第168話33-3.悪魔と人種差別

「ベイビー、私が貴男のことを見張っていないとでも? 紙をテーブルの上に広げて。その場所を調べるわ」

「助かるよ」


 志光は礼を言うと、紙片をテーブルに置いた。それから一〇秒も経たず褐色の肌から答えが返ってくる。


「住所は解ったわ。一五分以内になんとかするから、そのまま電話を切らないで」

「了解。スピーカーモードにする」


 スマートホンを弄ってスピーカーモードにした少年は、それを紙片の上に乗せた。


「今からソレルが確認するそうだ」

「幾ら時間をかけてくれても結構だ。数えるのに時間がかかる枚数だからな」

「そうさせてもらうよ。僕が初めて見た大金は六億だったけど、数が多すぎてまるでピンと来なかったからね」


 志光は笑って背伸びをした。


「まだ僕が人間だった頃、僕が悪魔化できなかった時のために、死んだ父が餞別の一種として用意した金だったんだ。幸い……というのは語弊があるけど、君たちに追い詰められたお陰で僕は悪魔化することになった」


 少年が腕を下ろすと彼の顔は表情を失った。


「悪魔になるまで僕は日本人だった。日本で暮らして日本で死ぬつもりだったから、白人至上主義者と命のやり取りをするなんて想像もしていなかった。多分、平均的な日本人の大半が、僕と同じような考えの持ち主だと思う。僕を育ててくれた祖父母も、僕が白人至上主義者と殺し合いをしていると知ったら驚くだろうね。まあ、その前に悪魔化したことを理解してくれないと思うけど」

「命のやりとりを止めるという選択はありますか?」


 志光の自分語りが一段落したところで、フッドが割って入ってきた。少年は片眉を上げ、ひげ面に視線を向ける。


「それは、どういう意味ですか?」

「停戦です」

「停戦? どうやって?」

「我々は現在占拠している池袋ゲートから撤退し、魔界日本が再び領土として占領する。その間に戦闘はしない。簡単な話だと思いませんか? ただし、タダというわけにはいかない。私やゲーリーにも面子というものがある」

「僕に金を払えと?」

「一億ドルはいかがですか? 我々はその金を白誇連合のメンバーに支払うことで、占領地を引き払ったという事実を正当化できる。一方の貴方は、池袋ゲートを占領するために必要な犠牲をゼロに出来る。確かに、今の我々は魔界日本と比べて不利な状況にある。それは否定しない。しかし、実際に戦いが始まれば、貴方が後悔する程度の損害を与えるぐらいの自信はある」


 フッドは目を見開いたまま志光の顔を覗き込んできた。少年もひげ面から視線を外さず、平坦な声で回答する。


「素晴らしい提案だと思いますが、一つ質問してもよろしいですか?」

「何ですか?」

「どうして最初から、その方向で事態を収拾しようとしなかったんですか? 僕を殺そうとせず、池袋ゲートから撤退する代わりに金銭を要求されたのであれば、僕は貴方たちの要求を受け入れたと思う」

「それは……」


 フッドが言い淀むと、志光は言葉を畳みかけた。


「人も悪魔も、価値観はそれぞれです。我々魔界日本は、元日本人を中心に日本語で意思疎通をする悪魔の集まりだ。一方の貴方たちは、元白人の悪魔だけで集まっている。貴方たちは日本語を使わないし、白人種しか仲間に加えないのだから、先ほども述べたように本来は接点のない集団同士のはずだ。それが変わってしまったのは、貴方たちが僕の父の死に乗じて池袋ゲートを占領したからでしょう。違いますか?」

「我々は白人種が優秀である事を、他の悪魔たちに証明する必要があった。悪魔化した者は人間だった時代のことを軽視しがちだからだ。我々は魔界日本の領土を占拠することによって、そうした悪魔の現実世界に対する関心の低さを批判したかったのだ」


 フッドが口ごもった代わりに、ゲーリーが事情を説明した。志光はスキンヘッドの座っている場所に顔を向け、小首を傾げる。


「批判して、どうするつもりだったんですか?」

「元白人の悪魔たちを結束させるつもりだった」

「結束すると、何か変わることが?」

「ジャップ。現実世界の人口分布を知っているか? 一位と二位は中国とインドで、どちらも非白人国だ。アメリカは三位だが、全員が白人というわけではない。四位はインドネシアで、ここも非白人国。つまり、だ。今や白人は世界的に見るとマイノリティに転落しようとしている。これが意味する事は?」

「解らないですね」

「全ての悪魔は元人間だ。非白人の数が増えれば、それだけ元非白人の悪魔が増えることになる。今のところ、悪魔の数は圧倒的に元白人が多いが、何十年か経てば状況が変わる。そうならないためには……」

「有色人種を殺すか、有色人種の悪魔を殺す? そうでなければ、悪魔版のアパルトヘイトでも作るつもりとか?」

「そうだよ! お前、有色人種(カラード)の割には頭が回るじゃないか。ただ、ここは魔界だ。現実のルールが通用するわけじゃない。俺たちには、それだけの力があるというところを見せなきゃならなかったわけだ」

「だから、自分たちの実力を証明する目的で魔界日本を狙ったんですね?」

「そういうことだ。俺たちの賛同者を増やそうとした」

 ゲーリーが自慢げに笑うと、志光の眼がすうっと細くなった。

「そのデモンストレーションを延々と続けていたと言うことは、予想していたような効果が無かったんですね」


 少年の台詞を聞いたスキンヘッドの顔から笑みが消えた。彼は眉間に深い皺を刻み、怒気を含んだ調子で語り出す。


「俺たちは白人のためにやれることをやった。現実世界ではアメリカに蔓延る非白人の犯罪組織を襲撃して、奴らを懲らしめてやった。魔界では白人種が少数派に転落する危機を訴えて回った。それなのに、どうだ? お前ら元有色人種の悪魔が俺たちに反感を持つのは当然として、同じ元白人種の悪魔たちまで俺たちをのけ者扱いした。おかしいだろう? 俺は、俺たちは白人種のために正しい事をやったんだ。俺たちが評価されないのは間違っている! 違うか?」


 ゲーリーの演説を聴いていた志光は、テーブルの下で手を強く握りしめた。

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