第181話36-3.スピリタス
「お目覚めかい?」
志光が荷捌きの様子を伺っていると、雨合羽を着た麻衣が現れた。少年は赤毛の女性に返答する。
「はい。今日から僕も参加します」
「大塚のゲートじゃ女尊男卑国の援軍が荷捌きを手伝ってくれているので、物資の輸送は滞りなく行われている。ただし、そこから先が渋滞中だ」
「警察の監視が厳しいんですか?」
「ああ。ソレルの部下のウォルシンガムがパトロールの動向を監視して、最低限の接触で済むようにナビゲートしてくれているが、そのせいで最短距離を歩けない。それに、アタシたちといえども自力で運べる荷物の量はたかが知れている」
「あの台車を使ってるんですか?」
「そうだよ。あれなら最大で五〇〇キロまで搭載可能だからね。他にもリュックサックにキャリーケース、使えるものは何でも使ってるよ。それでも坑道を掘った場所にあるホテルに備蓄した武器弾薬の量は不足している。敵の術中に嵌まっている感じだ」
麻衣はぼやきながら片手に持った透明なガラス瓶の蓋を開けた。そこから漂う強烈なアルコール臭のせいで、志光の鼻筋に深い皺が刻まれる。
「臭っ! なんですか、それは?」
「スピリタスだよ。名前ぐらい聞いたことがあるだろう?」
「ネットで観たことがあります。確か、世界一アルコール濃度が高いお酒ですよね?」
「そう。なんと九六%だ。本当は水で割ったり果実を浸けるのに使うらしいんだが、そのまま飲んでも喉が焼ける感じがしていけるんだ」
「それ、ただ単に内臓を消毒しているだけじゃ……」
「それは仕方ない。何しろ、戦争中は断酒せざるを得ないからね。その分だけ、今のうちにアルコール度数が高い酒を飲んでおかないと」
「ロンリコ一五一の時も同じ事を言ってませんでした?」
「記憶にないけど、多分言っているはずだよ。アタシの予想だと、今回は普段の一〇倍は飲酒を我慢しなければいけないことになるからね。つまり、ストロングゼロの一〇倍のアルコール度数があるお酒が必要なわけだ」
麻衣はそう言うと、スピリタスをラッパ飲みし始めた。その恐るべき様子――何しろ彼女は泥酔状態になると敵味方を問わず、手加減無しで暴力を振るう札付きのアル中なのだ――を目にした志光は、諦めの視線をソレルに向けた。褐色の肌は胸元で大きく両手を交差させる。つまり、打つ手無しと言うことだ。
「麻衣さん。僕は一足先に大塚まで行っています」
「そうか。気をつけて」
赤毛の女性は、そう言うとにこやかに手を振った。酔いが回ってからであれば、あれほどフレンドリーな態度をとることは無いはずだ。彼女が爆発するまでに敵と戦闘状態に持ち込まなければ、狭い坑道で味方が大変なことになる。
志光は作り笑いを浮かべつつ上屋テントを退出すると、台車の列を追って歩き出した。蟻の行列のように連なった悪魔たちは、やがて鳥居がある場所に到着する。
魔界でも現実世界でも無い通路に続く場所には、麗奈が部下たちとタブレットを持って立っていて、運ばれてくる物資を確認していた。彼女の姿に気づいたヘンリエットが手を振りながらか駆けていく。
「麗奈さん!」
「ヘンリエット様!」
抱き合った二人が十数秒間言葉を交わすのを見計らってから、志光が麗奈に挨拶した。
「ようやく回復した。今から僕も参加する」
「お疲れ様です。大塚のゲートはクレアさんと男尊女卑国の新垣拳示氏が仕切っています」
「新垣さんって、あの空手の?」
「そうです。ゲートから池袋までの物資運搬を、男尊女卑国の女性陣にもお願いしているものですから」
「その話は麻衣さんからも聞いてる。それで、彼女の話なんだけど……」
「ひょっとして、麻衣さんが飲み始めたんですか?」
「うん。それも、スピリタスだ」
「あの世界一アルコール濃度が高いヤツですか?」
「そうだよ。このまま放っておくと、誰が犠牲になるか分かったもんじゃない」
「ということは、マズいですね」
ポニーテールは渋い顔をすると考え込んだ。しかし、彼女はすぐに気を取り直して志光に助言する。
「麻衣さんのことは私に任せてください。泥酔するまで飲むのを止めさせます」
「頼めるかい?」
「何とかしてみます。棟梁はこのまま現実世界まで行って、クレアさんから現状を説明して貰ってください。私も後を追います」
「分かった。先に行って待ってるよ」
少年に頭を下げたポニーテールは、部下に二言三言告げてから、ドムスに向かって走り出した。その場に残された志光、ソレル、ヘンリエット、そしてウニカの三人と一体は鳥居をくぐる。
補給の列に紛れて見慣れた通路を歩いた一同は、やがて鏡張りの地下室に到着した。台車を押していた親衛隊のメンバーは、現実世界で待ち受けていたメンバーと交代すると休憩に入る。
志光たちはそのまま鏡張りの部屋を出て監視室に向かった。少年が開戦を宣言した場所では、見慣れない女性たちが台車に乗せてきた武器類を受け取り、そこから慌ただしく地下通路へと消えていく。
監視室のソファには、禿げた中年男性が座っていた。胴体が怖ろしく分厚い。男尊女卑国の新垣拳示だ。
彼の隣には過書町茜とクレア・バーンスタインの姿があった。背の高い白人女性は、志光に気づくと立ち上がって声を掛けてくる。
「ハニー。ようやくお目覚めのようね?」
「クレア。ソレルに点滴をしてもらって、どうにか動けるようになったんだ」
「バイ×グラを使いすぎたかしら?」
「点滴をしたのは薬が原因じゃない」
少年が憮然とした面持ちになると、笑いを噛み殺した新垣が片手を差し出してくる。
「お久しぶりです、棟梁」
「こんにちは、新垣さん。ご協力に感謝します」
「クレアさんから事情を伺いました。魔界でも指折りの猛女たちに、休む間もなく跨がられていたそうで、色々と大変だったようですね」
「新垣さんのところだって一夫多妻じゃないですか。どうやって関係を維持しているんですか?」
「もちろん、努力です」
禿げた中年男性は、そう言うとポケットの中から手の平に収まる程度の、小さなプラスティック製のケースを取り出した。半透明のケースの中には、青い地に白で〝VIAGRA〟と書かれたアルミフィルムが入っていた。
「……やはり努力でしたか」
志光は光を失った眼で勃起不全薬を見下ろしながら呟いた。新垣は大きく頷くと、ケースをポケットにしまう。
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