第22話 晩餐会の後で


 ギリギリ終電に間に合い駅に着いた秋人は足早に家へと向かう。

 車もほとんど通らない静かな並木道を突っ切った後、近道をするべく河川敷の上を歩く。

 草むらからはカエル蟋蟀コオロギの合唱がやかましいほどに耳元をつんざき、その他には秋人が砂地を蹴る音しか聞こえない。

 当然人の気配などはなく、舗装ほそうされてない砂利道が延々と続くだけである。


「ふあ……」


 街灯すらない真っ暗な河川敷の上を通りながら、秋人は眠そうに欠伸した。

 時刻は午前1時を回っている。明日は休日だが、ダニエルとの契約がある以上早朝から咲夜の屋敷に向かわないとならない。


(そういや、柊を護衛するのもずっとじゃねえんだよな……)


 最初に交わしたダニエルとの契約の1つには、当然咲夜を護衛する期間というものも含まれていた。しかし当然だが一生というわけにはいかないため、あくまで短期間ということになるのだが……


(でも7日は流石にはやすぎるだろ)


 過去の仕事において最低1ヶ月は護衛していた秋人にとって、1週間という短い間での護衛はある意味初めてであり驚いたものだったが、これだけ短い期間での護衛にはある理由があった。


◆◆◆


 元々ダニエルはPECのメンバーの1人に依頼し咲夜を護衛させていたものの、その護衛がある日咲夜の護衛を終えて1人で帰宅中、

 重傷を負わされた護衛曰く、気が付いた時には病院のベッドの上だったらしい。

 その後、神羅万象から別の人が派遣されてきたがその者も闇討ちされたという。

 更にその後継者は自身の意識が落ちる寸前、相手の顔を見ていたらしい。

 だが、そいつは全く見覚えのない中年の男だったという。

 

 何故咲夜ではなく護衛ばかりが狙われたのか。

 更に闇討ちされたタイミングが両者ともに帰宅途中であったということ……それらを考慮した結果、犯人は咲夜達をずっと尾行し護衛が1人になるのを待っていたのか、あるいは、帰宅する時間を知っていてその時間を見計らい、1人になったところを狙ったのかといったところだった。前者はともかく、後者の場合、そんな事を知っている人物はある程度限られてくる。

 だが、怪しいと思われる人物の中に中年の男は誰もいなかったことで、結局犯人を見つけ出すことができなかった。


 更にその後、その事件が発端となって色々と揉めたようだ。それは、咲夜が誰かを雇って闇討ちさせたのかではないのかという、何の根拠もない信頼性の欠けた発言がきっかけだった。咲夜は常々他人を排斥はいせきしており、護衛も当然ながら対象に含まれていたため、排除しようとしたのではないか? というのがPEC側の言い分だった。

 しかし、いくら辛辣しんらつな咲夜といえどもそんな暴力的な手段には訴えないと主張するダニエルとで対立が深まり、揉めた結果、この件が片付くまではPEC側は手を引くと言ったのである。咲夜が疑わしい以上、それを潔白だと証明するまではPEC側は手を貸さないという事だった。

 困ったダニエルは、すぐに後継者でかつ護衛ができる者を探した。それで秋人に白羽の矢が立った……というのが真実である。どうやって秋人にまでたどり着いたのかは不明だが、彼の情報網が太かったのだろう。

 

 そしてそれを聞いた時、秋人は様々な感情を抱いていた。まず1つには、精鋭集団とされているPECがこうもあっさり闇討ちされてしまうという情けなさ。挙句の果てには言いがかりをつけてくるというチンピラにも似た浅はかさだった。

 この間咲夜が怪我をした時といい、やはり神羅万象は悪印象しかない。この街の治安を守ってくれているとは言うものの、その実態はほとんど不明。結局回収されたあの男子生徒が今どうなっているのかもわからないのだ。

 考えれば考える程腹立たしい気分になるが、一方で彼らに逆らう事は得策ではないことも事実。うまく目を付けられずに、やり過ごすのが現状の最善策だろう。


「……そういや、今の俺の状況も似てるんだよな」


 秋人が現在置かれている状況は、彼らが闇討ちされた時と酷似こくじしている。


 真夜中。


 1人。


 そして周囲には誰もいない。

 狙うとすれば、絶好のチャンスだろう。

 とはいえあからさますぎて、わざとおびき寄せようとしている風に見えてもおかしくはない。警戒心の強い相手ならば、逆に怪しむはずだ。

 実際にはそんな事はなく、ただただ普通に帰宅しようとしているだけなのだが。 


 ――そんな事を考えていたからだろうか。

 

 ふと、秋人は何かの気配を感じ、その場に立ち止まった。


「…………」


 後ろを振り返るが、夜闇が続くばかりで視界はほとんど見えないと言っても過言ではない。だが、誰かが近付けば気付くぐらいの警戒心は持ち合わせている秋人は、一瞬感じた違和感に目を細める。


(誰かいたような気がしたんだが)


 そんな違和感を覚えつつも秋人は再び歩き出すと、しばらくして近くの橋にまでたどり着いた。

 ここまでくれば後はもう寮まで目と鼻の先の距離である。

 足早に橋を渡っていく。鋼鉄の骨格にコンクリートで固められた強固な橋だが、かなり年数がたっているのか、ところどころ錆びれ、コンクリートが剥がれて骨格が剥き出しになっている部分などもある年季のある橋でもある。この橋を越えなければ、数百メートル程先にある橋まで大回りしないといけないため、ぼろくてもこの橋を渡っていた。


 そんな橋を半分ほど渡り終えた頃。

 

 秋人はまたしてもその場に立ち止まった。

 聞こえてくるのは夜風に揺られてカサカサとなる草木の音と、橋の下を流れる小川の音だけだ。それ以外に、不審な事はない。

 のはずだが―― 


「…………」


 ――刹那――秋人は首元に左手を当てると、夜叉髑髏を召喚し、素早く硬質化させた。


 それと同時に彼の首元を一閃――猛烈な風圧と共に太刀が襲いかかる。


 キイイィィィンッッッ!!


「―――っ!?」


 驚いた声をあげたのは、


 金属同士が激しくかち合う音が鳴り、すぐさまその音が遠ざかった。相手が距離を取ったのである。

 秋人は素早くその方向を振り返ると、体勢を立て直した。


「…………」


 そいつは全く見覚えのない男だった。

 ブルドッグのように垂れた頬肉に、揉み上げまで生えた無精髭。よれよれのグレーのジャージを羽織り、手には鋭利な短刀を握っている。禿げ散らかった前頭部は、橋に備え付けられていたわずかな灯りを反射し、その存在感をあらわにしていた。

 それはダニエルから聞いた、闇討ちしてきた男の特徴と類似していた。

 

「まさか、仕留め損ねるなんて……って顔してんなーお前」


「……」


 男は答えない。ただただ鋭い眼光をこちらに向け、いつでも首元を掻ききろうとせんばかりにすきうかがっているだけだ。


「で、お前誰だ? 見たことねえつらだな」


 秋人の目が細められる。

 しかし、それに対する返答はない。

 それどころか、男はこちらに猛スピードで向かってきた。問答無用ということらしい。ただ、その表情に少し焦りのようなものは感じられた。それはやはり、初撃をあっさりと受け止められてしまったからだろう。

 血気迫る男の表情に、秋人は若干気圧されつつも、振りかざされた短剣を正面から受け止める。

 その衝撃波に橋が揺れ、地面にひびが入った。

 まるでつばぜり合いのような形になると、秋人は手元を少し震わせ、軽く笑みを浮かべながら言った。


「おいおい、目泳いでんぞ? 動揺してんのか? 」


 挑発するかのような秋人の言葉に、男は眉をぴくつかせる。

 秋人が手を引き、横薙ぎに放った一閃を、男は寸前のところで実を翻してかわすとこちらに向けて前蹴りを放った。

 中年とは思えない軽やかな動きに、思わず舌を鳴らす。

 しかし男の蹴りは空を切った。

 秋人がジャンプしてかわしたのである。そしてそのまま回転しながら、男の背後へと回ると、


「残念だったな。ほら、プレゼント……だっ!」

  

 声を張り上げながら、秋人は黒い神気ディアオーラを右手にまとわせ硬質化させると、そのまま腰を深く落とし鳩尾みぞおち目掛けて正拳突きを放つ。

 まともに喰らえば、一発で意識を失う程の一撃だが、男は瞬時に手をクロスさせ腹部を防御した。


 ズガガガガァッッ……!!

 

 地面と足が摩擦によりすさまじい音を放ち、砂などの粒子を撒き散らしながら男は後方へと後ずさっていく。


「ぐぅっ……!!」


 そこで初めて、男は痛みに顔をしかめた。


「ま、とりあえず……お前のせいでうちの主が疑われてんだ。誰かは知らんが、逃がさねえぞ」


 男の方へとゆっくり歩きながら、秋人はそう言った。

 手をだらんと下げ、うつむきながら、荒い息を吐いている男は、秋人の一撃で、失神はまぬがれたものの、腕が折れてしまったようだった。その際短剣も弾かれてしまったようで、男の手には何も残っていなかった。

 勝敗は既に決まったようなものだった。






 だからこそ、秋人は少し油断していたのだろう。






 プシュー―――ッッ!!


 突如、男の全身から白い霧が発生したかと思うと、秋人の視界は真っ白に包まれた。

思い切りその霧を吸い込んでしまい何度も咳込む。


「ち――ゴホッゴホッ!!」


 すぐさま秋人は、霧の外まで距離を取った。

 白い霧は、橋全体をおおう程に大きくなり、それは近くにあるマンションにまで届こうとしていた。


煙幕えんまくか……中々いきなことするじゃねえか」


 こうなった時を見越して備えていたのだろう。

 男の気配ももう感じられないことから、既に逃げたものと秋人は結論付けた。


「ちぃ……あと少しだったんだが」


 取り逃がしてしまったというのは中々痛い事だが、犯人の顔はある程度覚えた。

次もし見つけた時には今度こそ捕獲してやる……秋人はそう決心すると、


「一応ダニエルに報告しとくか」


 そのまま帰路につきながら、携帯を取り出しダニエルを呼び出すと事情を説明するのだった……。

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