第3話 国定奉公人 吉野濃(2✖✖✖年編)
いつもと変わらない、天へと昇り始める太陽の心地よい光が朝を告げる。
夜明けを待っていたかのように動き出す野生の小動物たち。
近代化以降、進化した大都市は効率から住みやすさへと方針が移行することにより、各所に広大な公園などが設けられた。
大都会の中に大自然の欠片が各所に配置されている、そんなイメージだ。
小動物たちが動き出すのは何も公園の自然の中だけではない。
広大な私有地を持ち、大きく広い建物を保有し、敷地内は手入れの行き届いた庭が用意されている大豪邸。
そこにも小動物たちが住むには十分な広さの自然がある。
自然に包まれた大豪邸の屋内の一角。
何十人ものシェフを同時に働かせることができる広さのキッチンには、最新の家電製品や高級な調理器具にパーティなどで使用されることであろう数多くの食器など、備え付けられている物から用意されている物の何から何までが大豪邸に相応しい。
そんな清潔さを感じさせる白を基調とした壁が特徴的なキッチンに一人の少女がいた。
キッチンの間取りや調度品などは完全にヨーロピアンテイスト。
しかしそこにいる少女はその世界観からは大きく外れた姿形をしていた。
やや長めの櫛で梳かれた綺麗な黒髪と黒い瞳の少女。
彼女は鮮やかな花柄が目を引く赤い着物の袖をたすき掛けで邪魔にならないようにまとめている。
少女にとって少し設定されている身長が高いせいなのか、何かをするたびに少し背筋を伸ばしている姿は少女自身が小動物のように可愛らしい。
しかしその可愛らしさとは裏腹に、大人数用のキッチンの一角を効率よく無駄が無いように使用している。
歩く歩幅に速さ、そしてタイミングから動線に至るまで、全ての動きを必要最小限にとどめている。
そして手の動きは早くこちらも無駄がない。
野菜の皮をむく、包丁で食材を切る、調理したものを皿に盛る、その全てがまるで一流のプロを思わせる素早さて的確さでこなされていく。
「よし、こんなものかな」
白いお皿に彩りと食べやすさを考えて盛られた料理を全体の俯瞰で見て少女は二度ほど頷く。
野菜たっぷりのスープ、サーモンとキノコを使用したサンドウィッチをメインディッシュとして他にも複数種類のサンドウィッチとサラダを並べ、コーヒーカップを利用した茶わん蒸し。
朝から栄養満点のゴージャスな朝食の完成だ。
味だけでなく彩や配置などの見た目の美しさも含め、自己評価では文句なしの高得点を叩き出した。
「そろそろ配膳しないとね」
少女は自己評価で高得点となった料理をキッチンから運び出し、食卓となるテーブルに配膳していく。
少女が仕えている家では主人と夫人の他に子供が二人いる四人家族。
よってテーブルには四人分の朝食が配膳され、いつでも食べられるように準備は万全だ。
「おはようございます、旦那様」
朝食の準備を終えた頃、ちょうどよいタイミングで少女が住み込みで働く大豪邸の主が姿を現した。
英国紳士らしく高級そうなスーツを着こなした金髪碧眼の背の高い白人男性。
この大豪邸の主であるブライアン・レスター氏である。
「ああ、おはよう」
軽快に朝の挨拶を済ませたブライアンは所定の場所である食卓の自分の席に腰かける。
スーツのポケットから手のひらサイズのタブレット端末を取り出すと、毎朝の恒例でもある世情のチェックが始まる。
「ふむ、なるほど・・・」
手の中にある端末を見ながら微妙に表情を変えつつ情報を収集していく。
そんな大豪邸の主人に少し遅れて彼の妻のクラウディアがやってきた。
長い金髪を背中でまとめた綺麗な女性。
有名なブランド物の服をさらりと着こなす気品あふれた白人の女性だ。
「おはようございます、奥様」
「おはよう
あら、あの子たちはまだかしら?」
四人分用意されている朝食。
そのうちまだ半分に二人分の席が空席となっている。
「せっかくの朝食が冷めてしまうわ」
二人の子供がまだとあってか、母親であるクラウディアは小さくため息を漏らす。
するとそのタイミングで慌ただしく部屋の扉が開かれる。
「おはよー!」
「おはよう!」
ブライアンとクラウディアの子供である少年と少女の二人が食堂へと駆けこんできた。
そしてあっという間に自分の席に座り、あたかも寝坊などしていませんと言うかのような何食わぬ様子でいた。
スポーティな金髪姿が似合っている少年、彼の名前はレナード。
有名なサッカークラブのユニフォームを着用しており、今日は学校ではなくクラブチームでサッカーに勤しむ予定のようだ。
おさげの髪型が実に可愛らしい少女、彼女の名前はジェニー。
母親と同じくブランド物の服を着ており、まだ着こなしているとは言い難いもののスタイリッシュな雰囲気からとても似合っている。
どうやら母と娘でどこかへお出かけの予定とみられる。
「そろったか、では・・・」
主人であるブライアンはタブレット端末をテーブルの隅に置き、彼の合図で全員が朝食を前に食事への感謝のお祈りをする。
しばしの静寂の中、四人のお祈りの言葉だけが食堂に響く。
そしてお祈りを終えると四人は静寂を打ち破って配膳された朝食に手を伸ばした。
「あら、このスープ、おいしいわね」
クラウディアはまず野菜がたっぷり入ったスープを一口食べる。
朝食のおいしさに表情が少し綻んでいるように見える彼女は、二口目三口目と口に運んで朝食を堪能している。
「このサンドウィッチ、すごくおいしいね」
レナードが大きな口を開けてサンドウィッチを次々と平らげていく。
スポーツマンの少年と言うだけあって食べ方も豪快で元気いっぱいだ。
作った当人もその様子を見ると作り甲斐があったと喜びがわいてくる。
「ねぇ、おいしいけど・・・これなに?」
ジェニーが茶碗蒸しを一口食べ、美味しいがその料理が何かわからずに作った少女に問う。
「それは茶碗蒸しと言い、一言でいうなら卵料理です」
「へぇ、そうなんだ」
ジェニーはコーヒーカップの中にある茶碗蒸しをスプーンで次々食べていく。
飲み込みやすく優しい味わいを少女は気に入ったようだ。
「実にうまいな
何人も使用人や料理人を雇うと大人数で煩わしいだけだ
しかし濃、君は一人いるだけで大人数分のことが足りる
日本の国定奉公人とやらは実に優秀だな」
朝食を終えたブライアンは食事に満足し、笑顔で朝食を用意した住み込みで働く少女を褒める。
日本より単身にて住み込みで働きにやってきた少女の名は吉野濃。
彼女の労働は奉公とも言い、日本という国が一等民族の地位を得ている白人達に敵意を持たれないようにするための政治的な意味がある。
そのため彼女は使用人としては常に優秀でなければならず、そして彼女のように国定奉公人として一等民族に仕える人達が増えて評価が高まることで日本の国としての地位も向上する。
過去は無償で使用人となる国定奉公人を派遣していた時期もあったくらいなのだが、先人達の努力の積み重ねの結果、今では契約金や給与体系なども能力に応じて変化している。
そんな中、最年少で大英帝国の名門貴族宅へと奉公にやってきた少女、吉野濃。
彼女もその前例から外れることなくその実力をいかんなく発揮し、高い実績をさらに積み重ねていくことに成功していた。
「お褒めに与り光栄です」
褒められたことに対して率直にお礼を言い、その褒め言葉に喜んでいるということを素直に表現する。
小さなことだがこういった受け答えも信頼関係を築いていくうえで重要なのだ。
「濃、今日のサッカーの練習の時にさ
昼にいつものあれを作って来てよ」
サッカー少年のレナードは朝食が終わったばかりだというのにもう昼食のことを気にかけていた。
「お弁当ですか?」
「そう、それだよ
この前作ってもらったやつをみんなで食べたらさ
みんなまた持って来いっていうんだよ」
以前、急遽レナードの昼食を作らなければならなくなったとき、少女は素早くお弁当を作って彼に持たせたのだ。
昼食時にはみんなでどこかに食べに行くということが通常だったレナード達サッカー少年の一団は、濃が作ったお弁当に興味を惹かれて何人かが食べたのだ。
それが好感触だったらしく、今日は初めからお弁当を作ってほしいと頼まれたのだ。
「では大人数用をお作りしましょうか?」
「大人数用?」
「はい、重箱弁当と言うものがあります」
「へぇ・・・よくわかんないけど、じゃあそれで」
「かしこまりました」
朝食を終えたその瞬間、昼食までに済ませなければならない仕事ができた。
朝食の時間から昼食の時間までに昼ご飯を弁当で大人数分用意する。
時間がある程度確保できるのでそれほど難しくないかと思いきや、彼女の仕事はそれだけでは済まない。
「濃、今度パーティがあるのだけれど、その時に着るドレスを今夜決めておくわ」
「かしこまりました、奥様
ご帰宅時までにご用意しておきます」
「濃、来週のピアノの発表会の衣装がちょっと気に入らないの」
「はい、お嬢様のご希望のデザインを言っていただければ手直ししておきます」
「濃、今度のパーティの時に何人か要人を招くことになっている
接待と何か好印象を抱かせる催しなどができればと考えているのだが・・・」
「ではいくつか可能なものをリストアップしておきます
どれくらいの時間と費用で手配できるかも調べておきます」
ブライアン、クラウディア、レナード、ジェニー。
四人が四人とも何かしらの用事を毎日少女に申し付けてくる。
本来なら使用人がするようなことではないことまで少女は請け負っており、そしてそれを見事完璧にこなしていく。
ブライアンからしてみれば仕事仲間よりも優秀だと、驚いて開いた口が塞がらない時もあったほどだ。
無駄がなく効率よく的確に、それでいて仕事は丁寧で欠点が見つからない。
レスター家に吉野濃が奉公にやって来てそこまで長い時間が経ったというわけではないのだが、レスター家の四人はもう完全に少女を信頼して頼り切っていると言ってもいい関係性が出来上がっていた。
「おっと、そろそろ行く時間だな」
少女へ仕事を申し付け終えたブライアンが食堂の席を立つ。
それを見て時計に目を向ける妻と子供達。
「あっ、もう行かなきゃ」
ブライアンに続いて他の三人も席を立って自分達の今日の予定のために動き出す。
「じゃあ行ってくるよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
大豪邸に残った少女は家の住人達を深々と頭を下げて送り出す。
向かう先がどこかという点を除けばこれも毎日の恒例行事の様なもの。
この後、少女は朝食時に使った食器の洗い物を素早く終わらせ、申し付けられた仕事をこなしていくのも毎日恒例のことであった。
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