第182話36-4.警察官襲撃

「もしも男として役立たずになってしまったのだとしたら、それは相手のせいではないということですよ。足らないのは本人の努力、性的に興奮しようという気力の問題です。そして、今なら気力は薬の力で補えます。ご自身も体験したばかりなのでは?」

「僕の年齢なら、本当はこんなもの必要ないはずなんですけどね……」


 少年が愚痴を垂れると、禿げた中年男性は苦笑して首を振った。


「素手の人間がヒグマと戦って勝つというのは浪漫です。私も子供の頃には、そういう漫画や小説を読んで心を奮い立たせていたものです。しかし、現実にヒグマと戦うのであれば、私は迷わず猟銃を準備します。法律が許すのであれば機関銃が欲しいぐらいです」

「ご忠告、痛み入ります。でも、まさか自分がヒグマを相手にしているとは思ってもいませんでした」

「私にはヒグマの方が可愛く見えますね……おおっと少々口が滑ったようだ」


 新垣はそう言うと、クレアを一瞥してソファから立ち上がった。彼は志光の肩を空手の練習で鍛えた分厚い手で軽く叩いてから状況を説明する。


「私から、今の状況を説明しましょう。魔界日本から運ばれた補給物資は、ここから複数の悪魔が自動車や電車を使わず、人力というと語弊がありますが、要するに自分たちが持って運べる範囲の重さで移動させ、幾つかの集積場に分散して保管してあります。いずれも、警察のパトロール範囲から離れた場所です。また、その運搬のために我々男尊女卑国のメンバーも働いている」

「ありがとうございます」

「現状では、計画は順調に進行しています。ただし、物資の集積地点から坑道のある場所まで運び込むのが難しい」

「徒歩で移動していても、警察の職務質問が厳しいということですか?」

「そうです。白誇連合の奴ら、なかなかやりますね」

「ホワイトプライドユニオンのメンバーは、魔界にこもって籠城戦をしているんじゃないんですか? 戦力は僕たちの方が上のはずだ。それなのに、どうして彼らが警察を操るようなことが出来るんですか?」

「仰る通り、彼らは劣勢だ。だから、我々と直接対決しない方法を採った」

「僕たちと対決しない方法?」


 少年が首を捻ると、新垣は片頬を緩ませる。


「簡単です。警官を襲っているんですよ。そうやって警察という組織を神経過敏にさせている。敵が同じ悪魔なら、戦力が同等以上でなければ厳しいが、相手が人間なら話は別だ」

「なるほど……それは思いつきませんでした。それで、被害は?」

「八人が重症で一人が重体。いずれも骨折だ」

「もちろん、わざとですよね?」

「殺しまくっていたら、警官が逃げ出す危険性を考慮したんでしょう。警察上層部は気づいていないが相手は悪魔だ。自衛隊の武装でも持ってこない限り、人間に勝ち目は無い」

「こちらの対策は?」

「警官の被害を無視するか、兵力を分散させて敵の悪魔を追いかけるかのどちらかだわ」


 そこで、隣にいたクレアが会話に参戦する。


「湯崎が指揮している部隊との連携を考えると、時間はそれほど長く取れないのよ。あちらは上陸用舟艇を利用している分だけ補給は簡単だけど、敵の正面と対峙しているから弾薬の消費が激しいわ。だから、早く方針を決める必要があるの」

「敵の悪魔を狩り出すか、警官の被害を無視するかか……」


 志光は手で口を塞いで唸り声を上げた。少年は湯崎が言っていた「島嶼戦は迂回が出来ない」という言葉を脳内で反芻する。


 彼の言うとおりだ。島の面積が狭ければ敵正面を迂回できないのだから、小細工無しの叩き合いにしかならないのは、軍事の素人でも解る。


 また、それが防御側に有利で、攻撃側が力攻めするためには、一にも二にも火力で圧倒しなければならないのも解る。つまり、湯崎の部隊を助けるためには、できるだけ早急に池袋ゲートを奪取して、そこからこちらの増援を送り込む必要がある。


 そうすれば、敵は湯崎の部隊と戦っている悪魔や魔物の一部を池袋ゲート側から来るこちらに回さざるを得ない。そして、その分だけ湯崎が楽になる。二正面作戦というやつだ。


 問題はここから先だ。ホワイトプライドユニオンは、池袋ゲートを死守する目的で警官を襲っている。警察上層部を怒らせ、よりパトロールが強化された結果として、こちらの戦闘準備を遅らせようという目論見があるからだ。


 だが、警官を襲っている悪魔を退治すれば、事態が解決するのかというとそういうわけでもなさそうだ。もしも明らかにメリットの方が多ければ、クレアや麻衣が実行しているに違いない。


 その理由も見当がつく。人間を襲っている少数の悪魔を探すために、こちらが多数の戦闘員を分散させて配置する必要があるからだ。つまり、敵の悪魔狩りをやれば、その分だけ補給活動が滞る。


 それに、敵はこちらを直接的なターゲットにしていない。だから、危険を排除するというモチベーションが沸きにくい。


 しかし、だ。相手の目的がこちらの攻勢をできるだけ邪魔しようというのであれば、ただ警官を襲っているだけで満足するだろうか?


 仮に自分が少ない戦力で魔界日本に大きな打撃を与えようと思ったら、どんな方法を思いつくだろう? まず間違いなく考えるのは、補給物資の集積地点を警察に密告することだ。


 区役所を爆破され、仲間の警官まで手にかけられた警察組織が大量の銃弾や爆発物を目にしたらどうなるか? たとえ武装していたとしても、警官が悪魔に勝てる可能性は万が一も無いが、彼らが入手した情報はマスコミを通じて全世界に広まるだろう。


 もしも、それが他の悪魔たちに知れ渡ったら? とんだ恥曝しだ。


 そこまでシミュレーションが済んだところで、志光は口に当てていた手をどけた。少年はクレアと新垣に視線を向け、決断を口にする。


「補給の作業を中断するか最低限にして敵を追う」

「ハニー。その理由は?」

「僕なら警官を襲いながら、こちらの補給物資が集積されている場所を探る。警察に密告をするためだ」

「……あら。それは、やられたらこちらの被害が甚大になりそうだわ」

「今のところ相手が何もしていないのは、チャンスを待っているのでは無くて、単に池袋周辺に残していった悪魔なり魔物なりの数が少なすぎて、こちらを探るだけの余裕が無いからだと思う」

「でしょうね」

「だったら、敵がこちらの補給地点に気づく前に、こちらから敵を狩りに行く」


 志光の断固とした口調に、クレアは眼を細めた。彼女は新垣に向き直ると応援を要請する。

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