第18話 有栖川 俊文


 次に咲夜が目を覚ましたのは、侍女から部屋がノックされてからであった。

どうやら、服の着付けをしにうかがってきたらしい。


「もうそんな時間……?」


 時刻を見れば15時をちょっとすぎたところ。2時間程仮眠していたらしい。

半分寝ぼけ眼のまま、扉を開けて侍女を中へと入れる。

 それは、秋人のスーツの丈を測った人と同じ女性。すぐに準備を始めると、極めてスムーズな立ち回りで着付けをはじめる。気難しい咲夜も嫌悪感を抱くことがなくされるがままになっていた。

 本来なら30分近くかかるコルセットドレスの着付けを、ほんの数分という驚異的な短さで終えると、最後にひもをしめ始める。

 

「う゛……」


 キツイ締め付けに、思わず声が出てしまう。すると、それを見かねた侍女が、苦しくならないよう紐を緩めてくれた。そしてたるんでしまった紐を伸ばし、窮屈きゅうくつ度合いを緩和してくれる。さっきとは打って変わり、とても楽な感じに思わず驚く。

 

「え……? 全然苦しくない」


「コルセットはよく胃が締め付けられるという風に言われてるんですが、きつく締めずとも見栄えもきちんとできるんですよー。ちょっとコツはいるんですけど」


「へぇ……知らなかったわ」


 そうして着付けが終わった後、今度は顔のメイクだった。

 手慣れた様子でテキパキと咲夜に化粧を行っていく侍女。


「お嬢様は元がお美しいですからナチュラルメイクでも十分輝きますね~」


「そ、そう?」


「はい~」


 そう言われて悪い気はしない。

 

「こんな姿、他の男性たちが見たら皆お嬢様の虜になっちゃいますよー」


「えぇ……それはうざいわね」


 それは咲夜の本音だった。

 男達に群がられても鬱陶うっとうしいだけ。

 こうしたパーティの度、ちょっかいをかけてる男も少なくない。表面上は適当にあしらっているが、内心ではすぐにでもぶっ飛ばしてやりたいと思っている程である。今日の晩餐会でも、きっとそういった類の人が来るかもしれない事を考えると、気が重い。


 やがてメイクを終えると、侍女は程なくして出ていった。


「…………」


 あの侍女の給料。今度あげるように言っておこう……。

 咲夜は心の中でそう呟くと、一度鏡台に立った。

 黒と白の織り交じったひらひらドレス姿の自分。ナチュラルメイクとはいえ、普段とは違った自分に不思議な感覚を覚える。


「あいつがみたら、何ていうのかな……」


 そこでまたしても秋人の顔が思い浮かび、咲夜は首を横へと振る。


「……あいつ、私に何か呪いでもかけてるんじゃないでしょうね」


 髑髏神とか言ってたぐらいである。そんな能力を持っていても不思議ではない。


「…………あっ、そういえば!」


 そこで咲夜は、彼から重大な事を聞くのを忘れていたことに気が付く。

 それは、秋人の髑髏神というのが一体何なのか。そして、河川敷の上で私に向けられた風の刃を弾いた黒い盾がなんだったのかということである。

 一連の騒動で、すっかりうやむやになっていた。きっと秋人も忘れているだろう。


「後で説明してもらわないとね」


 その後、しばらく部屋で待機していると部屋がノックされる。


「お嬢様、お時間です」


 寺島だった。

 咲夜は一度深呼吸すると、立ち上がる。


「どうか、何事も起きませんように……」

  

 本来なら楽しむべきであるパーティー。

 しかし咲夜の心は晴れることなく、むしろ憂鬱な気分のまま部屋を後にした……。











◇◇◇



「なんか騒がしいな」


 外が慌ただしくなり始めたのを見て、秋人は本から顔を上げると、携帯を取り出す。


「もう19時かよ」


  晩餐会はとっくに始まっているだろう。

 気が付けば外はもう暗くなりはじめ、冷たい夜風が吹くようになっていた。

  かなりの時間、小説に没頭していたらしい。

 持ってきた最後の小説を読み終えると、テーブルの上へと積んでいく。


「さて……」


 今のところは何の連絡もない。

 つまり、まだしばらく暇だという事だ。

 こんなに時間が空くのなら、南須原のところに行けたかもしれない。秋人は自分が判断ミスをしたことに、少し後悔する。

 

「晩餐会か……」


 ダニエルには止められているが、どんな感じなのかは気になる。


「…………というか」


 そこで、秋人はあることに気が付く。


「よく考えたら別に柊の兄貴にバレなきゃいい話じゃねえか……?」


 どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったのか。

 ダニエルが秋人を晩餐会に欠席させたのは、高広を無駄に刺激することを恐れたからであって、それ以外の理由はない……と思っている。それならば、高広にさえ見つからなければ、別に秋人が晩餐会に参加したところで問題はない。その上、何か非常時が起きた際には部屋で待機しているよりはもっと早く対応できるだろう。

 ちょうどお腹も空いていた秋人は、早速別棟の会場へと向かう。


 屋敷の廊下を歩いていると、そこら中に警備の人達が目を光らせていた。そんな中を、秋人はそ知らぬふりをしてずんずん進んでいく。こういうのは、少しでも怪しい素振りを見せれば終わりである。その為堂々としていれば問題ないのである。

 そうして別棟の入口に到着するが、その空いた扉の前には侵入者がいないかどうか、見張り番が立っていた。

 表口からの侵入は無理そうだ。

 仕方なく裏口へと回ると、そこにも警備の人達が立っていた。

 どうやら本当に徹底しているらしい。

 感心するところだが、秋人にとってはそれが裏目に出ていた。


「んーやっぱ無理か」


 あの警備は恐らくダニエルの息がかかった者だろう。話をしたぐらいでは、なんともなりそうもないのは自明だ。

 仕方ない、諦めるか。

 秋人がそうして踵を返し、部屋に戻ろうとしたところで――。


「おや……? もしかして、秋人くんではないかい?」


「ん?」


 不意に名前を呼ばれた秋人はその方向へと顔を向ける。

 そこにいたのは1人のタキシードスーツを着用した老爺だった。黒いハット帽を被り、深く濃く刻まれた顔のしわが、年齢を感じさせる。

 片眼鏡モノクルをかけたその老爺は、秋人を見て目を丸くしていた。

 

 どこかで見たことのある顔――しかし、思い出せない。

 例えるならば、歌のメロディーは覚えているけれども曲名が出てこない。そんなところだった。

 

「あーえっと……」


「有栖川だよ。3年前は世話になったね」


 そう言うと、笑みを浮かべる有栖川。


「有栖川………?

 あ、あんたまさか有栖川ありすがわ 俊文としふみか!」


 秋人が目をぱちくりさせながらいうと、俊文としふみはにっこりと頷いた。

 彼は、3年前秋人が依頼を請け負った雇用主クライアントの1人であり、有栖川工業の現社長でもある。

 当時はまだ規模も小さく、これといって頭角を示していなかったが……。


「あんたもこのパーティに呼ばれてたとはな」


 今日の柊家主催のパーティは、相応の権力者じゃないと参加できないという風に聞いている。

 俊文としふみがまさかここに呼ばれるほど出世していたとは思ってもいなかった。 


「ああ……私自身が驚いた。ほんとうに恐縮だよ」


 本人が一番驚いているようだった。

 俊文としふみは続ける。


「でも、私がここまでやってこれたのも、君のお陰だ」


「俺はあんたの出世を妨げる障害を取り除いただけに過ぎない。つまり、。あんたは俺を使うことで、自分自身で出世への道をつかみ取った。だから、それはあんた自身の功績だ」


 俊文から頼まれた依頼というのは、当時まだ開拓されていなかった鉱山を発展させるのに協力してほしいというものだった。最初聞いた時、依頼内容が漠然ばくぜんとしすぎて渋い顔をしたのを覚えている。しかしすぐに秋人は自分が呼ばれた本当の理由を理解することになった。

 未開拓の鉱山はいわば宝の山である。初期投資はかさばるものの、得られるリターンが非常に大きいことが多いため、皆こぞって狙いに来るのだ。

 しかし、俊文が目を付けた鉱山というのは皆が開拓しようとして諦めた――いわば危険な鉱山だった。

 それはなぜか?

1である。その男が、来る者を片っ端から潰していくおかげで、皆近寄らなかった。鉱山を住処にするなど、どうかしているが、彼が持つ能力のおかげなのかピンピンしているのを見て驚愕したのを今でも覚えている。

 秋人はその男を外へと追いやるため何度も衝突し、最終的に出て行かせたのである。

 

「その謙虚な姿勢も相変わらずだね。

…………ところで、今日はどうしてここに?」


「ああ、実は――」


 そこで、秋人は簡単に経緯を説明した。

 咲夜の護衛をしているという事を伝えると、おぉ……と感嘆の息が聞こえて来たのは言うまでもない。


「そうか、ならちょうどいい! 今から中に入ろうとしていたんだ。秋人君も、来るかい?」


「いいのか?」


「勿論さ。君には色々世話になったからね。これぐらいはさせておくれよ」


「じゃあ、頼む」


 そうして2人は表の扉へと回る。

 警備に止められるが、俊文が招待状を見せると頭を下げて道を開けてくれた。

 

 

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