第34話 決戦 下


「逃げた……?」


 周囲に目を凝らすが、しんと静まり返った室内からは、竹中の気配どころか神気ディアオーラすら感じられなかった。

 この一瞬の間に彼にそれほどの芸当ができたことを驚きつつも、次の一手を冷静に考える。

 あの傷ではそう遠くへはいけないはず。ゆえにまだこの建物内に潜伏している可能性は高い。

 そのうえ、彼の鏡刃スペクルムはこっちの手にあるのだ。この刀が無ければ竹中は神力を引き出して戦うことはできないため、必ず取り戻しにやってくるだろう。


「俺は建物内を捜索する。あんたはここで待機していてくれ」


「ああ」


「それとその刀を貸してくれ。竹中の事だ、絶対に取り戻しに来るだろう。刀を持ってたらあんたが襲われちまうぞ」


「わかった。気を付けろ……というのは野暮なのだろうが、お嬢様を頼む」


 その言葉に頷いた後、ダニエルから鏡刃スペクルムを受け取った秋人は、咲夜を探すため足早に移動した。

 薄暗く視界の悪い廊下を、警戒しながら走る。

 油圧式プレス機やベルトコンベアーの横を通ったのち管制室を抜けると、やがて事務室らしき部屋が見えてきた。

 そうして一つ一つ部屋の扉を開け、中を確認していく。扉は、油が切れているためか開け閉めするたびにキィ……と鳴り、静かな室内に音がこだました。

 

「どこだ……」

 

 しばらくして1階は全て見終わったものの、結局竹中を見つけることはできなかった。

 

「……となると後は2階か」

 

 階段を上ると、先程よりも更に長い廊下が続いていた。

 中が意外と広い事にげんなりしつつも、しらみつぶしに探していくしかない。

 音を立てず、気配を消しながら確認していく。


 やがて、〝危険、従業員以外立ち入り禁止〟と赤いペンキで塗られた扉にまでたどり着いたところで、秋人は足を止めた。

 

「…………」


 この扉の中から僅かな神気の流れを感じ取っていた。

 つまり、この中にいる可能性は高い。 

 秋人は恐る恐る扉に近づく。


 ――すると突如、扉が開かれたと思うと、中から人が飛び出してきた。


「え……?」


 ずっと気を張っていた秋人は、そこにいた人物に思わず驚く。

 何故ならそれは、咲夜本人だったからだ。

 彼女は必死で逃げて来たのか、服は土にまみれ、息を切らしていた。


「よかった……ここにいた……」


 秋人を見るなり、安堵の息をつく咲夜。


「何があった?」


「え、ええ……。あいつが急に私の鎖を解いたかと思うと、ここの奥に閉じ込めたの。でも、隙をついて逃げて来たわ」


 隙をついて……? 竹中がそんなへまをするのだろうか。

 とはいえ、彼もだいぶと冷静さを欠いていた。だから咲夜に逃げられてしまう程の隙ができてしまったのかもしれない。


「そうか……。じゃあ、竹中はこの奥にいるんだな」


 扉を睨みつけるようにして見ながら言った秋人。

 咲夜は、焦りを混じらせた声色でこう告げた。


「ええ。早くしないと追いかけてくるわ! 逃げましょっ」


 そう言って秋人の腕をひこうとする咲夜だが、彼はその場から動くことはない。

 更に、こんなことを言った。


「柊。お前はダニエルのところへ行って、車で逃げるんだ」


「え、じゃああんたはどうするの?」


 秋人は夜叉髑髏に視線をやると、ゆっくりとこう告げた。


「竹中をこのまま野放しにしたら、また柊を襲いに来るだろう。だから、ここでけりをつける」


 秋人が言うと、咲夜はあまり驚いた様子もなくすぐに理解したようで、


「…………そう、わかった。……なら、それ持ってると戦う時に邪魔でしょ? だから私が預かっておくわ」


 と、秋人が左手に持つ鏡刃スペクルムを見つつ言った。

 確かに、これを持ったまま戦うのは不利だ。

 しかし、咲夜に持たせても大丈夫なのだろうか?

 髑髏神に問いかけるものの、それに対する返答はない。

 

(……ま、持たせるぐらいなら大丈夫か)


「わかった。じゃあ、頼――」


 と、言いかけて秋人はぴたりと言葉を止めた。

 その視線は、咲夜の胸元へと向けられている。


「…………」


「どうしたの?」


 突然黙った秋人に、疑念を抱いた咲夜が小首を傾げる。

 しかし彼は首を振ると、


「……いいや、なんでもねぇ。じゃあ、持っててくれるか」


 そう言うと、秋人は咲夜に鏡刃スペクルムを渡した。


「ありがとう」


 咲夜は鏡刃スペクルムを受け取ると、


「――じゃ、さようなら」


 ――突然彼女は秋人の喉元を突きにかかった。

 

 その速度は視認することすら不可能で、まるで最初から狙っていたかのような動きだ。

  

「―――ごはっ!?」


 しかし、突かれたのは秋人ではなく、

 鏡刃スペクルムは、秋人の喉元わずか数センチといったところで止まっていた。

 腹部を貫かれた咲夜は、自身が刺されたことに目を真ん丸にして衝撃を受けている。


「あぶねぇ……間一髪だった」


「なん、で――」


 口から血を吐きながら、声を絞り出す咲夜。その表情は苦悶に満ち溢れている。

 

「完璧に相手の姿になれる、と言ったがお前の認識が甘かったな」


「っ……!?」


「……ほくろの位置が違うぞ」


「ほ……くろ……?」


「ああ」


 ――それは秋人が護衛について最初の日のこと。

 

 咲夜と初めて出会った時、秋人は浴室で咲夜の生まれたままの姿を見ている。そして、その際に右胸にほくろがあることを確認していた。

 それを思い出したのである。

 

 秋人が鏡刃スペクルムを渡す際、思わず硬直したのは、ほくろの位置が全く逆の位置にあったからである。

 すなわち、目の前にいる咲夜、もといには左胸にほくろがあったのだ。

 そのことから考えられること、それは――


「どうやら、お前の能力は相手の姿になれる……ではなく、


 だからこそ、鏡写しに変身した竹中には右胸ではなく左胸にほくろができたのである。

鏡であるが故の弱点。一見すれば、まず間違いなく気が付くことはないだろう。

 しかし、見ていなかったようで秋人は咲夜の特徴をきちんととらえていた。

 とはいえ、もしもさっき咲夜に鏡刃スペクルムを渡す際に気付いていなければ、秋人はそのまま竹中に刺されて致命傷を負っていただろう。

 まさに間一髪といったところだった。

 

「ぐ……」 


 まさかそんなことで偽物だとバレるとは想像もしていなかった竹中は、歯を食いしばり秋人を憎しげに睨むだけだ。変身も解けてしまっているうえ、彼の力の源である鏡刃スペクルムは力なく地面に横たわっている。

 もう攻撃する力もほとんど残っていないだろう。意識を保つことも難しいはず。

 しかし、秋人には最後にもう一つ彼に告げたいことがあった。


「けどな……お前が偽物だと判断した理由はもう一つある。本物の柊はな、もう少し愛想のない顔をしているぜ。柊を誘拐する程好きなくせして、そんなこともわからないとはな」


 竹中が変身した咲夜は、実際本人とほぼ差し支えない程同じ顔、体をしていたが、秋人は腑に落ちない違和感のようなものを抱いていた。それは咲夜の表情。いつもの彼女に比べ、幾分明るい表情に見えた事に、勘の鋭い秋人は気になっていたのだ。とはいえ、やはり決定打になったのはほくろの位置だが。


「…………くっ……」


 完璧な、竹中の敗北だった。秋人の方が一枚上手だったのである。

 竹中はそのまま崩れ落ちると、変身が解かれ、意識を失った。

 腹部を刺された竹中は重症だが、後継者の生命力を考えれば、死亡とまではいかない。風之神の時と同様、PECに回収してもらい、然るべきところで反省してもらうべきだろう。


 秋人は同化した夜叉髑髏を解くと、竹中を越えて扉の奥へと入っていく。

 咲夜は、奥のソファで眠るようにして横たわっていた。

 思わず背筋が凍りつく。


「柊っ!」


 駆け寄ると、胸に手を当て脈を確認する。

 

「よかった、生きてる……」


 秋人は安堵の息をつくと、意識を失った咲夜を抱きかかえた。

 彼女の服はところどころが破け、下着が露出している上、髪も砂やすすで汚れている。

 それらを撫でて優しく落としてやると、秋人は咲夜を抱えたままダニエルの元へと向かった。

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