第6話 少年たちが見ている夢(2✖✖✖年編)
レスター家の豪邸へと帰ってきた濃とリズ。
リズは車を駐車場へと移動させ、濃は食材を手に早々とキッチンへ向かう。
車を停めに向かったリズが来ることを待つことなく、濃はさっそく重箱弁当を作る調理に取り掛かる。
「おーい、何か手伝おうか?」
車を停めてやってきたリズ。
キッチンでは慌ただしく動き回る濃の姿があった。
リズの声に反応する様子もないのは料理に集中しているがためであり、決して彼女を無視しているわけではない。
「しかし、相変わらずこの子の頭の中はどうなっているのやら・・・」
最大の集中力を発揮して調理に没頭する濃の姿をただ茫然と見ているリズ。
キッチンの中を慌ただしく移動しては料理をしているのだが、その間に同時進行で行われている工程は両手をフルに使わなければ数えられないほどだ。
二つあるコンロの一つでは火にかけた鍋では出汁を取り、もう一つのコンロではフライパンを使って蒸し焼き。
冷蔵庫では調理途中での冷やす工程が行われており、冷凍庫ではデザートが時間による完成を待つだけ。
まな板の上では手早く食材が素早く正確に、それでいて綺麗に切られていく。
電子機器もフル活用し、数多の作業を一人でこなす様は人間業とは思えなかった。
「いやぁ、彼女は相変わらずすごいね
うちのレストランに欲しいくらいだよ」
突如キッチンに現れた一人の白人男性のつぶやき。
短い金髪の頭に少しだけ生えたひげと明るそうな顔立ちがどことなく人付き合いのよさそうな印象を与える。
年は三十半ばか四十手前と言ったところか。
リズはその人物と面識があるのか、男性の登場に特に驚く様子も見せずに相槌を打つ。
「ラファエロ、今日は来る予定だったかしら?」
「いやぁ、いきなり呼び出しがあってね
来週の予定だった会合が急遽相手側の都合で今夜になったんだとさ」
「それで呼び出されたの」
「困ったものだよ
僕はレストランで腕を振るわなきゃいけないんだけどね
でも一等民族様には逆らえないってわけさ」
自虐的な雰囲気を込めた笑いがラファエロから漏れる。
ラファエロはイタリア人で、ドイツ人のリズと同じ二等民族に該当する。
イタリア人は地区や地域や所属や派閥などでイギリス側についたかドイツ側についたかが複雑に絡み合っている。
そのため民族の等級を当てはめるのにはかなり議論が尽くされ、イタリア人は一等民族と二等民族が混在することとなり、ラファエロの家系は二等民族となっていた。
二等民族のラファエロだが、多くの修行を積んだことにより一流の料理人となった。
そのため一等民族の会合などが行われる際に振舞われる料理を一等民族の中から出てきた料理人を差し置いて任せられることも少なくない。
二等民族とはいえ、努力次第では民族の等級に係わらない確固たる地位を彼は実力で手に入れていた。
「嫌われたらどれだけ実力を認められて気に入られていてもやっていけないからね
ゴマすりと言えば聞こえは悪いかもしれないけど、まぁ生きていくうえで外せない処世術と言ったところかな」
実力があれば等級を超えて認められる。
ラファエロはその地位を築いた。
しかしそれが許されたのはラファエロが白人であり、なおかつイタリア人であったからに他ならない。
三等民族以下の等級に該当する人間はどれだけ実力や才能があっても認められない。
それがこの世の常識であり、変わらない不変の真実であった。
「それで、こんな時間から何をするわけ?」
「下ごしらえさ
いい料理は仕込みから良くないとね」
明るくフレンドリーな様子のラファエロだが、彼には料理人としての矜持がある。
心の中にある料理人としてのプライドが彼に完璧な料理を作らせるために、夕刻よりもはるかに早い時間であっても迷うことなく現場の厨房へと足を運ぶのだ。
「あとどれくらいで終わると思う?」
「昼食までに間に合わせる気らしいから、昼までには終わるんじゃないかな」
「じゃあ少し待つとしようか
僕の方はまだ時間に余裕があるしね」
慌ただしく調理に集中する濃の邪魔をしないようにラファエロは厨房を後にしようとするのだが、その途中で足を止めてリズにスッと接近する。
「彼女の邪魔をしてはいけないからね
向こうで少し話さないかい?」
「庭の木なら静かに話を聞いてくれると思うわ」
ニコッと微笑むラファエロだが、その笑顔をリズは無表情で一蹴する。
「やれやれ、君は厳しいね」
「職務時間以外は特に緩すぎるのも問題だと思うけど?」
ナンパに失敗したラファエロは一息つくとそれ以上しつこく迫ることなく、濃の調理が終わるであろう時間が来るまでキッチンの外で待つために厨房を後にした。
「仕事に対する姿勢は嫌いじゃないんだけどねぇ・・・」
去っていくラファエロの背中を見るリズはそう一言だけボソッと漏らした。
「リズさん!」
去っていくラファエロの背中を見送るリズ。
その彼女に背後から濃が大きな声でリズの名を呼ぶ。
いきなりの不意打ちに驚いたリズの体は一瞬ビクッと震えて、何かに急かされるかのように濃の方へと向き直った。
「移動時間まで考えると少々時間が厳しいです
盛り付けの手伝いをお願いできませんか?」
「手伝うのは構わないけど・・・盛り付けだけでいいの?」
「あ、調理はもうほとんど終わっていますから」
「は、早い・・・」
ラファエロが濃をレストランに欲しいと思う理由がわかる。
この少女なら一人で複数人分の作業を同時進行でミスなく進ませることが可能だ。
それでいて技量にも仕事に対する姿勢にも申し分ない。
日本人がみんな彼女のような優秀さを持っていないことは十分わかっている。
しかし彼女を見ているとますます民族に対する等級制度の馬鹿馬鹿しさを感じてしまう。
この世界に固定化されてしまった常識を疑問視してしまう行為は今の世界ではとても危険なことだが、それが正しいのではないかと言う思いがそうしてもぬぐいきれない。
「いいよ、じゃあどれからやればいい?」
少女がそう思わせてくれるということは、少女自身の技能が優れているということ。
民族の線引きや等級などすべてを無視し、リズは吉野濃という一個人に対する尊敬の念を持ち、相手をお互いに尊重することができる間柄であればいいと自分に言い聞かせ、心の中に湧き起った現代社会に反する思いを誤魔化して一時的に霧散させるのだった。
重箱弁当に料理を盛りつけ、リズの運転する車でレスター家の長男レナードのもとへと向かう。
車に揺られてしばらくして到着したのは有名な名門サッカークラブのホームスタジアム。
その傍らに併設されたグラウンドが、クラブに所属する少年少女の練習場として使われている。
濃とリズは重箱弁当を手にグラウンドのすぐそばにまでやってきた。
クラブのユニフォームを着た少年たちが一心不乱にサッカーに興じているのが見て取れる。
その様子はどこの国でも同じで、小さな子供が集まって何かに夢中になる光景に、濃は祖国の幼馴染みたちを思い出していた。
「あ、終わったみたいね」
しばらく練習の光景を見守っていると、練習が終わったのか先ほどまで走り回っていた少年たちがベンチへと引き上げてくる。
その様子を見て濃はリズと一緒に少年たちが集まっているベンチへと足を進める。
「あっ!」
濃とリズ、そしてその手に持たれている重箱弁当に気が付いたレナードが駆け寄ってくる。
そうとう楽しみだったのか目をキラキラさせており、年相応のかわいらしさが彼からは感じられた。
「重箱弁当、全員お腹いっぱい食べられるだけありますよ」
「ほんと?
やったね!
早く食べたい」
レナードは早く弁当を食べられるように用意してくれと言わんばかりに濃を急かす。
「落ち着いてください
まずは汗を拭いて、シャツを着替えましょう」
「わかったよ
すぐに着替えるから先に準備していてよ」
レナードはすぐにチームメイトの少年たちの下へと駆け寄り、リーダーシップを発揮して自分も含めたみんなのクールダウンと着替えを済ませる。
その頃には練習用のグラウンドのすぐ外で地面にビニールシートを敷いて重箱弁当を広げ終え、いつでも昼食が始められる準備が整っていた。
着替えを終えた少年たちは我先にとやってくるが、それを濃が制止する。
「はい、止まってください
靴は脱いでからですよ
それとあまりドタバタしますと砂埃が舞いますので落ち着いてゆっくり」
濃の音頭もあってか少年たちの勢いはうまく抑えられ、全員が重箱弁当に手が届く場所に座る。
「はい、ではどうぞ
お召し上がりください」
濃の言葉で少年たちは一斉に重箱弁当に手を伸ばす。
持っているのはフォークやスプーン。
日本のように箸を使わない文化であるため、濃はフォークやスプーンを使っても食べやすいように考えて献立を考えていた。
そのおかげか、重箱弁当は思いの外スムーズに量を減らしていくこととなる。
「最初は外で地面に座って食べるなんてどうかしていると思っていたけど、普通に家の中で食べるだけじゃない新鮮な感じがいよね」
一等民族の中でも上流階級が少なくない少年たちは屋外でこのように弁当を食べるということを経験したことがない。
少年たちどころかその親や祖父母に至るまで、文化の違いからかそれを知らない。
故に少年たちには新鮮で斬新、かつ弁当のおいしさもあって皆が満面の笑みで昼食を進めている。
「お褒めに与り光栄です
私の国では季節や天候などに合わせて屋外で自然を楽しみながら食べるという文化が三世紀ごろにはもう存在したという痕跡が遺跡からも見つかっています
時間が経っても美味しいものを屋外のどこでも食べられるように、そして楽しんで食事ができるようにとの先人たちの工夫によるもので・・・」
「濃、誰も聞いてないから」
「え、えぇ?」
育ち盛りのスポーツ少年たちは運動後の食事に集中しており、誰一人として濃の話を聞いていなかった。
リズは濃の肩を叩き、小さく言葉にはしないで励ます。
「みなさん、あんまり急いで食べるとのどに詰まらせたりして危険ですよ」
「急がないとダメなんだよ
この後トップチームの選手たちの練習がそこのスタジアムで行われるんだけど、その前に少し話せる時間がもらえたんだ」
有名な名門サッカークラブのトップチームの選手達との交流。
サッカー少年たちからしてみれば夢のような時間だ。
そのような時間を食事で潰してしまうわけにはいかない。
しかし腹が減っていてもいけない。
よって急いで食事を進めるという選択肢が採用されたようだ。
「・・・あちらの方々は?」
食事を一心不乱に楽しむ少年たちとは対照的に、練習用のグラウンドの後片付けをしている人達がいる。
年齢は見たところレナードをはじめとした少年サッカーチームの面々とそう変わりはしない。
しかし彼らは少年たちと一緒に食事をとることが許されない。
何故ならば、彼らの肌は少年たちとは正反対と言ってもいい黒色だったからだ。
「ん?
練習用にクラブが買ってくれたんだ」
子供達の口からも平気で『人間を買う』という言葉が飛び出す。
それを異常と感じる少年たちは一人もおらず、ごく当たり前のように話が進んでいく。
「フリーキックの練習の時の壁とかに使うんだ
後、練習の前には準備で終わったら後片付けね」
黒人の少年たちはまともに練習をさせてもらえないし、どれだけうまくても試合に出ることなどできない。
ただ奴隷のように練習の手伝いをし、練習の前後の用意と後片付けをこなす。
それで食事が耐えられて彼らは生き、一等民族の少年たちは成長していく。
役に立たなくなれば処分して新しい奴隷を用意し、黒人少年たちの家族も新たな商品と言うかのように子供を産んで育てる。
そうしなければ生きていけない歪んだ世界が彼らにとってはごく普通の当たり前の日常であった。
「あっ!
そろそろ時間だ」
「ほんとだ!
将来サッカー選手を目指すからにはこの時間は無駄にできないよな」
重箱弁当をある程度食べ終えて腹が満たされた少年たちは次々にビニールシートから腰を浮かせる。
そして靴を履いてまた同じように我先にと今度はスタジアムへと駆けていく。
もちろん後片付けなどしない。
それは濃とリズの仕事だからだ。
「じゃあ、片づけようか」
リズが散らかったビニールシートの上のゴミを綺麗にしていく。
重箱弁当の中にはまだ料理が残っているが、それに口をつける人はもういない。
もったいないがこれはこのまま廃棄処分になってしまう。
「・・・あ、みなさん!」
後片付けをしているリズをよそに、濃は後片付けが終わったグラウンド内にいる黒人少年たちに声をかけた。
「まだたくさんありますのでよかったらいかがですか?」
一つの重箱に減った分、他のところから補充した弁当箱を持って黒人少年たちに声をかけた。
しかし黒人少年たちは濃を一瞥しただけで特に興味を持つ様子はなかった。
「濃、やめておきなさい」
濃のしていることは決して間違いではない。
しかし今の世界情勢、今現在の世界の常識、そのどちらからも対極にある行動だ。
故にリズは少女を止めるのだが、少女はその言葉に耳を傾けはしなかった。
「味は悪くないと思うのですが、お口に合わなければ残していただいて構いませんので」
弁当箱を持って黒人少年たちの下へと歩み寄っていく濃は、そのまま黒人少年たちの間近にまで来て弁当箱を差し出した。
「どうぞ」
重箱弁当の中にはおいしそうな料理が並んでいる。
それはどれをとっても現状の黒人少年たちが食べられるようなレベルの食事ではない。
彼らは喉から手が出るほどその料理を食べたいはずである。
食べたいはずなのだが、彼らはその欲求以上に一つの感情を剥き出しにして濃に怒号を浴びせる。
「あいつらに媚びるお前ら日本人のお情けなんかいらねぇよ!」
差し出された弁当箱は黒人少年の一人の手によって濃の手から無惨にも地面に叩き落とされた。
「おいっ!
上等民族に対する加害行為は重罪だぞ!」
状況を察して駆けてきたリズのおかげでそれ以上黒人少年たちは濃に何かをするようなことはなかった。
「リズさん、私は大丈夫ですよ
ちょっと手を滑らせて落としてしまっただけですから」
「濃・・・」
濃は黒人少年たちに危害を加えられたとは口が裂けても言うつもりはない。
そんな少女の思いを察してか、リズはそれ以上加害行為に対しては口を閉ざした。
「施しや情けのつもりはありませんが、お気を悪くさせてしまったのなら謝ります
申し訳ありませんでした」
濃は腰から頭を深々と下げて黒人少年たちに謝意を示した。
その行動に謝意を受けた黒人少年たちは唖然とした驚いた表情のまま固まってしまっていた。
「生まれた時にすでに多くのことが決まってしまっている
それはとても悲しいことでしょう
生きていくことすらやっとの人もいれば、毎日を楽しく充実して過ごす人もいます
生まれに差はあっても、それが多くのことを決めてしまうことはないと、私は思います」
しかしその思いは今の世界では認められない。
認められないがゆえに、民族ごとに等級を分ける制度が当たり前となってしまっている。
歴史の中での進化の過程、文明の発展の明暗、外界への野心の大小など、今を生きる人達ではもうどうしようもないことで大きな差ができてしまった。
今の濃一人の力ではお弁当を差し出すくらいのことしかできないが、それでも黒人少年たちが少しでも生きていることに前向きになってくれればと言う思いで少女は弁当を差し出した。
そしてその差し出す相手が誰であろうとも、少女は幾度となく同じことを繰り返すだろう。
「お弁当、ダメになってしまいましたね
すみません」
地面に落ちた弁当箱を濃が拾い上げようとした時、濃よりも先に黒人少年の一人が弁当箱を拾い上げた。
そして弁当箱の中に残っている無事な食べ物を一つ手に取り、そのまま口に運ぶ。
「・・・こっちこそ、悪かった」
一人の黒人少年が謝ることを皮切りに、残りの黒人少年たちも次々に料理に手を伸ばす。
中には落とした地面に落ちたものにまで手を出す黒人少年もいたが、それはさすがに止めて弁当の中の無事なものを食べるように促す。
ものの数分で弁当箱の中は空っぽになってしまった。
それは特に感想などなくても彼らが濃の作った料理に満足してくれているということに他ならない。
「たくさん食べていただいてありがとうございます
また作ってくる機会があれば、その時もたくさん食べてくださいね」
作ってきた方が礼を言われるのではなく、食べた方が礼を言われる。
彼らからしたらなぜ濃が礼を言うのかわからなかった。
だが、満足そうな少女の顔をみて、彼女なりの何かが満たされたのだということは雰囲気で察することができたようだ。
濃は黒人少年たちへ挨拶を済ませると、リズと一緒にブルーシートと散らかった弁当箱や食べ物の残骸を片付ける。
「次から勝手なことをしたらひっぱたくよ」
「リズさん、そんなに怒らないでください」
リズの怒り、それは濃の心の優しさから出た突発的な善意から起こりうる最悪の事態を想定してのものだった。
最悪の事態にならず安堵はするものの、少女の勝手な行動に肝を冷やしたのは間違いない。
「怒りたくもなるでしょう」
「・・・すみません」
リズは多くを語らない。
しかし濃はリズの言いたいことはわかっている。
口数こそ少ないが、互いに信頼できる同僚であり友人関係ができているからこその一つの以心伝心。
ほぼ無言のまま弁当の後片付けを終えた二人はこの場所へとやってきた車へと荷物を運び込んでいく。
「ほら、さっさと帰るよ
今夜は今夜で忙しいからね」
「そうですね
働き甲斐がありそうです」
「休みたいっていう考えにはならないのがすごいよね
ある意味尊敬するわ」
「・・・そうですか?」
「ええ、そうよ」
信頼し合える同僚として一定の以心伝心はあった。
しかし生まれ育った国の文化や風習などにより考え方や行動がまるで違う。
その差異だけはそう簡単には埋まらないのだろうと思いながらも、尊敬できる同僚とこうして一緒にいられることにお互い充実していた。
リズの運転する車の助手席に乗る濃。
会話こそ多くはないが、少ない口数で多くのことを伝えあっている二人。
その二人は今夜の会合へと臨むため、ラファエロがディナーの準備をしているレスター家の豪邸へと再び帰っていく。
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