第9話 戦国に降り立った身代わりの蝶
瞼を明るく照らす日差しに目が反応し、濃はゆっくりと目を開く。
周囲は自然の木々や草木に覆われており、ここが間違いなくタイムマシンを使う前にいたオペラハウスのホールではないことをは確かだ。
「ここは・・・どこでしょう?」
タイムマシンで時間を移動したはずだが、移動した先が指定した年代と場所になっているかどうかは現状では確かめようがない。
「指定したのは中世の日本で年代は1545年ごろ、それを確認できる何かがあればいいのですが・・・」
周囲の木々から間違いなくここが人の手が多くかかっている場所ではないことがわかる。
だからといって指定した場所に確実に到着しているとは限らない。
今は指定した時間に到着したと仮定して、これからのプランを頭の中で再度確認する。
「とにかく今は戦国時代で天下人となった今川義元を討ち果たすことが第一目標です
それには京の都への上洛前に一番手こずった斉藤氏の力を大いに利用するのが上策でしょう
そして武家のこの国全体に示して武士の基本的な考えを国全体に浸透させる
大国ロシアを様々な手段を用いたとはいえ打ち破ったポテンシャルをさらに引き出すことができれば、白人以外にも優れた民族がいるということを示すことができるはずです
そうすればきっとあんな世界にはならないはず・・・」
あくまで希望的観測に過ぎない。
しかし濃はその希望的観測に縋ってでも、あの世界を認めることはできないのだった。
「タイムマシンの性能を再確認しておきましょう
えーっと、エネルギーは太陽光などで近代科学がなくても補充が可能になっていて、操作はこの手首につけられたタブレット一つでできる、今いる時間と場所をマッピングすることでこの時間のこの場所にその時にいた年齢で帰って来られる・・・でしたかね
タイムマシンで過去に来て、タイムリープが可能になっているという結論で間違いない
ならばまずはマッピングをするわけですが、祖もsもここはどこなのでしょうか
今はまずここがどこなのかをまず確認することが必要ですね」
周囲をきょろきょろと見渡していた時、濃の視線の先に人影が見えた。
木々の合間でよくわからないが、人がいるなら話を聞けばいい。
たとえごく普通に話す言葉が通じなくてもここが日本であるなら対応のしかたはいくらでもあるし、言語を聞いて生きている人を観察するだけでも現在地と現在の時代のヒントになる。
濃は視界に飛び込んできた人影の元へと向かって行く。
濃が人影に近づくのと同時に、人影もまた濃に気が付く。
そして警戒しながら近づいてきたのは数名の男たちであった。
その男達は普通の出で立ちではなく、同鎧と陣笠に槍を持って濃に近づいてくる。
その男達の出で立ちを見て濃はまず一息ついた。
目的の時代近辺に到着していることがほぼ確実と思われたからだ。
「何者だ!」
槍を持つ男達はおそらく足軽。
そしてここはどこかの領主の領内か、戦をしている戦場の近くだということが推測できる。
「あの・・・すみません
ここはどこでしょうか?」
「はぁ?」
足軽達は濃が一体誰であるかを問う。
それに対して濃は逆にここはどこであるかということを聞く。
質問を質問で返したのだ。
その濃の対応に足軽達も少々眉をひそめるが、この場所を大雑把にだが教えてくれた。
「ここは美濃の斉藤家の領内だ
お前はいったい何者だ!」
美濃の斉藤家と聞いて濃はさらに一息つける。
タイムマシンで指定した場所と年代にばっちり到着していたのだ。
「近代科学恐るべし・・・ですね」
タイムマシンのタブレットに服の上から触れながら、メイソンを始めとした研究者達の実力に感謝する。
「何事だ!」
濃が足軽達に詰め寄られているところにもう一人男がやってくる。
その男は足軽とは違い、装備品が一等各上である。
見るからに指揮官らしき装備を身にまとっている。
「これは不破様
怪しい女がおりましたので詰問していたところでございます」
足軽達が腰を低くして現れた男に一礼する。
「不破・・・聞いたことがありますね」
斉藤家に仕える戦国武将不破光治。
濃の知る歴史では今川義元が迫りくる中、美濃の稲葉山城の外の出城で徹底抗戦を行い、上洛をてこずらせた歴史に名を遺す人物だ。
歴史に名が残る戦国武将にこんなにも早く出会えたことに濃の心は少し高ぶっていた。
「その方、何者か?」
詰問者が足軽達から不破光治に代わる。
濃は高ぶる心を静めて、冷静にこの場を切り抜けなければならないと自分に言い聞かせる。
そして何とかこの場を切り抜けようと思いついたことを即座に言葉にした。
「申し訳ございません
気が付いたらそのあたりをさまよっておりまして・・・
その・・・自分がどこから来たのかもわからないのです」
下手な言い訳をしてぼろを出す可能性を残すよりも、原因不明の理由で過去のことがわからないと言っておくのが上策という考えに至った。
何も覚えていないと言った濃に足軽達が食って掛かる。
「何を言っている!
織田の間者だろう!」
「不破様!
この怪しい女の言うことは信じられません!」
いきなり現れて言うこと成すこと全てを信じろと言っても無理な話だ。
だがそれでも濃は彼らに信用してもらわなければならない。
今川義元の上洛を止めるためには地の利を持ち、国力のある美濃の斉藤家の力がどうしても必要不可欠だ。
今川義元の天下にしてしまえば待っているのは濃が知る世界。
それだけはどうしても避けなければならない。
故に濃はどうしても彼らに怪しまれたままでいるわけにはいかなかった。
「頭でも打ったか?
自らの素性がわからぬとあれば不安も多かろう
今この地は戦の最中じゃ
信用できぬゆえよい待遇はできぬが、城内で休む場くらいは与えよう」
「なっ!
不破様!」
「どこの誰かもわからぬ女を城内に入れるのですか?」
足軽達の不審がる様子はもっともだが、不破光治はその不審そうな足軽達とはまるで様子が違う。
「この者がまことに己のことがわからぬようになってしまっているのであれば手を貸してやるものだろう
もし間者と分かれば即刻この手で切り捨てる」
不破は自らの手をアピールするように濃に突き出した。
そして出した手を収めると足軽達に指示を出す。
「城へ連れていけ
責任はすべて私が取る」
「は、はぁ・・・」
納得のいかない足軽達につき従うように濃は山道を登っていく。
山道を上っていく少女の様子を見ていた不破光治はボソッと独り言をつぶやく。
「あの娘、何やら異様な雰囲気を感じたな
高貴というわけではないようだが、しかし平々凡々というわけでもなさそうだ
これは才気なのか、それとも別の何やら異様なものなのか・・・」
不破光治は自ら感じた濃のただならぬ雰囲気に間者とは思えなかった。
濃の国定奉公人としての器量や立ち振る舞い、さらにこの時代持ちえない生まれ育った時代によって培った雰囲気の異端さが、時代は違えど相手に自らを認めさせた瞬間であった。
稲葉山城内に連れてこられた濃は一時的に質素な家屋で寝泊まりすることを厳命された。
もし不必要に出回ると間者と認定して斬られても文句は言えない状況だ。
そしてその家屋の外には見張りなのか足軽が二人ほど立っている。
「まぁ・・・こうなりますよね」
いきなり現れた濃に対する最大の譲歩だろう。
濃がするべきことは今後この状態からどれだけ信用を勝ち取れるかというところだ。
「とりあえず危険なことをしなければ命は大丈夫として、どうやって偉い人達からの信用を勝ち取るかが問題ですね」
家屋に軟禁された状態の濃はそこで一人静かに考えを練る。
すると徐々に外が騒がしくなる。
「織田軍が動き出したらしいぞ!」
「織田攻めてくるかもしれん!
警戒を怠るな!」
稲葉山城内が慌ただしくなる。
家屋の外では大勢の人が行ったり来たりと走り回っており、緊迫した空気が城全体を包み込んでいた。
「え、えぇ?
攻めてくる?
どういうことですか?」
これからのことを考えている濃にいきなり想定外のことが起こる。
今川義元の上洛以外で陥落することのなかった稲葉山城が攻められるという。
濃の知る歴史ではしばらくこの城は安泰だと思っていた。
今はまだ何も歴史を変えていないため安心しきっていたのだが、不意に飛び込んできた一報に少女はいきなり出鼻をくじかれた思いだった。
「もしかして私がこの時代に来たことでもう歴史が変わってしまったのですか・・・」
濃は稲葉山城の麓で家臣の不破光治に発見され城まで連れて行かれた。
しかし濃が発見されなければ不破光治は巡回なりをしていたはずだ。
そこで敵の動きを察知していれば攻められる心配はなかったのではないか。
突然出鼻をくじかれた濃はマイナス思考に陥っていた。
そしてもしそうだとしたら、濃が今ここにいる意味合いが大きく変わってきてしまう。
「どうか私の知る歴史から大きな変化がありませんように・・・」
濃は神にもすがる思いで騒ぎが収まるまで願い続ける。
戦国時代にやってきたその日の夜、少女は様々な思いから眠れない時間を過ごすのだった。
騒ぎから一夜明け、濃は不破光治に連れられて稲葉山城の本丸へと連れて行かれる。
思いの外あっさりと斉藤家当主の斉藤道三との面会がかなったのだった。
「あの・・・昨夜の騒ぎは・・・」
「ああ、尾張の織田軍が国境付近で軍を動かしていたのでな」
「では交戦はなかったのですか?」
「ああ、なかった」
「そうですか」
濃は少しほっとする。
濃の頭の中にある対今川義元上洛阻止作戦を成功させるためには少しでも国力を温存しておきたいからだ。
広間に通された濃は座して頭を下げながら斉藤道三の登場を待つ。
不破光治以外にも数名の斉藤家家臣団がおり、ここで妙な真似をすれば即刻切り捨てるという殺気立った雰囲気が伝わってくる。
昨夜の騒ぎの影響もあるだろうが、濃には生きた心地がしなかった。
「光治よ
その娘か?」
「はい、昨日山の麓で見つけましてございます」
上座に斉藤道三が現れて腰かける気配が感じられる。
「面を上げい」
斉藤道三に言われて濃は下げていた顔を上げる。
今川義元の上洛までの最大の敵として歴史に名を残す斉藤道三と初めて対面した瞬間だった。
「ほぅ、なるほど・・・」
斉藤道三は濃をしばらく無言で観察するように見る。
その鋭い眼光を受けつつも濃は微動だにしなかった。
「その方、今一度聞こう
何者だ?」
「申し訳ありませんが山をさまよう前のことを覚えておりません」
濃はあくまで記憶がないという設定を貫き通す。
ぼろを出して怪しまれれば濃の願いをかなえることは不可能。
そこには細心の注意を払う必要がある。
「なるほどな
おびえることもなく堂々としておる
光治の言うとおり、確かにただならぬ娘かもしれぬな」
濃はまだ若く、世間的に見ればまだ子供だ。
しかし子供でありながらも多くの訓練を受けて様々な経験を積んでいる。
対面することで威圧感を与える人との面会の経験だってある。
そういった積み重ねがこの場で肝っ玉として不破光治や斉藤道三に評価されることとなった。
斉藤道三と面して、濃が感じているのがただの威圧感だけではないことに気が付いた。
威圧感の中にどこか探りを入れる様子もあり、そして心なしか父親が娘を見るような雰囲気さえそこには混じっていた。
「殿のご息女のお蝶様が美濃より姿を消して一年になります
代わりというわけではありませんが肝の座りや才気に不足はないかと
もしやこれは天啓ではないかとも思います」
不破光治の言葉に濃は驚く。
斉藤道三の娘がどうやら一年も行方不明らしいのだ。
誘拐などを考えても一国の姫がそう簡単に連れ去られるとは思えない。
家臣団の様子から見ると犯人も見つかっていないようだ。
いわゆる神隠しの状態とみるのが妥当らしい。
「天啓・・・か」
斉藤道三が大きく息をついて考え込む。
そしてしばらくの沈黙の後、斉藤道三は濃をまっすぐ見据える。
「その方、美濃の姫として生きよと命じられればその命を受けるか?」
斉藤道三から思わぬ言葉をもらった。
いかにして斉藤家の上層部との繋がりを作るかを考えていた濃だが、ひょんなことからいきなり斉藤道三の養女となる道がひらけたのだ。
「私は過去を持たぬ身でございます
受け入れてくださるのならばこれ以上の厚遇はございません」
濃は深々と頭を下げる。
それは感謝の意を斉藤道三に伝えるのに十分な行動だった。
「蝶は我がもとを飛び立って行ってしまった
しかしその蝶が再び帰ってきた
これよりそなたは『帰蝶』と名乗り我が娘とする」
「『帰蝶』・・・ですか
はい、ありがとうございます」
濃は再度頭を下げて感謝の意を伝える。
これにより濃の処遇は一件落着。
少女自身も自らが思い描き、様々な可能性を考えた中でも想像以上に良い結果が転がり込んできた。
幸先の良いスタートに内心は喜ぶものの、そこで安心しているわけにはいかない。
濃が受け身となって動くのはここまでであり、次なる手に今から出ていなければならないのだ。
何故なら歴史のその時は必ずやってくることが確実であるのだから。
「では早速ですがお父上様」
「ん?
なんじゃ?」
「先ほどこちらに参るまでに城内を少しだけ見ることがかないました
この稲葉山城にはまだまだ難攻不落とする余地がございます
城内の様々な事柄に対する改革案を提示させていただきたいと思います」
先ほどまでの濃とは一変して自らの意見をはっきり言う様子に斉藤道三だけでなく家臣団も度肝を抜かれたように驚いていた。
「か・・・改革・・・だと?」
「はい、お聞き入れくださればこの稲葉山城
天下に名立たる堅牢な城になるかと思われます」
普段なら一笑に付す女子供の戯言。
しかし濃の絶対的な自信がにじみ出る雰囲気に、斉藤道三以下家臣団はその言葉を拒みきれずに押し切られてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます