浅見虎太郎が退いた理由

「みっともない目を隠せ!」


 僕が眼鏡を外した日からずっと、父にも母にも無視をされ続けていた。


 辛うじて食事と弁当だけは準備されていたものの、とうとう今日の晩御飯に僕の分は無かった。


「いつになったら眼鏡を掛けるつもりだ! みっともない目と髪を人前に晒して恥ずかしいと思わんのか!!」


 父が食卓に箸を叩きつけて怒鳴る。そろそろ来るかと予想していたので驚きは無かった。


「すいません。……友人が、目の色を褒めてくれたんです。高校に通う間だけでも素顔でいさせてください」

「友人だと? 桜丘に通わせてやったのに禄でもない友人を作るんじゃない!!!」

「優しい友人なんです。お願いします、おとうさ――」


 言い切る前に、父が拳を振り上げ、左目の横に激しい衝撃と焼けつく痛みが走った。

 ……久しぶりに殴られたな。


「見苦しい、さっさと部屋に戻れ!」


 怒鳴る父と嫌そうに僕を見る母に頭を下げ、僕の部屋である離れに戻る。

 殴られた目がじんと痛んだが、こんなものは大したことじゃない。でも、兵糧攻めだけは心底困る。


 母は完璧に食材を管理しているので、勝手に食べればすぐにばれてまた殴られるし、子供の頃から一度も小遣いを貰ったことがないので、自分で買おうにも一円すらお金が無い。

 僕の私物と言えば教科書と制服と数枚の私服ぐらいだ。売るものさえ何もない。


 家に居る間だけでも眼鏡を掛ければ食事ぐらいは出して貰えるだろうけど……。

 未来が褒めてくれた目を隠したく無いなぁ。


 茶色の髪と色の違う両目で産まれてしまったのに、ずっと僕の面倒を見てくれた両親に反抗してしまうのは心苦しいけど、人生で初めて、自分の力で一歩前進したと思えることだったから。


 とりあえずはギリギリまで耐えよう。

 眼鏡を掛けたら、もう二度と取れなくなってしまうような気がするから。



 翌日のお昼休み。校舎裏に向かう足がふらついてしまう。


(さすがにお腹空いたな……目が回る)


 僕は平均程度の身長はあるものの、他の男子より細身なので食が細いと思われがちだが、普通の男子以上に食べる。情けないことに、昨日の夜と今日の朝食の2食を抜いただけで限界に近くなっていた。


 今朝、保健医の先生に貼ってもらった目の横のシップを指先で押さえる。腫れは引いて無かったけど、メントールの冷たさが気持ちいい。熊谷さ――じゃなかった、美穂子さんに改めてお礼を言っとかないと。


『美穂子って呼んで』と笑う女の子の顔が脳裏に浮かぶ。

 今まで男友達でさえ一人もいなかった。この僕が未来に続いて熊谷さんまでも名前で呼ぶことになるとは。人生何があるかわからないな……。


「浅見ー。今日の弁当何?」


 後ろから駆け寄ってきた未来が僕の肩に手を乗せた。

 背中触れる柔らかい腕と肩に乗る細い指の感触に、う、と、息を呑みそうになってしまう。多分、未来は男時代の感覚なんだと思う。

 でも、体が小さくなってる分、密着度が上がってしまう事には気が付いてないんだろうな。

 お、おまけに、腕に胸が当たってる……! 慌てつつも不自然にならない程度に未来から離れる。

 接近してきたのは未来からとはいえ、危うく痴漢になってしまうところだった。危ない。


「あれ? 弁当は?」

「……忘れちゃったんだ」

「おお、タイムリー。俺ナイス。これやるよ」

 未来が小さなお弁当箱を僕にくれた。


「え?」


「おかずのおすそ分けです。少ないけどどうぞ!」

「え!?」

「え!? あ、ひ、ひょっとして迷惑だった!? ごめん、おせっかいだった!」


「ち、違うよ! びっくりしちゃったんだ、本当に貰ってもいいの? 嬉しいな……!」


 何時間ぶりの食べ物だろう。本当に嬉しい。


「迷惑じゃないなら食べてよ。浅見の弁当のおかずって毎日毎日煮豆とブロッコリーとミニトマトなんだもん。全部ご飯のおかずじゃないだろ。地味に気になってたんだよなー」


 もしが俺があの弁当だったら即かーちゃんに抗議の電話するよ! と憤る未来に笑ってしまう。

 僕の母は極端に健康志向だった。塩分も糖分も嫌い味付けも控えめで、弁当は煮豆とブロッコリーとミニトマト。夕食と朝食は煮物が中心の食生活だ。

 といえども、父にはちゃんと肉料理も出されるんだけど。


「……竜神君と一緒に食べなくてもいいの?」

 僕と並んで歩く未来に問いかける。


 いつから仲良くしているのかは聞いたこともないけど、未来は昔からの親友だったみたいに竜神君を頼りにし、信頼している。いつも竜神君と一緒にいるのに、食事の時だけ校舎裏に来るのが不思議だった。


 聞いてからすぐに後悔した。『じゃ、竜神と食べようかな』とでも言って未来が居なくなったらどうしよう。前は一人で食べていても全然平気だったのに、未来と一緒に居たかった。


「何で竜神? あいつは別の奴と食べてると思うよ。俺が四六時中傍に居たら鬱陶しいだろうし、お昼休みぐらいは解放してやらなきゃな。それより、弁当それだけじゃ足りないだろ。購買でおにぎりでも買えよ」

「財布も忘れちゃったから」

「じゃあお金貸すよ。500円でいい?」

 スカートのポケットに未来が手を入れる。

「いらない。これがあれば放課後まで持つから」

「そう……?」


 お金を借りても返す当てが全くない。昼食代を借りたからお金をくださいなど言おうものなら、今度こそ父にボコボコにされてしまう。


 たわいもない話をしながら校舎を抜け、ベンチに並んで座る。


 弁当の蓋を開くと、中に入っていたのは唐揚げとミートボール、卵焼きだった。

「うわ、凄い。豪華だ!」

「豪華って。普通の弁当のおかずだろ」

 面白い顔したヒヨコのピックでミートボールを口に入れる。


「美味しい……」思わず口から賛辞が漏れた。

 優しい味の卵焼きも、唐揚げも、美味しい。2食抜いたせいじゃなく、純粋に味が絶品だった。

「お口にあって良かったです。それ、俺が作ったからさ」

「未来が……!!?」

「なんで赤くなんの?」

「お、女の子の手料理を食べたのが初めてで」

「それで? そんなんで赤くなるの? お前って見た目と中身のギャップがひどいよな。竜神並みだ」


「ん? 未来、ここで食ってたのか」

 校舎の角を大きな影が曲がってきた。

 大量の菓子パンを抱えた竜神君だった。

「よー。すげー量だな。それ全部食べるの?」

「おう」


 竜神君は断りもなく、ベンチの向かいにある植え込みの花壇に腰を下ろす。

 唯一未来と二人きりになれる時間だったのに、残念だな……。

 僕は小学校中学校といじめられたことこそないけど、ずっと空気のように扱われていた。無視されているわけではない。ただ、誰も話しかけてこないのだ。

 これまでのクラスメイト達同様に、竜神君も僕のことなど空気のように扱うのだろうと思っていたのだけど。


「……浅見……小食すぎるにもほどがあるだろ……。未来以下か」

 当たり前みたいに話しかけてきた。

 心の準備が出来て無かったので、咄嗟にどう返事しようか迷う。

 代わりに未来が答えてくれた。


「今日弁当忘れたんだってさ」

「なるほど」


 竜神君が僕の膝にポンポンと菓子パンを2つとおにぎりを投げてきた。食べたことさえない焼きそばが挟まったパンと、コロッケパンだ。

「やる」

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