第157話31-8.ドイツ・ゲマインシャフト崩壊事件

「ええ。魔界に行くために必須の道具である鏡は、十九世紀のドイツで大量生産が可能になったから、ドイツ系の悪魔が魔界の住人に占める比率は今以上に高かったの。主流と言っても良かったわ。だから、この二つの派閥の対立は悪魔の間で大問題になったの」

「どんな形で争いが起こったんですか?」

「もちろん殺し合いよ。ただし、今のようなちょっとした戦争ほど規模は大きくないけれど。有り体に言えば、お互いに暗殺を繰り返したのよ。ヨハンは人種論などこれっぽっちも信じていなかったけれど、ナチスの滅茶苦茶さが気に入ってシンパたちに同調することが多かったわ。そのせいで、反ナチスを掲げていた悪魔たちに命を狙われたの」

「クレアさんは?」

「悪魔になりたての私には、敵対組織から狙われるだけのネームバリューは無かったわ。初めの二、三年はという但し書きがつくけれど」

「つまり、殺し合いが始まってしばらくしたら有名になったんですね?」

「第二次世界大戦が終わった直後のヨーロッパには、悪魔すら吹き飛ばせるだけの武器や爆薬が至る所に残っていたのよ。毎日がスリリングで楽しかったわ!」


 クレアは心から楽しそうに笑うと、志光に覆い被さって唇を奪った。少年は苦笑しつつ、背の高い白人女性を押し戻す。


「その状況がどれぐらい続いたんですか?」

「二〇年ぐらいかしら? 結論から言ってしまうと親ナチス派が負けたわ。悪魔の寿命は人間の十倍はあるから、旧態依然の思想が残りやすいのよ。でも、まずは今回と一緒で〝どうして悪魔になったのに、わざわざユダヤ人を差別し続けなければならないのか?〟というもっともな疑問が悪魔たちの間にあったことが、親ナチス派に対する支持が増えなかった理由の一つになったわ」

「それは解ります。ヨーロッパにおけるユダヤ人差別は、元々キリスト教が原因でしょう? 悪魔になったのに、悪を否定する宗教の信者で居続けるのは矛盾ですよね」

「ええ。でも、それ以上に問題だったのは、ナチスが大量の死者を出す戦争に手を染めたという過去よ。悪魔は人間が生み出す邪素無しでは超常的な力を発揮することができないから、よほどのことが無い限り、大量虐殺を肯定したりしないわ」

「でしょうね。邪素が減ってしまうから、殺人は悪魔の得にならない」

「その通りよ。だから親ナチスの悪魔たちは孤立して、やがて自分たち以外の全ての悪魔と殺し合いをするようになったの」

「それじゃ、当然勝てないですよね」

「私たちは次第に追い詰められ、最後には魔界の領地を手放さざるを得なかった。でも、対立していたドイツの悪魔たちもただで済んだわけじゃ無いわ。その結果、悪魔の世界で最も人口が多かったドイツ系が衰退して、アメリカに王座を明け渡すことになったわ。この時の一連の騒動を、魔界では『ドイツ・ゲマインシャフト崩壊事件』と呼んでいるの」

「ゲマインシャフトというのはどういう意味ですか?」

「共同体とか家族とか、自然発生的にできた集団という意味よ」

「ああ、なるほど。それで、ヨハンさんはどうなったんですか?」

「大量の爆薬が仕掛けられた罠にかかって死んだわ。その後、私は若くして悪魔になったという理由から、殺されず反ナチスの悪魔たちに保護されたわ。ヨハンに洗脳されていると思われていたの」

「実際はどうだったんですか?」

「されていなかったわ。でも、彼らが恐れる動機はあった。〝夢魔国〟よ」

「ゴールドマンさんと話をした時も、その話題になりました」

「悪魔や人間の意識を変えてしまえる技術を持った悪魔たちが実際にいる以上、ヨハンが私を洗脳したという話にはリアリティがあったし、何よりかつてユダヤ人だった私が親ナチスのグループにいたことに対して、何らかの合理的な理由付けが必要だったんでしょう」

「その後で、アソシエーションのメンバーになったんですか?」

「その前に日本へ引き渡されたのよ。あら。このことは話していなかったかしら?」

「初耳ですね」

「ごめんなさい。話したとばかり思っていたわ」

「いや、良いです。それにしても、なんで魔界日本へ?」

「キリスト教もユダヤ教も無かったからよ。そういう揉め事と無縁だったから、私を隔離するのに適当だと考えられたようね」

「そこで父さんと知り合ったんですか?」

「ええ。一郎氏は私を優遇してくれたわ。理由は解るわね?」

 クレアはそう言うとブラジャーを外した。豊かなたわわを見上げながら、志光が嘆息する。

「……分かり易っ」

「一応言っておくけど、一郎氏とは最後まで肉体関係は無かったのよ。ハニーと過書町さんの関係に近いと言えば伝わるかしら?」

「何となく。価値観が近すぎて、かえってするきっかけがなかったんですね?」

「ええ。それに比べると、ハニーは違うわ」

「父さんとは似ていない?」

「そうね。一郎氏も滅茶苦茶だったけど、ハニーよりは世俗的な欲求が強かったわ。魔界日本を大きくするという目標を持っていたし、そこに惹かれる悪魔が沢山いたのは事実よ」

「僕にはそういう目標は無いですね。最初は父さんの遺産で働かずに生活できればそれで良いと思っていたし」

「それなのに、悪魔化したらあっさり私や門真についてきたのは面白かったわ! 後で理由は解ったけど」

「理由?」

「自分で解らないの? 後先考えずに突っ込んでいくのが好きでしょう?」

「否定はしません」

「ハニーの無鉄砲なところは好きよ。一郎氏には、そういうところはあまりなかったわ。彼は魔界日本の発展に寄与することを私に望んでいたの。特に期待されていたのは武装強化で、そのために私は様々な国とネゴシエーションをすることになったわ。ラハティ対戦車ライフルをアメリカから輸入したのも私だし、シリア経由でソ連製のRKG-3対戦車手榴弾を輸入したのも私よ」

「それも初耳です。どうりで扱いが上手だと思った……でも、ラハティはフィンランドの兵器じゃなかったでしたっけ?」

「旧式化した時に、アメリカ市場に中古が出回ったのよ。それを入手してから、整備するための機材一式を導入して、最後には製造工場を造ったわ。これは対戦車手榴弾も弾薬も一緒よ。そうした交渉をするうちに、アソシエーションに参加しないかと誘われたの」

「それでアソシエーションに入ったんですか?」

「一郎氏の許可を得てね。さあ、昔語りはこの辺にしましょう。私たちは他にする事があるはずよ」


 背の高い白人女性は、そう言うと少年の脚を開かせその間に入って〝他にすること〟を開始した。部屋の外からは、相変わらず悪魔に強姦された男性の悲鳴が聞こえてくる。


 しかし、しばらくするとそこに凄まじい破壊音が加わった。クレアと志光はベッドから飛び起き、耳をそばだてる。

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