第35話 決戦の後で


 下に降りると、運転席に腰かけていたダニエルがこちらに気が付いた。秋人の腕の中で意識を失っている咲夜を見るなり心配げに、


「お嬢様は……!?」


 そう言って運転席から降りようとするダニエル。普段冷静な彼が、少々取り乱した様子なのは珍しい光景だった。

 秋人はダニエルがこちらにやってくるの制すると、


「大丈夫、気を失ってるだけだ」


 と言って彼を落ち着かせた。


「そうか……。奴は?」


「上でくたばってる。致命傷にはなっていないだろうが、半日は動けないはずだ」


 深手を負わしたとはいえ、後継者は常人の何十倍もの速さで回復するため、数日もあれば完治する。

 それは自身にも言えることだが、改めて考えると恐ろしくもあった。


「竹中はどうするんだ?」


 このまま放置すれば、回復した竹中が再び咲夜を襲ってくることも十分考えられる。捕まえるならば、早急に手を打つべきだろう。

 秋人の問いに、ダニエルが自身のスマホを指差すと、


「もうじきPECが来るだろう。寺……竹中は、彼らに回収をお願いする」

 

 どうやらダニエルが既に手配してくれていたようだ。

 PECに任せておけば、まず間違いなく竹中は逃げられない。手段はどうであれ、彼らは後継者用の警察と言っても過言ではないのだから。


「後の処理は私に任せておけ。お前はお嬢様を連れて先に屋敷に戻っていろ」


「いいのか?」


「ああ。これぐらいはしておかないと私の立つ瀬がないからな。

ただ、すまないが車はさっきの衝撃で故障した。だから私の部下に車を寄こさせよう」


 確かに、車のボンネットは歪み、フロントガラスやライトにも亀裂が入っているため、とても走行できる状態ではない。ここは素直に厚意に甘えておくことにした。

 

――それから数分ほどたって、エンジンを吹かした音が聞こえて来たかと思うと、向かってきたのは黒い車。

 ボンネットには、PECであることを示す紋章エンブレムが彫られているため、誰が来たのかは言うまでもなかった。

 

「お待たせして申し訳ありません」


 中から出てきたのは、この間も見た眼鏡の女性――植野だった。相変わらずピシッとした黒いスーツに身を包み、赤いハイヒールを履いているが、あんな服装で戦いにくくはないのだろうか?

 植野は、周囲を見渡したのち、天井へ顔を向ける。


「どうやら2階で倒れているようですね」


「まだ何も言ってないのに、よくわかったな」


「彼の神気ディアオーラが僅かに感じられましたので。ですが、かなりの致命傷を負ったものと考えられます。貴方がやったのですか?」


「ああ。そうでもしないと、こっちが殺られそうだったんでな。まずかったか?」


「いえ。ですが、後で事情聴取はさせていただきます」


「わかった」


 そう言うと、植野は秋人の腕の中で眠る咲夜へと一瞬目をやったが、特に何も言う事はなく車へと戻る。

 そうして後部座席のドアを開けると、中から1人の少女が降りてきた。

 

「うわー何ここ。きったないねー」

 

 特徴的な甲高い声。左目に黒い眼帯をかけており、少々露出度の大きめな服装をしている。

 以前にも会ったことのある牧瀬だった。


「回収したらすぐに出るから我慢しなさい」


「えー……って、あっ!」


 植野がたしなめると、牧瀬はわかりやすく嫌そうな顔を浮かべた。

 しかしこちらに気が付くと、その不快そうな表情はなりを潜め、パッと満開の笑みを浮かべる。


「この間のお兄ちゃんだぁ。やっほー、元気―?」


 と言っておおげさに手を振ると、こちらに向かって駆け寄ってきた。


「あっこら、牧瀬――!」


 植野の制止の声も聴かず、牧瀬は秋人の目の前で急ブレーキをかけるようにして止まる。


「えーっとあんたは……」


 腰に差した2振りの刀にちらりと目を向けながら、秋人が言った。


「ゆあだよ、牧瀬ゆあ! なんでお兄ちゃんがここにいるのぉ?」


 この間は苗字しかわからなかったが、どうやらこの少女、名前はゆあというらしい。

 

「ああ、それは――」


 と言って秋人が説明し始めようとした時、牧瀬の頭がはたかれた。


「あぅっ! いたーい。もう、何するのよー」


 叩かれた箇所を手でさすりながら、恨みがましい目つきで植野を見る牧瀬。


「外部の人間とあまり馴れ馴れしくするのはいけないと言ったでしょう。

秋人様、牧瀬が出すぎた真似をして申し訳ありません。……では」


「あっ、ちょ、引っ張らないでよ~~」


 そう言うと、植野が牧瀬を引っ張るようにして連れ去っていってしまった。

 2人が行ってしまった事で、室内に再び静寂が舞い戻る。

 そこで、牧瀬達が来てから一度も言葉を発しなかったダニエルがこんなことを言ってきた。


「随分あの少女と仲が良かったみたいだが……知り合いなのか?」


「いや……。この前初めて会ったばかりだよ」


 秋人の記憶の範疇では、牧瀬と今までであったことなどない。だから、なぜ彼女がああも親し気に話しかけてくるのかがよくわからなかった。

 別に悪い事ではないとはいえ、やはり気になるところではあるだろう。


「そうか……。だが、あの少女には気を付けたほうがいい。彼女からは、どこか危うさを感じる」


「あんたに言われなくとも、俺はこの間それを体感したよ」


 眠たげな表情をし、その声色からは想像もつかないが、あの少女の実力は確かだ。

 実力が未知数な相手程怖い物はない。敵に回せば確実に厄介な事になるだろう。 

 そんな日が来ない事を今は祈るだけだ。


「ふむ……。まあ、油断していないのならいい」


 その後、程なくしてダニエルが手配した車に乗り込んだ秋人は、腕の中で眠る咲夜を載せたまま、屋敷へと戻っていった。






◇◇◇



 車の中でも、咲夜が目を覚ますことはなく、1時間程で屋敷に到着した。

 そして咲夜をおんぶしたまま、屋敷の門の中へと入っていく。

 

 規則正しく息をしているものの、未だに目を覚まさない咲夜。流石にそろそろ目を覚ましてもいい頃だが……。

 まさか、竹中が何か施したのだろうか。

 とはいえ、彼の能力は単に相手を鏡写しに変身するだけだ。精神干渉の能力など持っていない。だから、単に気を失っているだけなはずだが……。

 そうして咲夜が目を覚まさないか、確認しながら歩いていると、


「ん……」


「お……」


 身じろぎしたかと思うと、咲夜がゆっくりと目を開けた。

 ようやくのお目覚めだった。


「よう。気分はどうだ」


 秋人が首を横に向けたことで至近距離で目が合った咲夜。


「あれ……どうしてここに」


「何だ、寝ぼけてるのか?」


 まだ意識がふわついているのか、咲夜は寝ぼけ眼だった。

 どうやら状況がみ込めていないらしい。

 しかしやがて意識がはっきりしてくると、


「えっ……あ、えっ!?」


 現在自分がどういう状況なのかを理解したのか、秋人の背で激しく動く咲夜。


「お、落ち着けっ! 暴れたら、落ちる!」


「あ……う、うん……」


 てっきり、鋭い言葉が飛んでくるのかと思ったが、予想に反して咲夜はすぐに大人しくなった。その事に驚きつつも、秋人は言葉を投げかける。


「痛いところはないか?」


「少し頬が痛むけれど……大丈夫」


 そう言う咲夜の頬は、竹中に叩かれたためか少し腫れていた。しかし、それ以外の外傷は特にみられないので、ほとんど無傷といっても問題はないだろう。

 とりあえず、本人から大丈夫だという言質を取れたことにほっとする。


「……あいつはどうなったの?」


 至近距離で聞こえてくる咲夜の声。

 それを新鮮に感じつつも秋人はこう答えた。


「竹中はもうPECに回収された。だから、お前が気に病むことは何もないぞ」


「そう……」


 そう言うなり、黙ってしまう咲夜。

 しばらく、無言の時間が流れる。

 そうこうしているうちに、屋敷の入口前にまでやってきた。

 扉を開けようとすると、そこで咲夜がぽつりと口を開けた。


「……どうして」


「ん?」


「どうして、私を助けてくれたの?」


 咲夜の絞り出すようにして出た声。

 聞くのが不安だったのか、恐る恐るといった感じであった。


「勘違いとはいえ、あんたに酷い事を……」


「……あーあれな。確かにあの時はビビったぜ。いきなり屋敷に入れなくなったあげく、ダニエルや竹中に追われるんだもんな」


「そう……私は、あんたを解雇したのよ……。だから、私を助ける義理なんて――」


「義理? あいにくだが、俺はそんな事で動いたりはしないぞ」


「じゃあなんで――!!」


「助けたいと思ったから」


「――っ」


 咲夜の目が見開かれる。

 それは、秋人が考える最もシンプルで、簡潔な返事だった。咲夜の護衛だから、だとか、義理だとか、そういった建前ではなく、純粋に咲夜を助けたい――その思いだけで竹中から救いに行ったのである。

 屋敷の中へと入ると、秋人は続けてこういった。


「……それに、結局竹中が柊を騙す形で仕向けただけだ。

 ――だから、お前が気に病む必要はない」


 そう、咲夜は何も悪くない。彼女はむしろ被害者なのだ。

 竹中の私欲の為に利用され、心も身体もダメージを負ってしまった。拘束されている間に、竹中に何を言われていたのかは定かではないが、あんなことをされて精神的にダメージを受けない人はいない。

 事実、咲夜の声はどこか疲れている様子だった。

 これからは、そのケアもやっていく必要は十分あるだろう。


「…………」


 咲夜は黙ってしまった。

 彼女がどんな表情をしているかがわからないため、何を考えているのかもわからない。

 とはいえ、秋人は本音をぶちまけたつもりである。

 自身を追い出し、いらぬ冤罪を掛けられたことについては全く怒ってないし、むしろ咲夜の事を心配していたぐらいだ。

 しかし、当の本人がそれを素直に受け止めるかどうかは――


(ん……? なんか冷たいな……)


 秋人は、ふと自身の肩が湿り気を帯びている事に気が付く。

 続いて静かに聞こえてくる嗚咽の声。

 どうしてかと思い、振り向くと―― 


「み、みないで――!!」


 咲夜が秋人の頭をひねり、強制的に前へと向かせる。


 しかし、その一瞬は秋人にとっては十分すぎる時間だった。


 何故なら秋人は見てしまったのだ。


 


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