきらぼうな物言いながらも、いたわるように優しく声を掛ける秋人。そんな彼の問いに対し、咲夜は無言で首を横に振ると、


「違う……違うの」

 

 と言って、ついに泣き出してしまった。


(……えええ!? ここで泣く!? ちょ、どうすりゃいいんだ)


 思わず内心狼狽える秋人だったが、こんな状態の咲夜を他の人に見られてはいけないと判断し、とりあえず屋敷の中へと入ると咲夜の部屋まで送っていく。

 その間、背中から聞こえてくる嗚咽おえつを漏らす声が、秋人の耳の中に残っていた。

 ベッドへと咲夜を降ろすと、彼女は服の裾で涙を拭う。しかし、とめどなくあふれてくる涙は彼女の服を濡らし、ベッドに落下して染みを作っていく。

 そんな咲夜に秋人はハンカチを取り出すと、手渡した。


 安心したことで、徐々にその恐怖が現実味を帯びて感情的になってしまったのだろうか。あるいは、何か別の理由なのか。 

 とにかく、一旦落ち着くまで待った方がいいだろう……。それに、彼女の事だ。泣き顔を見られるのはとても恥ずかしいことのはず。

 そう考えた秋人は一旦部屋の外へと出ようとする。


 しかし……。


「ま、まって」


 一歩動こうとした時、秋人の服の裾が掴まれた。


「ん?」


「ここにいて」


「……いいのか?」


 咲夜は無言でうなずく。

 さっきの事件があったせいで1人になるのは心寂しいといったところだろうか。

 秋人はそのまま咲夜の隣に並び、ベッドへと腰かける。彼女から拒絶の意はなかった。 

 すすり泣く咲夜をよそに、秋人は何も話すことはせずただ静かに寄り添っていた。

 

 しばらくして、ある程度落ち着いたのか咲夜がゆっくりとこういった。


「……ごめんなさい、取り乱してしまって」


「気にすんな。誰だってあんなことされたら泣きたくもなる」


「別にそう言う意味で泣いていたわけじゃないのだけれど……」


「え?」


「ううん、なんでもない」


 そう言うと咲夜はおもむろに立ち上がる。その様子を秋人は目で追った。

 咲夜は一度息を整えると一言、


「……ごめんなさい」


 そう言って深く頭を下げる。


「私が寺島……いや竹中に騙されたとはいえ、貴方には大変な迷惑をかけてしまったわ……」


 ここで慰めの言葉を掛けることは容易だが、恐らく咲夜はそんな言葉を望んではいないはず。

 秋人は、咲夜の言葉に黙って耳を傾けていた。

 

「貴方は何でもないと言ってくれたけれど、私は自分自身が許せない……。あれだけ、自分1人で何でもできると言っておきながら、実際はこの様よ……」


 咲夜の表情に陰りが見える。そこには自分自身に対する不甲斐なさや悔しさといったものがあらわれていた。

 

「……そうだな。柊は1人で抱えすぎなんだよ」


「…………」


「なんで、そこまでして周りを頼ろうとしないんだ?」


「それは……」


 それは、咲夜の闇の核心に触れる質問だった。

 今まではプレイべートに関することは避けてきたが、ここまで来た以上後にはひけない。

 それに、今なら彼女は答えてくれるような気がしていた。女性が涙を見せる時というのは感情が素直に表れているという証拠でもあるからだ。


「お前がそうまでして他人を避けようとする理由を教えてほしい」


「――――」


 咲夜の目が大きく見開かれる。

 それが気付かれていたことに対する驚きであることは容易に読み取れる。


「…………そうね。貴方になら、言ってもいいかもしれないわ。でも、ちょっと話が長くなるかもしれないけど、大丈夫?」


「ああ」


「わかった。なら、教えてあげる。私は――」


 そうして、咲夜はゆっくりと語り始めた。

今まで頑なに話す事のなかった、自身の過去について――。



 


 


◇◇◇



―――8年前。まだ咲夜が9歳の時。


「咲夜~ご飯よー」


「はーいっ!」


 部屋で勉強をしていた咲夜は、母の朱美あけみから食事の支度ができたことを伝えられ、意気揚々と食堂へと向かう。

 既に両親は席へと着いており、美味しそうな料理の数々が並べられていた。


「おはよう、咲夜」


「おはようございます、お嬢様」


 父の俊之としゆきと護衛の優美ゆうみから挨拶され、咲夜も元気よく挨拶すると席へと着いた。


「朝から勉強してたのか?」


「うん、そうだよ!」


「偉いなぁ。けど、息抜きも忘れるんじゃないぞ?」


 俊之から頭を撫でられ、嬉しそうにする咲夜。


「わかってるよー。というか、それを言うならお父さんもでしょ!」


「父さんはいいんだよ。長時間労働は慣れてるからな! ハッハッハ!!」


「笑い事じゃないでしょう……」

 

 朱美からの冷静な突っ込みも、俊之は笑ってごまかす。


「でも大丈夫。私がお父さんとお母さんを絶対楽にさせてあげるからね!」


「咲夜……」


 その言葉にじーんときたのか、俊之が目元を濡らした。


「ちょっとあなた……。朝から何泣いてるのですか!」


「いやぁ、咲夜も嬉しい事を言うなーってしみじみと考えていたら思わず涙が出てしまったんだよ」


 そうしていつもの日常が始まる。

 幼いながらも、咲夜には既に将来両親の仕事を手伝い、忙しい彼らを少しでも楽にさせてあげたいという思いがあり、猛勉強していた。

 その甲斐もあってか、まだ小学生にして既に高校生レベルの知識をもっていた。

 しかし、柊家の仕事を任せるにはまだまだ程遠い。これからは座学に加えて経営者としてのエッセンス、心構え、上の立場としての立ち振る舞いも学ばなければならないのだ。しかし咲夜はその事は全く苦であるとは思わなかった。大好きな両親を手伝えるその日を待ち遠しく思っていたのだから。

 

「お嬢様。お顔にケチャップが付いております」


「え、どこどこ?」


「ここですよ」


 そう言うと、優美がハンカチを使い拭ってくれる。


「お嬢様は勉強の前にもう少しお食事の作法を学んだほうがいいですね」


「うー……気を付けます」


 護衛にたしなめられる主の図とはまさにこの事だろう。

 優美というこの女性は、咲夜が小学生になったころやってきた護衛だ。クールで、少し冷たい感じを醸し出していることから最初は苦手だった。

 しかし咲夜の事をいつも見守ってくれ、正しい方向へと導いてくれた。暴漢に誘拐されそうになった時には身体をはって守ってくれた。

 今でも主と護衛という関係である以上、多少の壁を感じるが、そんな知的で気高く、そして強い優美を咲夜はいつも尊敬していた。


 優しい両親と、自分をいつも見守ってくれる護衛――。

 彼らとの日々は咲夜にとってかけがえのないものだった。

 

 しかし、そんな咲夜にとっての黄金の日々はある日一瞬にして崩れ去る。



◇◇◇


 その日、咲夜達は旅行に出かけていた。

 忙しい両親が自分の為に休みをとってくれたこともあり、とても楽しみにしていた旅行。

 楽しみすぎて、思わず鼻歌を歌ってしまう程だ。はしたないからやめなさいと言われても、ついつい歌ってしまう。

 車の中で雑誌を読んでいると、隣に座っている優美が話しかけてきた。


「お嬢様、何を読んでいらっしゃるのですか?」


「んー? 美味しいものを売ってるお店が載ってる雑誌だよ。見てみて、これとかすごくおいしそう!」


 そう言うと、スイーツが載っているページを見せつけられる優美。

 まだお店に入ってすらいないというのに、既にその時の事を考えて上機嫌な咲夜に、優美は微笑んだ。


「なるほど。お嬢様はどれが食べたいですか?」


「このみたらし団子? っていうのがとっても美味しそうだわ!」


「みたらし団子……ですか」


「優美は食べたことあるの?」


「ええ。このお餅に掛かっている蜜がとっても甘くておいしいですよ」


「へぇ~そうなんだぁ。じゃあここは絶対に行こうっと」


 雑誌にペンでチェックを入れた咲夜。

 その後一行は宿泊先のホテルへと着き、荷物を置くと昼食をとることに。


「そうだ! 記念に皆で写真撮りましょ」


「あら、それはいいわね。皆で旅行なんて滅多にないものね。あなたもいいでしょ?」


「ああ、勿論だ。ちょっと待ってろ、俺のとっておきのカメラがあるんだ」


「またそんな無駄遣いをして……」


「な、これは無駄遣いではないぞ! カメラには無限の可能性があってだな……」


「はいはい、わかりましたから早く持ってきてください」


「うぅ……せっかくカメラの魅力を語ろうと思っていたところなのに」


 カメラの事を語りだすとゆうに1時間は止まらない俊之を知っている朱美が促すと、彼は残念そうにしながら部屋にカメラを取りに行った。

 間もなくして持ってくると、三脚にカメラを固定する。


「じゃあ10秒後に勝手にシャッターされるからなー。今のうちにポーズを決めておけよー」


「ポーズ? どうすればいいかしら」


「お嬢様。そこにいると顔が切れてしまいますよ」


 そう言うと、優美が咲夜の手を引く。

 

『デハ、トリマス……3,2,1……パシャッ』


 カメラの機械音声と共に、シャッターが切られると、間もなくして写真が出てきた。皆、写真を撮られなれているためか、一発で綺麗に映っている。


「じゃあこれは私の部屋に飾っておこうかしら」


 写真を咲夜の鞄の中に大切にしまった後は、咲夜が気になっていたみたらし団子を食べに行くことに。

 車で行くことも考えたが、すぐ近くにその店があることがわかったため、一行は歩いて行くことに。


――しかし、それがまずかった。


 見たことのない街道を歩くことが滅多にない咲夜は、あちこちへと興味深そうに視線をやっていた。

 そして信号待ちをしていると、咲夜は興奮げにこう言った。


「どれも初めて見るお店だわ! あれは一体何かしら。人だかりができているようだけれど」


 信号の先にあるお店を指差す咲夜に、優美は答える。


「あれはラーメン屋ですね」


「ラーメン? それは一体何なの? どこかのブランド名?」


「はは。違いますよ、ラーメンっていうのは――」


 キイイィィィィィッッッ!!!


 ――突如、地面とタイヤが思い切り擦れるような大きな音が聞こえてきたかと思うと、咲夜の目の前に、突如大きなトラックが迫ってきた。

 

「え――!?」


 頭の中が真っ白になっていた咲夜は、体が動けないままトラックに――

 

「お嬢様!!!」


――衝突する寸前、彼女は優美にその体を突き飛ばされていた。小さくて軽い咲夜の体は、大きく後方へと飛ばされ、そのまま近くの茂みへと叩きつけられる。


「うっ……!」


 続いて聞こえてくる、耳をつんざくような轟音と悲鳴。

 トラックが衝突したのだ。


「いつつ……」

 

 咲夜は立ち上がると、自身に何が起きたのかわからないまま呆然としていた。

 しかし振り返ると、その光景に絶句し、立ち尽くす。

 何故なら先程まで皆が歩いていた場所に、大きなトラックが突っ込んでいたのだから―――。






◇◇◇




 そこから先の事はよく覚えていない。

 ただただ茫然ぼうぜんと流れゆく時間に身を任せていたように思える。

事故を起こしたドライバーは飲酒運転をしていたらしく、赤信号を無視してそのまま法定速度を大きく超えた速度で走行。そして、ハンドル操作を誤り歩道へと突っ込んだという。

 轢かれた両親は即死。そして、優美も強く頭を打った衝撃による脳挫傷ざしょうで間もなく死亡した。

 柊家の突然の訃報に、マスコミが殺到したが、それらを跳ね除けて葬儀は身内のみで静かに行われた。


 ……そして事件の後、咲夜は葬儀にも参加せず部屋に閉じこもっていた。

 まだ幼い彼女にとって、両親と優美の死を受け入れることはあまりにも酷だったのだ。


「……お嬢様。食事をお持ちしました」


 外からダニエルの声が聞こえて来たが、ほとんど咲夜の耳には入っていなかった。


「お嬢様、もう3日も何も食べておりません。これ以上は、お体を壊してしまいます」


「……私の事は放っておいて……。今は誰とも話したくない」


「お嬢様……」


 ダニエルはかける声が見つからず、その場を去ることしかできなかった。


「お父さん……お母さん……」


 4人で撮った写真を眺めながら、咲夜は渇いた声を漏らす。

 この3日で、既に涙は出尽くしてしまったと思っていたが、まだ涙が止まらなかった。

 一度に3人もの大切な人を失った咲夜。その悲しみは例えようのないものだった。


 胸にぽっかりと穴があいたような気分。


 何もしたくない。


 あれだけ楽しかった勉強も、今は考える事さえ嫌になっていた。


「そっか……私が悪いんだ。そう、そうよね……」


 時間が経てば経つほど頭の中をよぎる負の感情のスパイラル。


 自分が旅行に行きたいとさえねだらなければ、旅行に行くこともなかった。

 優美が死んだのも自分のせい。彼女は咲夜を庇ったばかりに死んでしまった。

 自分が反応に遅れ、のろまだったせいで死なせてしまったのである。

 悲しみと同時に押し寄せてくる後悔の波。

 しかし、失ったものはもう戻ってくることはない。


「はぁ……はぁ……」


 咲夜は胸を抑える。急に胸が苦しくなったのである。

 

「苦しい……苦しいよぉ……」


 なんでこんなに苦しいのだろう。

 どうしたらこの苦しみから解放されるのだろう。


 どうしたら……。


 どうしたら……。


 …………。


「あ、そうか……」


 そこで、咲夜はある結論に行きつく。

 そして、それこそが現在の咲夜を形づける一番の要因だった。

 

「大切な人なんか作らなければいいんだ……」


 こうして咲夜が苦しんでいるのも、悲しんでいるのも、胸にぽっかりと穴が開いたような気分になっているのも、全ては咲夜が3人の事を大切に思っていたから。

 もしもこれが赤の他人であったとするならば、例え死んだところで何とも思わないだろう。


 大切だからこそ、失った時の悲しみが計り知れないのだ。





◇◇◇




 その事に気付いてしまった咲夜は、次の日から一変した。


 まるで、今までの事などなかったかのように、悲しんでいた素振りは一切見せず気丈に振舞うようになったのである。

 周囲の人達は立ち直ってくれたことにほっとしている様子だったが、徐々に咲夜の態度が以前のものとは異なることに気付き始める。

 それまで使用人に対しても人懐っこく、明るかった性格はなりを潜め、心に壁を作るようになった。笑う事は無くなり、態度も不愛想。そして辛辣しんらつな性格へと変わっていった。

 そんな彼女に耐え切れず、辞めていった使用人も少なくない。

 しかしそれでも咲夜は変わらなかった。

 

 もう2度と、あんな思いはしたくない――それが、咲夜が他人との関わりあいを避ける理由だった。


 

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髑髏神の後継者 リザイン @okazakihuragume

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