第15話 嵐の前
織田家当主、織田信秀のいきなりの逝去。
それにより一時は織田家の家中も混乱に見舞われたが、織田信秀自身が生前より嫡男の織田信長に家督を譲ることを公言していたことと、織田信長の正室として斎藤道三の娘が嫁いできていることで成り立っている同盟関係などから、織田家家中の混乱はそれほど大きく膨れ上がることもなく落ち着きを取り戻した。
そして織田家の当主となった織田信長だが、彼には一つの大きな変化があった。
今までの尾張の大うつけと呼ばれていた様子から一変、政務に真摯に向き合うようになっていた。
「今日も精が出ますね」
「ああ、これだけはやっておかなければならないからな」
部屋で書物を読み、手紙を書き、家臣に指示を出す。
一国の当主としての姿がそこにあった。
「ですが無理はよくないかと」
一国の当主として立派な姿がある一方で、仕事に集中しすぎている感が否めない濃であった。
「無理・・・か
今のワシには無理をしてでも当主としての役目を果たさなければならない
父だけでなく、逝った平手の爺のためにもな」
信長が仕事に集中するのは何も当主の座に就いたからだけではない。
幼少の頃より守り役を任されていた織田家の家老、平手政秀が自ら命を絶ったのだ。
家督を継いだ信長はろくに家中での政務にかかわってこなかったため、当主としてやるべきことなど右も左もわからなかった。
そして幼少の頃より重圧から逃げていた癖がついつい出てしまったのだ。
平手政秀は信長のその癖を無くし、自分勝手な行動を諌めるように口を酸っぱく指導していた。
しかしその指導も幼少の頃よりの積み重ねであればそう簡単には覆らない。
そこで自らの命というものを引き換えに、信長の幼少期からの積み重ねをチャラにしてしまうだけの衝撃を与える選択をしたのだ。
「ワシのわがままが招いた結果だ
何があっても、いつも近くにいた爺だけは死なぬと思っていた
ワシが甘かったのだ」
信長は自責の念にとらわれている。
距離の近い親しい人間と長く時を共に過ごしていると、その日常が永遠に続くのが当たり前になり、その当たり前が崩れることなどないと思い込んでしまう。
故に、平手政秀の死は織田信長と言う人間の根幹に多大な影響を及ぼした。
平手政秀はこれからも長く口うるさい信長の爺であるという思いが反動となって、織田信長という人間を織田家の当主らしい人間へと成長させつつあった。
「ならば忘れないことです
それだけで平手様も浮かばれます」
「そうだな」
しばしの沈黙ののち、信長は再び政務に励む。
慣れない政務で疲れは溜まっているようだが、そんな信長を濃は静かに側で見守っていた。
信長が家督を継いでからの混乱が収まり、尾張もようやく平穏を取り戻しつつある。
しかし時は戦国乱世。
それほど簡単に平穏が訪れるなど考えの甘いことだと言わんばかりに、信長が家督を継いで少し経った頃あたりから斎藤家家中では不穏な空気が漂っていた。
「父は私を蔑ろにしているのか」
近頃の斎藤道三の様子に、息子の斎藤義龍は不満を感じていた。
「弟の孫四郎と喜平次ばかりを寵愛しておる
帰蝶に言われたことをただ淡々とこなし、父に逆らわない
そんな従順であることだけで弟達の方が私よりも上だとでもいうのか」
部屋で不満を口にする斎藤義龍。
その様子に斎藤家家臣の長井道利と日根野弘就の二人はどうしたものかと考え口をつぐむ。
「ましてや父は尾張の大うつけとの顔合わせの後に我ら斎藤家の子はいずれ信長の家来となるとまで申したそうではないか」
道三の率直な心の声は義龍の耳にも届いていた。
「・・・そうか
父上は斎藤家を織田家に売るおつもりなのだな
だから従順な者が重宝される
尾張の大うつけの軍門に下るおつもりなのだ」
斎藤義龍は自らいろいろと考えたことで斎藤道三がどのようなことを考えているかの一つの答えに考え至った。
それは突拍子のないものであったが、否定するにも否定するだけの材料がない。
そのため斎藤義龍の考えを聞いた長井道利と日根野弘就の二人も、その可能性を否定しきれないため、斎藤義龍の考えにはさらに拍車がかかり大事になりつつあった。
「斎藤家は父が好き勝手にしてよいものではない
斎藤家は斎藤道三が嫡男、この斎藤義龍が守る」
斎藤義龍は目の前にいる二人の家臣に目を向ける。
「私に力を貸してくれるか?」
その問いは長井道利と日根野弘就に斎藤道三を裏切れと言っている。
本来ならばその呼びかけを拒み、諌めて斎藤家家中の平穏を守るのが斎藤家家臣団の務めだ。
しかし彼が言った内容の否定材料がないということは今後の斎藤家の行く末が不安視されるということにも等しい中、その元凶ともいえる斎藤道三の存在はどうしても不安要素にしか考えられない。
しばらく考えるように黙り込んでいた二人だが、決意したのかそれぞれがそれぞれのタイミングで斎藤義龍と目を合わせ、ゆっくりと首を縦に振るのだった。
織田信秀の跡を継いだ信長は尾張の実権を握っていた織田信友との間でひと悶着あった。
尾張は織田家のものとなってはいたものの、織田家の中にもいくつかの家系や派閥があり、実質的な実権を将軍家から与えられていた織田信友は信長ではなく弟の信行を後継者とするべきとして信長と対立する姿勢を示した。
しかし尾張国内での実力ではすでに織田信秀の時代に勝っていたことと、信長が正統後継者として指名されていたこと、さらに信長の存在無くして斎藤家との婚姻同盟が継続しないことなどから、家中では信友を支持せずに信長を支持する者も多かった。
何度かの話し合いの場を設けたが解決に至らず、やむなく信長は尾張のほかの織田一族と手を組み、織田信友を尾張から追放することになる。
これにより本拠地を那古野城から尾張の中枢の清須城へと移し、尾張国内の実権を完全に手中に収めていた。
織田家家中では未だに弟の信行を後継者に推す声はあるものの、織田信秀の後継者として尾張を全て手中に収めるという点では利害が一致し、信行派の家臣達も協力姿勢を見せたことで、事は成功に至るのにそれほど難しくはなかった。
尾張全域を順調に手中に収めた信長に以前のうつけと呼ばれるような不真面目な様子や、政務を滞らせる無能さは見受けられない。
これには織田信行を含めた信行派の武将達も思いの外攻め手が無くなり、織田信秀の後継者指名は適していたのではないかと言う考えがちらほら出始める。
織田家は嫡男織田信長を中心に徐々にまとまりを見せつつあったのだった。
尾張が徐々に落ち着きを取り戻し、安定した国家運営を織田家が行っている。
その中枢である清須城内の一室、織田信長の政務室として使われている部屋には信長と一緒に濃の姿が見受けられた。
「住民がまた増えたのか?
また住居を増やさねばならんな
とりあえず川に近いこの辺りがいいか」
尾張国内の地図を見ながら信長が政務のことを考えながら独り言を漏らす。
その様子を見ていた濃がさっそく政務に口を挟む。
「そこは去年の台風の時に洪水が起こった場所です
するなら先に治水をしなければ住民が次の台風で大きな被害をこうむってしまいます」
「なら治水も同時に進めるか」
「それでは人手が足りません
ですがいつまでも放ってはおけないので治水は行いつつ、住居はこちらの内陸方面がよろしいかと思います」
「そこには続く道がないぞ
それこそ不便というものではないのか?」
「人は自然を切り開いて道を作っていくものです
大陸に西の端にあったローマという帝国は今よりも千年以上前に支配地の隅々にまで道を作り、それにより物の流れや人の移動が活発になって国が潤い、緊急時にはその道を使って大量の兵士を動員して国を守り、さらには国土を広げたという実例がございます
全ての道はローマに通じる、そう言われるほど道を作った国があるので我らにもできない理由はございません」
濃は自らが持つ知識をもとに信長の政務を助けていた。
農業、商業、工業、軍事に至るまで、専門家ではないため全てを完璧に取り仕切れるというわけではないのだが、それでも何百年も未来から来た彼女の常識的知識には戦国時代の平均以上の改善や改革の策の材料が山のように眠っている。
それを適材適所で頭の引き出しから取り出し、その場その場に合わせて理論と説明を加えて信長を納得させて政務を推し進める。
これが終わりを治める織田家の内政を行う首脳の仕事場での当たり前の光景であった。
「ではここにこちらの街道から道をつなげて・・・」
「いえ、道はこちらからこういう形にしましょう」
「なぜだ?
この道がつなげるのには一番近いだろう」
「こちらからだとまだ治水が済んでいない川に橋を架けなければなりません
ですがこちらからだと少し距離はありますが橋を作る手間も省けます
さらにこのまま道を延長していくと他の城へと続く道になります
ならその間にも町を増築していくだけで今後は道を作る手間も省け、さらに物の動きや人の往来も効率よくなります
それ以外にこちらの道にした理由もあります
この分岐点となる場所には少し前に宿場町の建設許可を出しましたし、清須城周辺の商業地とも近いので国内がより一層栄えると考えられます」
ただ単に近い場所から道を繋げればいいというわけではない。
少々遠くて手間がかかっても、数年後を見据えて国の発展と成長を考えた濃の意見に信長は首を縦に振る以外の解答が見つからなかった。
「なるほど・・・
ではそうしよう
しかし帰蝶、お前は本当に頭が回るな
ワシではそこまで考えつかん」
信長は素直に濃の意見を受け入れ、その意見を考え出したことに対して賛辞を贈る。
「殿は少々一つのことに集中して物事を考えてしまう癖がございます
広く様々なことを見る癖がつけばこれくらいのことは容易に考え付くことでしょう」
「・・・そういうものなのか?」
「はい
そういうものです」
信長は少し悩むように首をかしげるが、数度首を縦に振って納得したのか、街道と町の増築計画を文書にまとめていく。
その様子を見ながら濃は反論がなかったことに安堵する。
(いずれ今川義元が大軍を率いて尾張に侵攻してくるのは確実です
その時に簡単に川を渡れるような橋があっては侵攻を食い止めるのは難しくなってしまいますからね
斎藤家の援軍を呼び寄せて守る時、川や山という自然の要害はなるべく利用できる限り利用しておく必要があります)
川に橋を架けること自体に濃は反対意見を持ってはいない。
しかしその橋があることで敵の侵入を容易くしてしまうことや、その川の向こう側にいる住民の住居が簡単に今川軍の支配地域となってしまうことを懸念しての発案でもあった。
この時代に限らずいつの時代も軍隊が町や村を拠点とすることは少なくなく、敵国に進入した軍隊が敵国の町や村を支配地域に収めた場合、その町や村にある食料などの物資は全て敵国にわたってしまうことになる。
それは終わりに侵攻してきた今川軍の補給を手助けすることにもなる。
少しでも勝率を上げるために、濃はすでに政務の時点から様々な手を打っているのであった。
信長が街道と町の増築計画を文書にまとめ終えた時、清須城に森可成の大声が響き渡る。
「殿!
一大事でございます!」
政務に取り組む信長の元へと駆けつけた森可成。
彼は一つ呼吸を置いて息を整え、重大な報告を信長に伝える。
「美濃にて斎藤道三の嫡男、斎藤義龍が挙兵
現在斎藤道三と美濃国内で交戦中にございます」
「なにっ!」
「えぇっ!」
信長とその傍らにいた濃。
二人は驚きのあまり静止画のように固まってしまう。
「斎藤家家中の者達の多くは斎藤義龍に味方しているようでございます
兵力差も歴然で五倍以上と言われております」
森可成から伝えられる事実は織田家にとって絶望的なものだ。
織田家は斎藤家との同盟関係があって成り立っている部分が大きい。
強大な外敵の一つが味方になっていることで国内の不安要素は沈静化され、外敵からの襲撃におびえなくてよいという理由があるからだ。
しかしその味方が今、揺れに揺れている。
どのような結果になるかわからない状況で、下手をすれば最悪の展開を生むことになるかもしれない。
「美濃で・・・謀反・・・」
息子に謀反を起こされた斎藤道三は信長の妻の父親。
更に謀反を起こした息子は兄弟。
その事実に濃は今まで築き上げてきた対今川義元洋の戦略が大きく崩れ去った。
その事実を受け止めるのに時間がかかっていることと、わずかな時間とはいえ父親として接していた斎藤道三の危機。
それらが合わさり、濃は呆然自失の状態で次の言葉が出てこないのだった。
「蝮が・・・」
斎藤道三のことを考えた信長はチラッと濃を見る。
呆然自失ともいえる濃の姿を見て、信長は一瞬で一つの決断をする。
「可成、今出せるだけの兵を用意せよ」
「は?
しかしそれではほとんど数は・・・」
「よい、とにかく駆けつけねばならん
急げ!」
「ははっ!」
森可成は走ってその場から立ち去る。
「道三め
蝮らしく簡単にくたばるでないぞ」
呆然自失の濃をその場に残し、信長も森可成の後を追って部屋を飛び出していった。
信長と森可成、二人の動きを目の前にしながらも、濃の思考はその後しばらく停止したままであった。
しかし時間と共に我に返っていき、いつも通り頭が動くようになるのを待たずに頭をフル回転させる。
呆然自失のまま一人取り残された脳の頭の中は様々な考えがぐるぐるとめぐっていた。
「斎藤家で謀反となれば斎藤家との同盟がなくなるかもしれない・・・
じゃあ私が思い描いていた対今川義元ようの戦略は白紙・・・
戦国時代に来てからかなり時間もたってしまって、今川義元の上洛作戦結構までもうそれほど猶予もないのに・・・
どうしてこんなことになってしまったの・・・」
濃の知り歴史では斎藤家の中で争いなど起こらない。
しかし少し歴史が変わった現在、斎藤家内で争いが起こってしまった。
それはすなわち原因は歴史を変えた濃ということになる。
織田信秀の病死に平手政秀の自刃、そして斎藤道三が子供の裏切りに合う。
まるで株や為替の急降下を見ているかのように、濃が歩んでいた順調な道のりは一気に険しい茨の道と化してしまった。
「私はどうすればいいの?
織田家単体で今川義元と戦う?
斎藤家に戻ってから戦う?
どちらもダメって結論に至ったから同盟戦略に出たんじゃないの」
思い描いていた最高の状態から一転、奈落の底に突き落とされた気分だ。
「・・・時を・・・遡りましょうか」
濃が持つタイムマシンはマッピングをした時間と場所に帰ることができる。
歴史の中の「IF」を見るために作られた新型のタイムマシンだからだ。
この最悪の状況を脱することができるのは、最悪の状況が起こる前に戻って何かしらの手段を講じる以外に手はない。
そう思い濃は腕に肌身離さず装着しているタイムマシンの端末に手を触れようとする。
しかし、その手は触れる直前で止まった。
「まだ、最悪となったわけでは・・・」
斎藤道三と斎藤龍興が美濃国内で戦っている。
まだ戦っているだけで決着がついたわけでもなければ、親子のどちらかが死んでしまったわけでもない。
もしかしたらうまく話がまとまって講和になるかもしれない。
何かしらの横やりが入って停戦状態になるかもしれない。
まだ戦いの決着はついていないのだ。
決断をするのは早い方がいいが、今濃が持っているタイムマシンの機能を考えるなら、ことに成り行きを見守ってからの方がやり直した時に情報が多いことになり、次の行動がとりやすくなるはずだ。
そう理由をつけて自分を納得させた彼女だが、すぐに事が起こる前の時間に戻るのを躊躇ったのにはもう一つ理由がある。
「尾張の大うつけ・・・織田信長・・・」
濃の様子を見て即座に行動を起こした織田信長。
今まで主君の器とは思えないような部分や、物足りないところなどを多分に感じていたのだが、あの即断即決だけは濃の心に強い衝撃を与えた。
それ以上に、濃を見てからの即断即決だったということで、彼が妻のことを考えての行動だということが濃にとっては嬉しかった。
今まで人に尽くすことはあっても、人から何かをもらうということはほとんどなかった。
彼女のためを思っての行動ということが、濃にとって無いものにしたくない現実となってしまい、過去へと戻ることを躊躇ってしまったのだった。
「どうしようもなくなった時に・・・使うことにしましょう」
濃はタイムマシンを触れる市にまで来ていた手を下げ、タイムマシンも着物の中に戻す。
今自分が生きている時、その時間の先を見てからでいいという判断を下した彼女は部屋から出ていくこともなく、出陣した信長の帰還を清須城で待つことにしたのだった。
清須城へと戻った信長の様子は決して良くはなかった。
怪我があったというわけではなく、自ら援軍を率いて道三を助けに向かったにもかかわらず間に合わなかったからだ。
それもわずかな小競り合い程度しか援軍としての役目を果たせなかったことに信長は無力感を感じていた。
よって信長の様子、いわゆる精神面がよくなかった。
「すまぬ・・・
間に合わなかった」
「いえ、尽力いただけただけでうれしく思います」
信長は甲冑を脱ぎ捨てて柱を背にもたれかかり項垂れる。
そんな状態の信長に濃は次のことを考えて頭を切り替えるように言わなければならない。
「殿、今は落ち込んでいる時ではありません
これから先、織田家の行く末のことを考えなければなりません」
濃にとってこの現状は望む結果どころか、在ってはならない最悪に等しい状況だ。
しかし賽が振られて一度でも目が出てしまった以上、その次の賽を振って次の目を出さなければならない。
そしてその先の賽が良い目を出さなかったのなら、再び賽を振る段階に戻ってやり直せばいいのだ。
いままこの賽の目の後に何ができるか、そこに尽力する必要がある。
「今回、出陣したことで斎藤家との同盟はなくなったと考えられます」
「・・・確かに、早計だったかもしれんな
道三が死んでも、義龍と帰蝶は兄弟の間柄だ
同盟継続の盟約を取り付ければ斎藤家との同盟関係は守られたかもしれぬ
今回、道三側に立ったことで義龍との争いは避けられん」
信長は落ち込んでいるかと思いきや思いの外冷静だった。
現状をよく理解し、自らの選択が招く結果をきちんと見ることができている。
「しかしそれでも道三を死なせたくはなかった
あの蝮は・・・お前の父であろう
ワシも父とはそう長く時を共にしたわけではない
しかしそれを失うことの意味や重みを少し前に思い知らされたばかりだ」
信長が出陣を即決したのは濃のためで、その原動力は最近父親を失った自分の心。
自らが感じた負の思いを濃に感じさせたくなかった。
織田信長という人間を突き動かしたのは、彼の最も近い位置にいる妻から傷心を消し去るためであった。
「殿にはいくらお礼を申しても申し足りません
ですが今はそれどころではありません
斎藤家との同盟が崩れること、その影響が織田家にとってどのような影響があるのか、そのことに関して深く思案する必要があります」
「・・・確かにそうだな
それで、何がある?」
「斎藤家との同盟関係が崩れることで考えられるのが謀反です」
「謀反?
いったい誰が・・・
いや、考えるまでもないな
信行か」
織田信長が織田家の当主でいることで織田家が得られる最も大きな利益、それは斎藤家との固い同盟関係である。
しかし斎藤道三が息子に討ち果たされ、信長は道三側に立って自ら兵を率いて援軍を送ったことにより、織田家と斎藤家の同盟関係は風前の灯火。
同盟破綻の未来を予測することは子供にだってできるくらい簡単なことだ。
「織田家家中での殿と信行殿の勢力図は今のところ不明です
殿の政務をどれだけ家臣達が評価するかにかかっていますが、殿が後継者となる前は三対七で不利にあったので最悪それと同等になる可能性は避けられないと私は見ています
斎藤家との同盟はその不利を埋めて余りあるだけの力がありました
この状況で謀反を起こされれば数でも不利な状況に陥る結果は避けられません
ですが予想でしかありませんし、圧倒的大差というほどでもありません
こういう時に勝敗を分けるのは先見の明が優れているか否か、です」
「先見の明、か」
「信行殿も何かしらの策を講じると考えられます
品行方正な信行殿ならば家中をひとまとめにすることも難しくはありません」
「・・・ワシが大うつけで悪かったな」
信長はやや不機嫌な様子を見せる。
しかし、濃は逆に笑顔で信長に言葉を返す。
「そうですね。ですがそれを今更悔いてもしかたありません
大うつけであることが良かった、そう思える結果を導き出さなければなりません」
「・・・そんなことが可能なのか?」
「正直、わかりません
ですが内政は代替わりしてから改善されているはずです
その結果をどれだけ生かせるか、家臣団をどれだけ味方に引き入れられるか、それが要点になります」
「・・・そうだな
ワシにできることは多くはないが、できることをやるしかあるまい」
思い描く理想を成し遂げることは極めて困難な状況へと一転してしまったかもしれない。
しかしそもそも今回の歴史改変がそんなに簡単に行くとは思っていない。
濃は今後の織田家がどのように歩むべきか、夫の信長と一緒に考えなければならない。
そしてこの状況で考えついた内容が正しいのかどうか成功するかどうかなどは定かではないが、考え付いた全てを用いて織田信長の勝利に濃は賭けることにした。
順調な勝利を経て、タイムマシンを使わないまま尾張と織田家をまとめ上げる。
濃のために即断即決をしたあの瞬間の信長がなかったことにならないようにしたいという、歴史改変と言う自分を殺した行動に中での彼女のちょっとしたわがままであった。
同刻、尾張末森城。
美濃国にて斎藤義龍の謀反により斎藤道三が討ち死にした。
その報告が届いてからすぐ、末森城にいる織田信行と彼に近い重臣達に動きがあった。
「勝家、そろそろ動く時が来たぞ」
柴田勝家を部屋に呼び出した織田信行。
その二人の話はかねてより準備していたことを行動に起こす算段であった。
「はい
ではすぐにでも軍備を・・・」
「いや、それは早計だ
まずは織田家家中の者をできるだけ多く掌握せねばならない」
「それには及びませぬ
織田家家中の者は尾張の大うつけに辟易しておりました
斎藤道三との繋がり、斎藤家との同盟、この二つがあったからこそ尾張の大うつけが織田家の当主となれたにすぎませぬ」
「そうか、だが念には念を入れて根回しはしておけ」
「御意」
「あと、これを頼む」
信行は自らしたためた書状を勝家に手渡した。
「これは?」
「勝家、この書状を斎藤義龍に届けよ」
「斎藤義龍に?
いかな用件でございましょうか」
「わしが織田家を手中に収めた暁には再び織田家と斎藤家の同盟を確たるものにしたいという書状じゃ」
織田信長と斎藤道三によって結ばれた同盟を今度は織田信行と斎藤義龍によって再度締結しよう考えていた。
「しかし義龍がその話を簡単に飲むとは思えませぬが・・・」
「義龍なら飲む
道三はもとより商人の出だ
家中の全てを掌握しても武具や兵糧のやり取りをする商人からの心証が悪ければ一枚岩にはなれん
今はまだ家臣以外の者の掌握に手を焼いているころであろう」
「なるほど、隣国との争いはなるべく避けたいという考えがあってもおかしくはありませぬな」
「そしてこちらも行動を起こす
少なからず混乱があるためこちらも隣国との争いはなるべく避けたい」
つまり織田家と斎藤家の同盟は斎藤義龍と織田信行の両者に利のある提案ということになる。
「この同盟が成立すれば織田家は信行様のものですな」
「馬鹿を申すでない
この同盟はあくまで密約じゃ」
「密約?
公言してしまえばよいのでは?」
「それではわしはただの謀反人じゃ
あくまで織田家の当主たる資格のない兄を当主の座から追い落とすのは織田家の総意という大義名分が必要なのだ
斎藤家との同盟の話は当主の座についてから家中をまとめるための一手よ」
「なんという知恵・・・
この勝家、感服いたしました」
柴田勝家は心の中で織田信行こそ織田家の当主に相応しいと心酔していた。
「では任せたぞ」
「ははっ!」
織田家家中にて、兄と弟の争いはすでに水面下で繰り広げられているのだった。
織田信長方、織田信行方、双方がそれぞれ尾張織田家を率いる者として打てる手を着々と打っていく。
密かに打てる手を打っていく双方の先見の明を争う水面下の戦い。
その戦いの火ぶたが切って落とされる時が来た。
そのきっかけは斎藤義龍からの使者が清須城への到着であった。
「殿、斎藤義龍より書状が届きました」
清須城にいる信長の元に届いた書状を森可成が持ってきて信長に差し出す。
「離縁状・・・か」
「おそらくは・・・」
中身を見るまでもない。
斎藤家から織田家へ、同盟を破棄するという内容の手紙が届いたに過ぎない。
「可成、読め」
「ははっ」
書状に目を通し、森可成が内容を読み上げていく。
内容は事前に思い至ったものと大差ない。
斎藤道三側に味方した織田信長は味方として見ることはできないとして同盟関係を解消するという内容である。
そして織田家に嫁いだ濃には留まるか帰参するかを当人の判断に委ねるとして内容は締めくくられていた。
「斎藤家との同盟関係の解消・・・
しばらくは伏せますか?」
この情報が織田家家中に広まれば、反信長派は瞬く間に行動を起こすだろう。
しかし情報さえ広まらなければ相手側はその機会を得られない。
織田家家中では信行派が多いため、今はなるべく不利な状況を脱してからことに挑みたいと森可成は考えていた。
「いえ、この際大々的に通達いたしましょう」
森可成とは正反対に、濃は広く知らしめようと意見する。
「しかし、それでは謀反の恐れが・・・」
「謀反など遅かれ早かれ起こります
無駄に情報を隠匿すれば後々の心証が悪くなります
ならばその機会をこちらが与えることでまずは主導権を握りましょう」
「情報の公開が先手、か
しかし大々的にというのはどういうことだ?」
濃の言葉に信長は首をかしげる。
「この尾張にいる全ての味方を一人でも多く動員するためです」
「味方?
この尾張にまだ我らの味方がいると?」
「はい
ですが、確実に動いてくれるとは限りません
状況に左右される不確かなものですが、味方がいることには変わりありません」
「そ、それは味方と言ってよろしいのですか?
そもそも動かぬものを味方と呼ぶのは・・・」
森可成は濃の考えが読めない。
濃も不確かな可能性であるため、味方と呼びはするものの戦力とは換算できていない。
「・・・可成、尾張全域に通達せよ」
「し、しかし・・・」
「行け
お前が行かぬと言うなら佐久間か丹羽に行かせる
もはや後には引けぬ
僅かなものにも賭けるしかない」
「・・・わかりました
この命、殿にお預けいたします」
信長の指示に従い森可成はその場を足早に立ち去る。
「織田家当主として戦う時がついに来てしまいましたね
殿、準備はよろしいですか?」
「・・・さぁな」
迫りくる決戦の時を前に、信長と濃はあくまで強気な状態を演じるかのように言葉を交わしていた。
しかし心の中では、信長は戦いにおびえており、濃は勝率の低さに不安が常に渦巻いている。
一切の余裕がない状況のまま、信長と濃にとって最初の人生大一番がやってきたのだった。
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