第20話 乾杯
「スパイとは
「そっくりそのまま言葉を返してあげる。私が当主になった暁には、あんたには一生地べたに
「ふ……お前が当主になれば柊家は終わりだ。柊家に求められるのは未来を見通す推察力。強欲なお前の濁りきった目では、未来どころか現在すら見通せないだろう」
「高広こそ。ハニートラップに引っかかるような男に当主は任せられないわね。それに濁り切った目ですって? はっ、あんたの目こそ濁りまくりじゃない」
両者一歩も譲らない
お互いに闘志を剥き出しにし、いつ戦いが始まってもおかしくない。
しかし、人前なのかそうなのかはわからないが最後の一線は越えることなく、睨みあったまま両者は動かなかった。
その状態のまま数分が過ぎた頃。
――突如周囲が暗くなり始めた。
それと同時に、騒がしくなっていた会場が、静まり返る。
「ん? なんだ、停電か?」
「いや……違うわ。あれは――」
入口の方を向いている咲夜を見て、秋人もそちらへと体を向けた。
周囲の人達も、その方向を見て黙ったままだ。
一体何が始まるというのか。秋人も興味ありげに何かが起きるのを待っていた。
やがて、カツ……カツ……という音を鳴らしつつ、入口から1人の大男が姿を見せた。
昔ながらの
2メートルはありそうなぐらいの巨体は、ガタイのよいダニエルを更に上回る。
長く伸びた針金のような白髪はワックスで固められており、右目についた刃傷が特徴的だった。
その眼は全てを見通しそうなぐらい鋭い目つきをしており、鬼剃りされた眉もさながら、街のゴロツキも一目で逃げ出す程に人相が悪い。
そして、その老爺は葉巻を口に加え、同じく背の高い護衛に火を付けさせた。
「…………ふぅ。高広と静香は相変わらず仲が悪いのぅ」
そしてそのまま高広と静香の元へと向かう。
その道をどかない者は誰もいなかった。
彼の周囲には、4人の護衛が張り付いており、誰も近づけさせないようにしている。
2人と対峙した老爺は、彼らを見下ろすような形になった。
「…………お爺様。お久しぶりです」
睨みあう事をやめ、老爺に向かって頭を下げる高広。
静香も、それに続いた。
「うむ……。2人も変わりないようじゃな。じゃが、ここは社交の場であって、戦いの場ではない。殺し合いがしたいのなら、会場の外でやることじゃ」
物言いこそ柔らかいものの、そこには有無を言わせぬ圧力があった。
その圧力を感じているのかそうではないのか定かではないが、高広は笑顔を向けつつこういった。
「はは、お爺様。何を
「そうですわ。私達は家族ですのよ? その家族を殺すだなんて……そんなおぞましい事しませんわ」
そうは言うものの、2人は冷や汗を
(……こいつが、柊の爺さんか)
高広と静香がまるで借りてきた猫のように大人しくなったのを見て、源蔵の権威とがうかがえるものだ。実際、今この場で彼に対等に口を挟める者はいないだろう。
源蔵は葉巻を一度吸うと、灰皿に擦り付けた。煙がこちらにまで漂い、秋人はその煙たさに顔をしかめる。
ふっ、と鼻を鳴らしたのち、彼らの元から離れた源蔵は通り間際、咲夜に気が付くと、
「おぉ、咲夜。久しぶりじゃのう」
高広の時とは違う、明るい声色で言った。
咲夜は、そんな源蔵に対してこういった。
「…………はい。お爺様も、お元気そうで」
「うむ」
源蔵が満足げに頷くと、そのまま護衛と共に行ってしまった。
大理石の床をカツカツ鳴らしながら、会場の前方にある台へと登壇していく源蔵。
そして用意されていたマイクを最大の高さにまで調節すると、電源を入れた。
会場にいる全員が、姿勢を正し、源蔵がいる方向を向いて言葉を待っていた。
「あ……あ……。うむ。マイクも私の息子も元気満タンのようじゃな」
「は? 何言ってんだあの爺さん……」
何の脈絡もない、突然の下ネタに思わず呆れる秋人。周囲もどう反応していいのか、わからないようで顔を見合わせている。
高広といい静香といい、あの親にしてこの子ありとはこの事だろう。
「…………えー遅ればせながら参じた柊源蔵じゃ。知ってはおると思うが、柊家の当主をしておる。
……今、ここにいる者達は、皆ワシにとっては大事な大事な客であり、友人でもある。
勿論、今日ここに来てくれた皆には1円たりともお金も要求せぬ。食事代から交通費まで、全て我ら柊家が負担することを約束しよう。料理も全て厳選した高価な物ばかりであり、滅多にお目にかかれないものも少なくないはずじゃ。好きなだけ食べて飲んでいってくれ」
おお~という声と共に、拍手
100人をもこえる人数の諸々の経費を全て負担するとなれば、とんでもない金額になるだろう。であるにもかかわらず、源蔵は自身が全て出すと声明を出した。それは即ち、自身がそれほどの
先程見せた咲夜への明るい表情も、何か計算したものだとふまえると、食えない男だと秋人は思わずにはいられなかった。
「ここ最近は神の後継者とかいう奴らのおかげで被害を被った人たちも多いじゃろう。じゃが、そんな奴たちにも決して屈しないようにしなければならん」
神妙な顔つきで話す源蔵に、皆が頷く。
ここ10年で環境は大きく変わってしまった。いや、変えられてしまったと言った方が正しい。後継者達によってめちゃくちゃにされた街はもう戻っては来ない。しかし、限りなく元に近づけることはできる。源蔵は短い言葉にそんな意味も含ませているのだろう。
「…………では、もう既に皆食べ始めていて遅がけにはなるが、乾杯の音頭をしようではないか。皆、グラスを持つのじゃ」
そう言われ、各々が飲み物の入ったグラスを手に取った。
「それでは、皆の行く先々の未来に栄華を極めんことを。乾杯――――!!」
そうして次々と乾杯し始める。
静かだった会場はすぐに活気を取り戻し、そして暗くなっていた会場が徐々に明るくなってきた。
高広と静香も、源蔵がいる手前、争う事を止めたようだ。しかし、それは表面上であって、腹の内側に抱えた物が爆発するのはそう遠くないだろう。
そして、爆発した時には冗談では済まされないぐらいの暴力を以って衝突する――そんな予感がしていた。
更に、その時には咲夜はどちら側につくか意見を強いられるだろう。そして、つかなかった方に敵とみなされ、狙われる事も十分考えられる。
「……お前も大変だな」
咲夜の横顔を眺めつつ、ついそんな事を言っていた。
「え?」
「いや、なんでもねえ。じゃあ俺そろそろ部屋に戻るわ」
「わかったわ」
これ以上いても、これといって真新しいこともない上、ダニエルや寺島にバレてしまえば面倒なことになるためさっさと退場することに。
「……あ、そうだ。これ」
秋人は、胸ポケットから長方形の物体を取り出すと、咲夜の手のひらにのせた。それは紫色の小さなリボンがついた、小さな白いお守りであり、近所の月神神社にて購入したものである。
「これは?」
お守りであることは咲夜にもわかってはいたが、どうして急にそんなものを渡されたのか理解できていないようだった。
「俺の
例え後継者からの不意打ちによる素早い攻撃であったとしても、初撃であれば護れるように細工してある。ただその代わり、あまり長くはもたない。
咲夜は、お守りと聞き何かを思い出したのか手を打つと言った。
「あ、そうだわ! もしかして、あの時に守ってくれた黒い盾のようなものって……」
「ご名答。俺が柊に事前に仕込んでいた同じタイプのお守りだ」
あのお守りが無ければ、咲夜はもうこの世にはいなかっただろう。
仕込んでおいて本当に良かったと、秋人は自身の
しかし、そうして秋人が咲夜と長く居すぎたからだろうか。
寺島が、こっちに戻ってきていた。
「お嬢様……すみません、ただいま戻り――」
そして秋人がいることを確認すると、目をぱちくりさせる。
「秋人君? どうしてここに……。君は確か晩餐会を禁じられていたはずだけど」
疑うような視線。その目には明らかな敵意が込められていた。
もはや、隠す気もないようだ。
適当な理由をでっち上げて去ろうにも、ものの数秒ではパッと思いつかない。
ならばどうする? 正直に言う事は簡単だろう。だが、それを言ったところで、寺島がただで返してくれるとは思わない。
秋人は、さっさと戻らなかった自身のミスに内心舌打ちするものの後の祭り。
そうして秋人が閉口している間にも、寺島からの威圧という疑いはどんどん強くなる。
そのまま秋人が黙ったままでいると――
意外にも援護してくれる声があった。
そしてその声は秋人の真隣から聞こえてくるものだった。
「私が呼んだのよ。何か文句あるの?」
咲夜が、庇うようにして秋人の前に立つとそんな事を言ったのである。
「お嬢様が? それは一体どのような理由で……」
「何故そんな事をあんたに言わないといけないの?」
勿論、咲夜が呼んだというのは嘘であるため理由などない。しかし彼女はこのまま強引に押し通す気のようだった。
「私はお嬢様の護衛ですから」
「ふん……答えになってないわね。護衛という免罪符を用いればそうやって私の私用にまで口出せると思ってるの? 正直気持ち悪いんだけど」
咲夜の容赦のない物言いに、寺島は口元をわずかに
「しかしお嬢様。秋人君はここに来ることを禁じられていたはずです。であるならば、どうしてこの場に呼んだのかの説明ぐらいはしていただかなければ困ります」
「ちっ……くどいわね。用があったから呼んだって言ってるでしょ」
「その用とは?」
「あんた、私の話聞いてた? それとも2、3歩歩いたら記憶を忘れる程足りない頭をしているのかしら?」
「すみません。ですが、事と次第によってはダニエルさんに報告しないといけませんから」
いい加減しつこい寺島に、咲夜も頭にきているようだった。
しかし、彼女がいい感じに時間稼ぎをしてくれていたおかげで、その間に秋人は理由を考えられていた。
それも、寺島をうまく黙らせるものが。
「柊に忘れ物を持ってくるよう頼まれたんだよ」
「忘れ物……? それでしたら私に言えば宜しかったのでは」
「ああ、そうだよな……。確かにあんたに言って取りに行かせればいい話だ」
全く予想通りの答えに、思わずほくそ笑む。
「なら何故――」
「けどな、その時あんたは何してた?」
「何って……私は彼女たちと――――あっ」
どうやら寺島も秋人の言いたいことにようやく気付いたようだった。
「そうだよ。柊はあんたが女達とランデブーしてたから、言えなかったんだよ」
「う……」
寺島が一歩たじろいだ。
とどめを刺すべく、秋人は告げる。
「なぁ……寺島さん。護衛をほっぽりだして、女に鼻を伸ばしてる男ってどう思う?」
「ぐ…………」
皮肉を込めた秋人の
彼の頭から、大粒の冷や汗が流れる。有効な反論が出てこないのか、目も泳いでいる。
そして、深く息をつくとゆっくりとこういった。
「わかり……ました。そういう理由であれば仕方ありません……。ですが、秋人君はもう戻ってください」
若干弱い声色で告げる寺島に、秋人は軽く笑みながら言った。
「言われなくともそうするつもりさ。じゃ、柊」
「ええ」
そうして彼女に別れを告げると、秋人は会場を後にした。
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