第5話 昼休み

 退屈な授業を終え、昼休み。


「あぁー……全然わからん」


 机で軽くグロッキー状態になっている秋人。

 そんな彼に、陽介が呆れつつも言った。


「そりゃ3週間以上も休んでればな」


「小テストほぼ白紙で出したんだが……」


「おいおいそれはやばいだろ。俺ですら、半分はわかったぞ」


 秋人とトントンなぐらいの学力の持ち主である陽介に言われて驚いたものの、今更どうしようもなかった。その上、勉強する気も起きないので救いようがない。とりあえず留年さえ免れれば……と秋人は心の中で懸念していた。


「あー1回見ただけで記憶し続けれる脳があったらな」


 と思ったが、後継者の中にならそんな能力を持っている奴がいるかもしれない。もしそんな奴がいれば羨ましすぎる……。 

 秋人がそんな事を考えていると、咲夜が席を立ちあがった。


「どこに行くんだ?」

 

 秋人が後ろから話しかけると、咲夜は振り向きもせずにこう言った。 


「どこでもいいでしょ。ついてこないで」


 そうやってくぎを刺されるも、秋人は気にせず告げた。


「飯食べるなら、俺もついていくぞ」


 咲夜の右手に持つ、可愛らしい弁当袋を見て外で食べるのだと判断した秋人はそう言うも、


「ちゃんと話聞いてた? ついてこないでって言ってるでしょ。そいつと食べてきたらいいじゃない」

 

 陽介に一瞬視線を送った後、そのまま秋人の横を素通りして教室の外へと出てしまう咲夜。彼女が歩くだけで、その方向に視線を追う生徒達が複数いた。


「どうする秋人。俺は食堂に行くけど」


「柊と離れるわけにもいかないから、追うよ」


「そうか……頑張れ。柊さんを落としたくなったら、いつでも相談しに来いよ」


「うっせえ」


 そう言って秋人の肩を叩くと、陽介は食堂へといってしまった。

 秋人は咲夜の後に続く。周囲の視線がこちらに向いているのはわかっていたものの、護衛である以上、屋敷の外では咲夜と離れるわけにはいかない。

 彼女には柊家の末娘というプレミアがついているため、よからぬ事を考えるやからも多い。それは後継者だけではなく、普通の人間でも同じ。そう言った輩から咲夜を護らないといけない以上、目を離すわけにはいかないのである。

 咲夜は走るとも歩くとも言えないような速度で廊下を突っ切り、階段の踊り場を経て屋上へと向かう。その後ろを秋人も追った。

 びれた扉を開けて屋上へと出ると、さわやかな風がほほを撫でた。日差しが強く、一瞬目がかすんでしまい、思わず手で顔を覆ってしまう。


「ほんっとにしつこいわね! あんた、自重って言葉を知らないの?」


 追われていることに気付いていた咲夜が、振り向きざまにそう言った。傍から見て、イライラしているのは明確だった。


「俺に品位があると思ってるのか?」


「……それもそうだったわね」


「冗談だ」


「え?」


「というのも冗談だ」


「……死にたいの?」


 咲夜の表情に陰りが見える。その背後からは、まるでゴゴゴ……とでも聞こえてきそうなぐらいであった。

 いつの間に持ってきていたのか、刀の鯉口を切ろうとするのを見て秋人はなだめる。


「まあまあ、せっかく可愛い顔してんだからそんな仏頂面すんなよ」


「うるさい。あんたにそんな事言われても嬉しくない」


「それに、ずっとそんな顔してると表情筋がって愛想のない顔になっちまうぜ? 」


 そう言うと秋人は咲夜の元へ近寄り、何を思ったのか彼女の頬をつまんだ。


「やっぱりな。少しかたいぞ」


「ひゃわ!? らにすんのよ!」


「ん~? こうして表情筋をほぐしてやってんのさ」


「ひょんなこと、たのんでない!」


 ジタバタと暴れる咲夜を無視し、秋人は頬のマッサージを続ける。


「俺からのサービスだ。ありがたく受け取――ごふっ!?」


 咲夜から強烈な右フックを貰い、そのまま近くにある屋上庭園に頭から突っ込んだ。

 と、いうよりは突き刺さったと言った方が正しいかもしれない。その見事な殴打ぶりに、秋人は痛みを感じながらも内心感心していた。


(意外と武術に富んでいるんじゃねえか)


 普通の人間からもろにフックを貰うなど、後継者からすればありえない。で、あるのにも関わらずその攻撃を避けることができなかったのは、秋人が油断していたからなのか、――。


「死ね! この変態っ! はぁ……はぁ……」


 最大級の罵詈雑言を吐いてキッと睨みつけてくる咲夜。その頬は若干赤いが、決して恥ずかしいからという事ではなく、単に怒っているからであろう。

 秋人は土埃をはらいつつ立ち上がると、いきなり少しやりすぎてしまったことを若干後悔していた。


「おいおい、仮にも柊家の末娘ともあろうお方が、人に向かって死ねなんて使っちゃダメだろ?」


「別に私、あんたのこと人と思ってないし……」


「じゃあなんだ。俺の事はチンパンジーとでも思ってるのか?」


「…………いや」


「じゃあ、ゴリラか? 類人猿か? アウストラロピテクス?」


 秋人の若干からかいをはらんだ物言いも、咲夜には全く受けなかったようだった。

 咲夜は、淡々とこう言った。

 

「だってあんたも人間・・じゃないんでしょ?」


「…………」


(あぁ、そういうことか)


 咲夜の真意に気付いた秋人は、ふざけるのをやめてこう言った。


「ああそうだ。確かに、俺は後継者・・・だ。けれど、ちゃんとした人間・・だぞ」


「人知を超えた力を持つ人間なんていないでしょ」


 咲夜のいう事はもっともである。ただの人間が、音速に近い速度で走ったり、硬い地面をえぐり取ったり、何十メートルもジャンプしたりすることなどできない。

 しかし、肉体的には人間でないとしても、精神的には人間だ。

 ならば後継者とは一体何なのか?

 人間でありながら、人間でないという、矛盾を抱えた存在ともいえる。


「そうだけどさ。でも考えてみてくれ。後継者と言っても神の力を借りているだけだ。だからその力さえなければ、俺もただの人間だ。車だってそうだろ? 人間だけじゃあんな早い速度で走れない。車の力を借りているからこそあんなに速く走れる。どっちも本質的には同じことだ」


「…………」


 秋人の言った事にも一理あるのか、黙り込んでしまう咲夜。

 しかし、やがてぼそりとこう言った。


「……でも、皆最終的に考えることは同じよ。力におぼれ、傲慢ごうまんになり、そしてやがて破滅する。後継者なんて――大嫌い」


「おいおい、それを俺の前で言うか」


「ええ。だって私、あんたの事大嫌いだもの」


 ド直球のストレートさに、秋人は悲しむどころかむしろ清々しさすら感じていた。隠しているよりかは、こうして直接言ってくれる方がありがたい。


「そうか。ま、俺も報酬が高くなきゃこんなこと引き受けてなかったけどな」


「お金の事しか頭にないのね」


「なんとでも言ってくれ。俺には金が必要なんだ」


「ふーん。なら、今すぐ3億包むから辞めてくれって言ったらあんたはどうするのかしら?」

 

 口元を軽く吊り上げながら、意地悪そうに言う咲夜。きっと、すぐにでも辞めるだろうと返事をするものだと彼女は思っていたようだったが、


「……残念だが、それは承諾しょうだくできない」


 秋人の返事は咲夜が考えていたものとは真逆だった。


「どうしてよ。今、お金が必要って言ってたじゃない。辞めるだけで3億が手に入るのよ?」


「確かに俺には金が必要だ。しかしそれは対価じゃなくてもはや贈与だ。そんなは俺は受け取らない。それが例え俺にとって甘美のような誘いであったとしても、だ」


 3億という金に一瞬瞳孔が開きかけたのは無理もない。3億など誰だって喉から手が出るほど欲しいに決まっているからだ。

 しかし、それを対価として受け取るのと貰うのでは結果的には同じであれ、意味合いが変わってくる。だからこそ、咲夜の甘言にはのらなかった。

 面白くない答えが返ってきたのか、咲夜は露骨に眉を吊り上げて不機嫌な表情を浮かべつつ言った。


「あっそ。あんた、その言葉絶対に後悔するわよ」


「いずれはお前がを言ったことに後悔するかもな」


 その言葉――即ち、金を包むから辞めてくれと言ったことに対してである。


「ふっ」


 秋人の言ったことに対し、ありえないと思ったのか、鼻で笑われる。 

 そしてそれきり、咲夜は黙ってしまう。

 その後、幾度か話しかけても、返ってくる言葉は非常に素っ気無いものであり、時には無視すらされてしまうため、秋人は一旦時間を置くことに。


 咲夜の座るベンチから少し離れて食事をとる。

 この日の昼ごはんはヴィダーインゼリー。護衛など、長期間警戒が必要な際には秋人にとっては御用達となっていた。あるじを護衛する身としては、無防備になる時間の一つが食事中ともいえる。その時間を数十秒に短縮することで、無防備になる時間を短縮することができるのである。

 とはいえ学園内で襲われる可能性は低いだろう。ここの学園には、咲夜が知らないだけで、柊家の手のかかった者達が何人か存在する。咲夜に知られれば嫌な顔をされるため彼女には気付かないよう潜んでいるとの事らしい(ダニエル談)。実際、今日学園に来てから今までに3人は確認している。

 しかし、彼らはあくまで普通の人間である。後継者に襲われれば、手も足もでない。人知を超えた力に対抗するのは、やはり同等の力をぶつけるしかない。

 秋人の住む暁市は、後継者たちの集まる精鋭組織――通称、PECによって後継者達が取り締まられている。しかしそれでも後継者による被害は起きているようだ。

 現在どれぐらいの人数の後継者がいるのかはわかっていない。10年前から発生した後継者達は依然その数を増やしているからだ。そのため、こうした取締りがなければ、日本はたちまち無法地帯とかしていただろう。その点を垣間かいま見ても、PECを創設した者はそれなりに頭がきれるとみえる。


 咲夜を見れば、彼女も食事をとっていた。小さい弁当で、あんなのでは腹が膨れるかどうかも怪しいレベルだ。とはいえ、秋人もゼリー1個だけなのでなんともいえないが。


「…………」


 咲夜の横顔はどこか寂しそうに思えた。

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