第4話 民族等級制度1(2✖✖✖年編)

朝食の片づけを終え、綺麗になったテーブルを見て一息つく濃。

一人きりとなった食卓は物音一つなく静寂。

朝の日差しが差し込む一室には屋外の木々が風に揺れる音が小さく遠く届くのみ。

その静寂の中、濃は今日のこれからの予定を頭の中で組み立てる。

いかに無駄がなく効率よく時間を使えて完璧に仕事をこなせるか、それを重点に置いた思考の時はごくわずかな時間で終わりを迎える。


「さて、まずは買い物ですね

 お昼までに重箱弁当の用意となると必要な食材の量だけでなく調理時間が短くてたくさん作れるものを用意する必要がありますね

 そうなると作るものは・・・」


ブツブツと独り言を呟きながら買い物へと向かう準備を整える。

そしていざ買い物に出かけようとした時、玄関で一人の女性と遭遇した。


「あ、リズさん

 おはようございます」


背筋を伸ばして頭を下げて朝の挨拶をした濃の視線の先にいるのは、長い金髪を後ろに一まとめにした活発そうな白人女性だ。

リズと呼んだ濃だがそれは短くした呼称で、本当はリーゼロッテと言う。

小柄な濃とは違いスラリとした体に目を合わせるとなると見上げなければならないほど背も高く、目鼻立ちも整っている容姿に欠点は見つけられなかった。

美しさと凛々しさを兼ね備える白人の彼女だが、このレスター家の面々とは違い高級品や高価な衣服に身を包んでいるわけではない。

いわゆるメイド服と呼ばれる使用人の制服を身に着けている。


「おはよう

 相変わらず朝から元気ね」


リズは大きなあくびをする。

既に家の中には主となるレスター家の人間は誰一人いない。

それゆえの気の緩みなのか、大きなあくびを彼女は隠そうともしなかった。


「あくびはあまり大っぴらにしないほうがよろしいかと・・・」


「いいじゃないの

 あなた以外誰も見ていないでしょ?」


「今はそうですが普段から気を付けていないといざというところで小さな綻びが出てしまいますよ」


「相変わらず細かいわね

 日本人ってみんなそうなの?」


「私は細かいと思ったことはないので何とも言えないのですが・・・」


「その返答がもう答えになっているんじゃないの

 はぁ、日本って国にはいかない方がよさそうね

 行ったら息がつまりそうだわ」


母国の常識や文化や考え方の相違からか、リズは濃の母国へ行く機会があっても行かない方がいいという考えに至っていた。

リズにとっての日本人の印象は目の前にいる吉野濃という一人の少女が全てである。

目の前にいる少女のような人間が見渡す限りの人全てという印象はどうしても拭えない。

吉野濃と言う少女も日本人の中でも個性の一つであるという印象にはなかなかならない。

見知らぬ遠い異国とはそういう印象を持つものなのだろう。


「なに?

 今から買い物?」


「はい

 重箱弁当を急ぎ作らないとといけませんので」


「ジューバコ?」


「以前お見せしたお弁当は憶えていますか?」


「ああ、あの箱に入ったやつでしょ?」


「はい

 それを複数重ねたものを重箱弁当といいます」


「へぇ・・・

 つまり大きいバージョンってことね」


「はい

 大人数用です」


重箱弁当の説明に納得がいったのか、リズは二度三度とうなずいている。


「じゃあ手伝うわ」


「え?

 ですが食事は私の割り当てで・・・」


「あのね、大人数分の食材が必要なんでしょ?

 何回買い物に行くつもり?」


リズは濃の隣に立つと背丈を比較し始める。

小柄な濃よりも頭一つ分大きな体のリズ。

当然肩幅や腕の長さも違う。

まるで大人と子供だ。


「男の使用人がいればいいんだけどね

 雑務用の使用人はこの間のことで解雇されちゃってまだ変わりが手配されていないからなぁ」


「そう言えば最近見かけませんね

 なぜ解雇されたのですか?」


「等級詐称罪よ

 一等民族の身の回りには二等民族以外置くことができない決まりなの

 よって二等民族と三等民族以下にはかなりの所得の差が生まれる

 だから後を絶たないのよね

 三等民族以下の人間が二等民族を装うのは・・・」


「国際法でしたね

 彼らは詐称だったのですか

 気づきませんでした」


記憶の中にある男の使用人の顔を思い出す濃。

思い出しながら視線はリズから自然と外してしまう。

その些細な反応を彼女は見逃さなかった。


「・・・嘘をつかないことね

 ヨーロッパに近い国の人の詐称は気付かないかもしれないけれど、日本人だって言った東アジア人ならあなたなら見分けがついたでしょう?」


「それは・・・」


「本来なら背任行為なわけだけど、あなたが優秀で手放すのは惜しいということで見逃されているわけ

 仲介業者に送り返すだけで済んだのもあなたに対して穏便な処分が求められたから

 本来なら詐称した人間は全員処分、背任行為は厳罰ものよ」


「・・・それはわかっています」


うつむく濃の表情は晴れない。

少女には少女の思いと考えがあり、それに従った結果だというのはリズにもわかっている。


「国の家族が、とか言われた?

 それはほとんど嘘よ

 等級詐称を貫き通すための嘘なの

 馬鹿正直に信じたのか、それとも同情したのかは知らないけど、あなた自身が優秀な人間でなければあなたはもうここにはいないわけ

 そして彼らも早々に処分されていた

 早い段階でわかっていたら送り返すだけで済んだわけだけど、まぁあなた自身が優秀だったおかげで最悪の結果は防げたわね

 自分の優秀さに感謝でもする?」


濃の心にグサグサと突き刺さるリズの言葉。

起こった事実を事実として言葉にして、結果を結果として言葉にしているだけだ。

それが濃の心を酷く痛めつける。


「いい?

 見逃してもいいことなんて何もないの

 あなたにとっても、相手にとっても、ね」


今の濃はまるで親に叱られる子供だ。

だがヨーロッパでの生活はリズの方が当然長いし、年齢もリズの方が上である。

頭ではダメだとわかっていても、濃はどうしても等級を詐称している人達に厳しくできなかったのである。


「おかげで等級詐称が疑われる使用人は全員一度仲介業者が引き取り、日本人の濃やドイツ人の私のように出身や等級がしっかりしている面々以外はみんな休職状態

 それでもこの広い家がいつもと変わらないでいられるところを見ると、濃はやはりすごい能力を持っているのがわかるのだけれど・・・」


等級詐称により使用人の身元チェックのため大幅に人数が減ってしまった。

しかし人数が減ったと思わせない働きぶりを見せる濃にレスター家の家族たちは大いに満足している。

他の使用人がそもそも必要なのだろうかと思うほどだ。


「時には冷酷になりなさい

 それは自分の身を守ることにもなるの

 もう世界はそういうシステムになってしまっているのだから」


世界大戦と欧州騒乱を経て、世界の民族間のパワーバランスは完全に決定してしまっている。

それに従って生きる以外に今の世界を生きる術はない。

濃のしたことは世界のシステムにあらがう行為であり、何かが少し違っていれば濃自身も処分の対象となってしまう可能性が十分にあるほどだ。


「リズさんが言うその世界のシステムは・・・正しいのですか?」


そして強制的に連れ出されていく等級詐称が疑われる使用人の仲間達を思い出し、そのシステムに濃はどうしても疑問を持ってしまう。

そしてそれが正しいのかどうか幾度となく考えるのだが、答えは出ない。


「何が正しくて何が間違っているかなんてわからないわよ

 ただ今はそれが当たり前で常識で抗うことが許されない

 だから誰もがそれを正しいと言っている

 ならそれは世界の秩序の一つとして正しいということになるの」


もはや抗い変えることが不可能となった世界のシステム。

完全に民族に等級制度を敷いたこの世界では多くの下等民族たちの命が日々失われていく。

しかしその一方で絶対的優位な力を保持した権力階級でもある一等民族の白人達はその栄耀栄華を未来永劫保持することを約束したかのように、もう世界大戦や欧州騒乱のような大規模戦争の勃発はそれ以後起こり得なくなっていた。


それはそれで一つの成果と言える。

戦争は起こらなくなった。

しかしその一方で弱者に対する扱いは最悪な不条理そのもの。

用が無くなったら処分と題して虐殺し、足りなくなったら奴隷商人が各地に赴き奴隷をかき集め、買い取った業者が仲介業者を通して各地に派遣され、そして用が無くなればまた処分される。

特に肉体労働を強いられる現場には等級の特に低い民族があてがわれており、低ければ低いほど扱いは悪くなる。


濃はその世界のシステムを正しいとはどうしても思うことができないのだった。

いや、濃だけではない。

多くの人がそのシステムを拒絶しているはずだ。

しかしそれらの人は民家下等民族にあてがわれた人たちばかり。

支配する側にはそのような感情は生まれない。

よって世界には何一つとして変革が訪れないまま、その狂ったシステムは常態化していき常識や普通として定着してしまっていたのだった。


「そんなことをここで論じても何も変わらないし何も解決しないわ

 とにかくあなたはこれからは余計なことはしないこと」


「・・・はい」


「よし、じゃあ早く買い物に行かないとね

 長々と話しすぎた」


「・・・あっ!

 そうでした!」


リズとの話に没頭するあまり、濃らしくないミスを犯してしまった。

時計を見れば思いの外時間は過ぎてしまっている。

今から買い物に行って帰って切って調理して、それを考えるとメニューの変更さえ余儀なくされることだろう。


「急がないと・・・」


「あー、はいはい

 急ぐのはいいけど、私も手伝うって言ったでしょ?」


急ぎ足で家を出て行こうとする濃をリズが押しとどめる。


「手伝っていただけるのはありがたいのですが、何故私が行こうとするのを止めるのですか?」


時間は刻一刻と過ぎていく。

濃は今は一分一秒が惜しい。

そんな濃を焦らすかのように、リズは勿体ぶりながらメイド服のポケットからキーホルダーを一つとりだした。


「これ、なーんだ」


「・・・車の鍵?

 え?

 リズさんもしかして・・・」


「大正解

 私、免許取っちゃいました」


車の運転免許を一等民族は通常の教習を受ければ取得できるのだが、二等民族以下の人となると一等民族の運転手として働く場合ももちろんある。

そのため免許の取得は難しく、保有者は少ない。

当然希少価値があるし所得も向上する。


「車の使用許可はもらってあるから、さっさと行くよ」


「はい」


自信満々に玄関から出て行くリズの後に続く濃。

二十世紀前半に起こった大規模戦争時代、大英帝国と真っ向からやり合ったドイツと、戦いを避けた日本。

全く別の道を歩んだにもかかわらず、民族の等級制度を経て奇しくも同じ等級にあてがわれることとなった両国。

その両国から大英帝国へとやってきた二人は過去の国の歩んだ歴史とは関係なく、良い交友関係と仕事上の人間関係を築くことができているのだった。

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