第17話 吉良 莉子
「
普段滅多に電話してくることのない人からの突然の電話に、嬉しそうにする秋人だったが、電話口の向こうから聞こえてくる声色は極めて冷たいものだった。
『私としてもお兄ちゃんに電話することなんかないと思ってた。けど、伝言を預かってるから仕方なく』
淡々と告げる莉子。
まあどうせそんなことだろうと思っていたが、秋人は
「なんだ。てっきり俺の声が聞きたくなったのかと思って、全裸で待機してたのに」
ブツッ……。
「あっおい! …………切りやがった」
ほんの冗談のつもりだったが、本気と
電話帳から莉子を呼び出し、かけ直す。
すると、2、3回コールしたのちに電話がつながった。電話してくることなど予想していただろうに、1コールで出ないあたり、莉子の陰湿さがうかがえる。
「いきなり切るなんて酷いじゃねえか」
『何かキモイ言葉が聞こえて来たから反射的に切った』
「キモイってお前なあ、たった1人の肉親に向かってそんな事言うなよ」
『兄? はっ……ただ血が繋がってるだけでしょ』
そう言って鼻で笑われる。
相変わらず莉子はブレないようだった。
3年前のあの日からずっと、莉子は秋人に対してこんな調子である。
その声色に家族としての情は感じられず、彼女が秋人の事を嫌っているということは自明であった。
「それで、伝言ってのは?」
直前の発言を聞かなかったことにして、用件を言うように促す。
『近いうちに、
「
南須原とは、莉子の主治医の女性である。
3年前、ある事件をきっかけに入院を余儀なくされてしまった莉子。そんな彼女を
そんな南須原からの呼び出しとは、何かあったのだろうか。
『私の病気の事で、お話があると』
「…………わかった。近いうちそっちに行く」
『用件はそれだけ。…………じゃっ』
「ちょっと待てよ。久しぶりに話したんだし、もうちょい心温まる家族としての話を――あっ切れた」
再び部屋に
「…………はぁっ。冷てぇな」
そう言うと、携帯を閉じる。覚悟を決めたこととはいえ、ここまでつれない態度だと、別の意味で心に来るものがある。
とはいえ、莉子の病気の事で話があるという事は、何か進展があったのだろう。もしくは良くない事か。
しかし良くないことであるのならば、緊急に呼び出していたはず。それがないということは、案外大した話じゃないのかもしれない。
しかし、あくまで秋人の勝手な憶測なため、結局のところ早いところ南須原の元へと向かうべきだろう。
「悪い報告じゃないことを祈るばかりだ……」
そう言うと、秋人は再び小説を読み始める――。
◇◇◇
秋人が追い出されてからというもの、食堂内には張り詰めた糸のような緊張感が漂っていた。横で待機している黒服の護衛、そして給仕をしていた使用人。彼らもまた、高広が機嫌を悪くしていることに委縮している。
そしてその原因の元となっている高広はわかりやすく、眉間にしわを寄せていた。
そんな空気を緩和できる者はこの中ではただ一人、咲夜しかいない。
咲夜は内心ため息をつきながらも、話を
「……そういえばお兄様。今日は来るのがいつもより早かったみたいですけれど……何か用でもあったのですか?」
普段ならば静香や源蔵と同様、高広も晩餐会の直前に来ていた。しかし、今日に限っていつもより数時間以上も早いお昼時に来ていることに咲夜は疑問を抱いていたのである。
高広は、咲夜の問いに何かを思い出したのか、手を打つとこう言った。
「…………そうだった! あの者のせいで失念していた!」
おもむろに立ち上がると、ワインをグィッと飲み干す高広。悪酔いしかねない飲みっぷりだった。
そして乱暴にグラスをテーブルに置いた後、壁に掛けてあった服を着ると咲夜に指をさしてこう言った。
「私は今から書斎へと向かう。お前も晩餐会に向けて準備をしておけ」
「はい」
書斎に一体何の用があるのだろう。あそこには数千の蔵書ぐらいしか置いていないと咲夜は記憶している。高広の興味を惹きそうなものはないはずだが……。
「…………」
――お兄様の事だ、またろくでもないことを考えているのだろう。
しかし、自分にさえ被害が及ばなければ彼が何をしようが知ったことではない。
咲夜は極めて冷めた表情で高広とその護衛が食堂から去っていくのを見ていた。
幾分過ごしやすくなった食堂でゆったりと昼食を終えると自室へと戻った。
時刻は現在午後1時。晩餐会まではまだ6時間ある。
が、しかし、今回の晩餐会は柊家が主催するものであるため、咲夜はやってくる人達との挨拶もしなければならない。そのため、15時ぐらいには準備をしておかないといけないだろう。
クローゼットの中に眠る、自身の正装。呼吸が苦しくなるのであまり好きな服装ではない。が、この服装で出るわけにもいかないため我慢するしかないだろう。
「…………あいつ、何してるのかな」
ダニエルに連れ去られてしまった秋人。
去る間際、目で大丈夫だと軽く笑んでいたが、ダニエルの事だ。何か言っているに違いない。
「…………」
先程の秋人の言葉を思い出す。
咲夜が高広からの無粋な問いに答えあぐねていたところを
うまく話題を逸らすため、秋人自身に矛先を向けさせることで咲夜の名誉を守ったのである。
「そんな事、一言も頼んでないのに……」
俯きながらそんなことをいう咲夜。
しかし、本心ではわかっていた。
彼に助けられたとき、安堵にも似た安心感を抱いた事に。
――と、その瞬間咲夜は思わずはっとなり、口元に手を当てる。
(今私なんて……?)
自分の言った事が信じられなかった。これまで、他者との関係を完全に遮断してきた咲夜が、あろうことか自ら他者にそんな事を思ってしまうなんて。
頭を振り、今考えていた事をなかったことにしようとする。しかし、頭の片隅にはどこか秋人の姿が残っていた。
(もう……なんなのよ)
自分でもよくわからない感情に戸惑っていると不意に部屋がノックされた。
「お嬢様」
低く重厚な声色から、ダニエルだと分かった。
咲夜はすぐに姿勢をただすと、一度コホンッと咳ばらいをする。
そして極めて冷たい声で咲夜は言った。
「何?」
「先程の件で少々お話がございます。宜しいでしょうか?」
「構わないわ、早く言いなさい」
「はい……今日の晩餐会なのですが……」
そこで咲夜は、晩餐会には高広と出会わせないため秋人は出ない事、そして秋人の代わりに寺島が護衛につくことを教えられた。
寺島が傍で護衛するなど想像しただけでも身震いがするほどだが、秋人が晩餐会に出れば、また何か揉め事を起こすかもしれない。だから咲夜は渋々、本当に渋々ながらもその条件を
(…………って、なんで私あいつを庇うような真似……)
自分でもよくわからない感情に思わず戸惑う。
咲夜が秋人を庇う理由などどこにもないはずだ。
あの男子生徒から助けてくれた事には感謝しているが、それと庇う事には何の関連性もない。
にもかかわらず、こんな行動を取ってしまった自分が不思議でならない。
(うー………)」
もし秋人が辞めてしまう事態になった場合、また次の護衛が決まるまで寺島が1日中護衛を兼務することになってしまう。
(それだけは絶対に嫌。だから、私は仕方なくあいつを庇ってるだけ!)
咲夜が寺島を特に嫌っているのには、ある理由があった。
それは彼が咲夜を見る視線だった。秋人や他の人達とは違う、どこかねっとりとした視線に、鳥肌が立つような気持ち悪さを感じていたのである。本人は隠しているつもりなのだろうが、バレバレだ。女は他者からの下心のある視線には敏感なのだから。
しかし、表向きには何も問題を起こしていない彼を辞めさせることは咲夜もできなかった。その上、彼が数少ない後継者の護衛という事もあって、咲夜の訴えはダニエルに
咲夜はベッドに倒れこむと、深くため息をついた。
「……あいつがきてから狂いっぱなしだわ……」
とりあえず、寝よう。今晩はどうせ精神的にも疲れる日なのだから。
そう思った咲夜は目を閉じ、仮眠を取るのだった。
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