第105話22-1.焼き肉屋での食事

 白いソファーと焦げ茶色のテーブルをベースにしたお洒落な内装の焼き肉店には、炭火で焼ける牛肉の臭いが充満していた。店内の席の大半は、うら若い乙女に占領されている。


 地頭方志光は注文した「和牛細切れカルビ定食」に視線を落とした。みずみずしいキュウリとサンチュのサラダ、わかめスープ、キムチ、ご飯、そして牛肉と焼き肉のタレが、それぞれ丸く白い清潔そうな皿に載っている。


 少年はしばらく思案してからサラダを箸で食べた。


 ごま油と塩がかかっていて嘘のように美味い。


 白く濁ったわかめスープは、恐らく牛のダシが効いていて、これも恐ろしいほど美味い。


 たちまちサラダを平らげた志光は、他のテーブルと同じようにトングで肉をつまもうとして、隣に座っていたアニェス・ソレルに制止された。


「それ、私の仕事だから」


 彼女はそう言うと、志光の肉を炭火の上に置いてある網の上で焼いていく。向かい側の席では、美作純とクレア・バーンスタインが焼き肉に舌鼓を打っていた。


 背の高い白人女性は、いつも通り号泣しながら食事をしているが、店内にいる者は店員を除いて誰も気にしていない。店は事実上魔界日本にいる悪魔たちの貸切状態になっているからだ。


「ベイビー、焼けたわよ」


 肉が焼き上がると、ソレルがトングで少年の取り皿に乗せた。彼は箸で肉をつまむとタレに漬けて口に運ぶ。


 美味い。肉も美味しいが甘みのあるタレもいける。白米との相性が完璧に近い。キムチもほんのり甘みのある辛さが良い。


 さすが、あの外食好きな大蔵英吉が「焼肉店に女性を連れて行くなら、大塚駅前の『山水園』が第一選択肢ですよ」と断言していただけのことはある。その証拠に、連れてきた女性陣から不満が一切聞こえてこない。


 志光は焼き肉を頬張りながら、店を紹介した大蔵のいる席に向かって親指を立てた。ヨレヨレのスーツを着た中年男性は、当然と言わんばかりの顔つきでふっと笑ってみせる。


 入店から小一時間ほど経って腹が膨れてきたところでソレルが箸を止めた。志光も食事を中断して、彼女の見ている方向に顔を向ける。


 そこには大蔵が店外に出て誰かとスマートフォンで話をしている姿があった。

「そろそろ時間みたいよ」


 褐色の肌は、そう言うと少年の口をハンケチで拭く。


「連絡が来ました。例のライターが、この近くのホテルに入ったそうです。行きましょう」


 電話を終えて戻ってきた大蔵が、志光の席に近寄ると状況を告げた。少年が横目でソレルを見ると、彼女はスペシャルを発動させしばらく目をつむる。


「大丈夫よ。敵らしき姿は見えなかったわ」

「ありがとう、ソレル。それじゃ行ってくるよ。ここのお勘定、用意したお金で足りなかったら払っておいてくれ」

「分かったわ。でも、その前にやることがあるわよ。本当は、初対面の人間に会う直前に焼き肉を食べていること自体が非常識なんだから」


 褐色の肌はそう言うと、高級そうなバッグからスプレー式の口臭薬を取り出すと、志光の口内に液体を噴霧する。


 続いて彼女は少年をソファから立たせ、今度はスプレー式の消臭剤を衣類に噴霧した。


「行ってらっしゃい。終わったら電話して。それまでは、この周囲を警戒しているわ」

「分かった。行ってくるよ」


 志光は片手を挙げ、店員に預けていたコートを受け取ると、大蔵と一緒に店外に出て寒空の中を歩き出す。二人は大塚駅北口前を通り、横断歩道を渡ってAPERTOという名前の大きなラブホテルの前に立った。


「ここの従業員出入り口から入ってください。八〇六号室にいます」


 大蔵から指示を受けた志光は、金属製のドアを開けてホテルの内部に入る。二人はエレベーターに乗ると八階で降りた。


 六号室の入り口には、右近下駄が脱ぎ散らかしてあった。志光もボクシングシューズを脱いで奥に入る。


 指定された部屋は高級ホテルのように広く、本来なら壁があるはずの場所が窓ガラスで占められていた。入り口の左側には大きなベッドが、右側には黒いソファが逆L字に置かれている。


 ソファに座っていたのは一人の中年男性だった。短く整えた金髪に、幅の狭い銀縁の眼鏡が印象的だ。妙に太いスラックスにシャツという格好と相まって、どこから見ても堅気とは思えない。裏社会に通じているライターというよりも、たまたま不良に文才があったという風体だ。


「おう、大蔵さん。お久しぶり!」


 しかし、男は大蔵の姿を認めると席から立って頭を下げた。ヨレヨレのスーツを着た男は笑って返事をする。


「文覚さん、お久しぶり! 元気だった?」

「最近は酒を控えているんで元気ですよ。で、このお子さんは?」

「君に質問をしたいと言っていた稀人だよ。地頭方さんだ。無礼な態度は止めておけよ。昨日、何人か殺したばかりだからな」


 大蔵から説明を受けた男は、射るような視線で少年を見た。しかし、二秒後には笑って自分から頭を下げてくる。


「どーも初めまして。文覚浩です。アングラ系のライターやってます」

「地頭方です。よろしくお願い致します」


 志光も頭を下げると、文覚が席を勧めてくる。


「そこに座って下さい」

「ありがとうございます」


 少年は黒いソファに腰を下ろした。大蔵も彼の隣に座ると、ニヤニヤ笑いながら思い出話を開始する。


「文覚さんとは信川さんの紹介で会ったんですよ。当時の彼は胡散臭い新興宗教ネタの記事を出版社から依頼されていたみたいで、そこで真道ディルヴェが取材対象に選ばれたわけです。稀人なんて存在するわけが無い、教団のインチキだってね」

「ああ……それで、大蔵さんが稀人として取材を受けたってことですか?」

「そういうこと。そこからが酷い話で、俺が本物かどうかを試すと言われて、幕内まで行った元力士のちゃんこ屋のオーナーと相撲を取らされたんですよ。それも二〇回」

「二〇回! なんでそんなに?」

「ちゃんこ屋の親父がしつこかったんですよ。あれだけ粘着質な性格なら、幕内まで出世できても不思議じゃないと辟易しましたよ」

「まさか、大蔵さんが力士を片手でいなすとは思ってなかったからな」

「怪我させないで終わらせるのは大変だったんだぞ。感謝して貰いたいな」

「その代わり、約束通り教団に入信したから良いじゃないか」

「ディルヴェの教義なんてこれっぽっちも信じていないくせに」

「俺が何を信じようが俺の勝手だろう! 少なくとも大蔵さんが普通の人間じゃ無いってことは信じているんだから良いじゃないかよ」


 銀縁眼鏡はヨレヨレのスーツがした話を真実だと認めた上で、少年が想像もしていなかった条件を提示する。

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