第129話26-1.白人至上主義悪魔の歴史(前編)

 悪魔の歴史はそれほど長くない。それは、特定の地域で合わせ鏡をしなければ、魔界へのゲートが開かれないという事情と関係がある。


 要するに、等身大に近い大きさの鏡が二枚以上無ければ、魔界に行くことが出来ないのだ。そして、現在のような鏡が大量生産されるようになったのは、ドイツの天才化学者ユストゥス・フォン・リービッヒが、ガラス面に銀を沈着させる銀鏡反応を一八三五年に開発して以降だった。つまり、それ以前の鏡は高価で手軽に入手できるものではなかった。


 このような歴史的経緯があるため、魔界の古参に占めるヨーロッパ人の比率は高い。また、悪魔の寿命が人間の一〇倍近くあるせいで、これは現在でも変わりが無い。魔界ではアジア系、アフリカ系、南北アメリカ、オセアニア出自の悪魔は少数派(マイノリティ)なのだ。


 中でもアメリカンインディアン、あるいはネイティブアメリカンの悪魔は数えるほどしかいない。その理由は幾つかあるが、まず彼らが金属製品をほとんど使わなかったことが大きい。ガラス製の鏡が無かった時代に、水面以外で鏡の役割を果たしていたのが金属を磨いたものだったからだ。


 しかし、ゼロでは無かったのは北アメリカに黒曜石を産出する地域があったからだ。ガラスとよく似た性質をしたこの石は、割った際に出来た鋭い面を利用して、ナイフや矢の鏃(やじり)として利用するだけでなく、平面状のものを鏡として利用することもあった。


 特に現在のオレゴン州中部に位置するニューベリー火山国定公園には、ビッグ・オブシディアン・フローと呼ばれる巨大な黒曜石の塊があるほど豊富だった。しかし、オレゴン州域に住むアメリカンインディアンの大半は、それよりも北部にあるコロンビア川周辺で漁猟によって生活しており、ビッグ・オブシディアン・フローの側を流れるデシューツ川を拠点とする部族は少なかった。


 そこで、デシューツにあった自然黒曜石の合わせ鏡が偶然作りだしたゲートから溢れていた邪素をすすってしまい、人間を止めた人物がどの部族の出自で、どのような名前だったのかは未だにはっきりしない。また、この悪魔はアメリカンインディアンたちの崇拝対象にもならず、従って宗教行為にもその痕跡を残さなかった。


 むしろ、この悪魔と積極的に関わりを持ってしまったのは、十九世紀以降にこの地に流入してきたヨーロッパ人たちだった。彼らはアメリカンインディアンを虐殺し、住居から追い払い、荒野に作った居留地に押し込めて占領政策を続けるうちに、とうとう〝彼〟の住む場所までやって来てしまったのだ。


 最初に〝彼〟と遭遇したのは、宣教師のグループだったと思われる。推定に過ぎないのは、彼らがデシューツの松林に入ったまま戻ってこなかったからだ。続いて毛皮目的の漁師達がこの地を訪れ、その一部がやはり行方不明になった。いずれも十九世紀初頭の話である。


 しかし、これらの事件が大々的に喧伝されることは無かった。デシューツ川近辺に白人の定住者がいなかったからだ。この地を訪れる人々の大半は、狩猟か東海岸から西海岸への移動を目的としており、川は渡らなければならない難所に過ぎなかった。


 また、一八六一年から一八六五年にかけて起きた、南北戦争の影響をそれほど受けなかったのも〝彼〟の存在を隠すのに一役買った。むしろ、この地方で危険だったのは、それ以前の一八四四年に起きたイギリスとアメリカが領有権を巡って争った、オレゴン国境紛争の時だったが、これは戦争まで発展せず外交の段階で終息した。


 しかし、二十世紀に入ると状況は一転した。松林からやや離れたデシューツ側の縁にベンドと呼ばれる白人の集落が出来たのだ。


 それは次第に規模を拡大し、やがてデシューツ郡として独立した地方自治体の郡庁所在地になってしまう。一九一六年のことだ。


 こうなると「松林に行って帰ってこなかった」という事件が人々の関心を惹く。その数が十数名になった段階で、人々は失踪地帯を「帰らずの森」と呼んで恐れるようになった。


 そこで、ひとりの白人男性が名乗りを上げた。この人物はジョン・フッドと名乗る南部訛りの中年男性で、片足が無かったが大変な怪力だった。


 住民はフッドを胡散臭いと思ったものの、彼の出した条件が「事件を解決したら、失踪が続いている土地を自分のものにしたい」というものだったので了承した。


 片足の男は翌日になると町を出て行き、二日後に戻ってくると事件の解決をベンドの住民に告げた。彼の話によると、失踪事件の犯人は「インディアンの幽霊」だった。また、フッドがこの幽霊をお祓いしたので、もう失踪事件は起こらないとも言った。


 住民は半信半疑だったが、彼が数年前に行方不明になった男性の衣類を証拠として持ち帰ったために認めざるを得なくなった。こうしてフッドは、松林の中に住居を構えるようになった。


 言うまでも無いことだが、このフッドも悪魔のひとりだった。彼は当時ですら五十年前以上の南北戦争に参加した南軍の将校で、何度か武功をあげたものの足を切断するほどの重傷を負い、戦争にも負け、捨て鉢になっていたところをとある悪魔に誘われ、自らも悪魔化したという経歴の持ち主だった。


 前述したように、南北戦争が起こった時期は銀鏡反応を利用した鏡が発明されてから二十年以上経っており、その流通量が増えるにつれてヨーロッパの悪魔たちの間で新しい魔界へのゲートを発見しようという、フロンティア運動のようなものが始まった時期と重なっていた。


 この流れはたちまち北アメリカにも伝播し、彼らは移民のフリをしてアメリカに到着すると、様々な場所を放浪しながら合わせ鏡を使ってゲートの有無を確かめた。


 悪魔たちの活動を陰で支えたのが鉄道網の発達だった。そして、その中の一人が南部のとある場所でゲートを発見すると共に、フッドを眷属に加えたのだ。厭世的になっていた元軍人は魔界に潜ると数十年かけて心の傷を癒やした。


 彼は人間の時から奴隷制度には反対だった。奴隷の悲惨な境遇に怒りを覚えたからでは無い。有色人種が嫌いだったのだ。フッドからすると、たとえ有色人種が奴隷という境遇だったとしても、一緒に生活するのは我慢がならなかった。


 この男が好きなのは、白人以外の人々が存在しない世界だった。そして、そんな彼にとってオレゴンはユートピアに見えた。何故なら南北戦争直前の一八五九年に同州が国から認定された際、アメリカ合衆国内で唯一黒人のあらゆる権利を認めなかったからだ。


 皮肉なことに、オレゴンが州として認定される以前の一八四四年に、この地域における奴隷制度廃止の決議が成立していた。つまり、黒人奴隷には反対だが、黒人がこの地域で生活するのも反対、というわけだ。


 一八六一年には人種間結婚が法律で禁じられ、翌年には非白人居住者に特別税が課せられた。十九世紀後半に白人至上主義者の団体であるクークラックスクランが結成されると、人口あたりのメンバーの比率が最も高い場所がオレゴンになった。


 フッドは仲間の悪魔たちから教えられた情報を元に熟考し、オレゴンに自分のテリトリーを形成すること決めた。こうして彼は噂を頼りにベンドを訪れた。そして、悪魔化したアメリカンインディアンの男性を確認すると、彼を殺害してゲートを奪いとった。

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