第83話15―7.妖怪ハンター
「怖っ」
志光が思わず本音を漏らすと、クレアが素早く彼に耳打ちする。
「過書町のことは気にしないで。本命が来たわ」
少年が顔を上げると、浴槽に一人の白人男性が入ってきた。
クレアよりも背が高い。横幅もある。胸板も分厚い。
髪の毛は黒色で、ウェーブがかかっており、口元にも顎にも髭が生えている。
間違いない。この男がタイソンという元レスラーに違いない。
「こんにちわ」
白人男性は流ちょうな日本語で三人に挨拶した。志光も小さく頷いて言葉を返す。
「こんにちわ」
「初めまして。俺の名前はタイソン。元レスラーだ。君の名前は?」
「初めまして。地頭方志光です。タイソンさんの名前は伺っております」
少年の名前を聞いたタイソンの目が輝いた。周囲の悪魔たちがざわめき始める。
平静を装う志光の胃がキリキリと痛み出した。
予想通りだ。また、こんな偶然があるはずもない。ドムスにいる誰かが、タイソンに情報を流したのだろう。
「地頭方? 地頭方一郎の親族かい?」
元レスラーは、確認するようにゆっくりとした口調で少年を問いただした。
「息子です」
志光も噛んで含めるような調子で、彼の疑念を肯定する。
「そうか。風の噂で一郎が死んだという話を聞いた。事実なのか?」
「僕は見ていないけれど、みんなそう言ってますね」
「そうか……では、新棟梁は誰になる? 実力的には門真麻衣だと思うんだが」
「実力的には門真さんでしょうが、父の遺言で僕が後を継ぐことになりました。隣いるクレア・バーンスタインさんが遺言執行人です」
「初めまして、タイソンさん。お噂はかねがね」
クレアは湯に浸かったまま、タイソンに微笑みかけた。
「初めましてクレアさん。彼の言っていることは事実なのか?」
「事実です。私はアソシエーションのメンバーとして、一郎氏の遺言を執行する立場にあります」
「アソシエーション。そうか……ありがとう」
納得した顔になったタイソンは背の高い白人女性に礼を言うと、そこから一転して嬉しそうな声音で志光に語りかける。
「志光君。就任式はいつになるんだい?」
「まだ未定です」
「決まったら俺も参加する。君は麻衣と顔を合わせているはずだから、知っていると思うが、俺は自分より弱い相手には付き従わないと決めている。就任式で俺と戦ってくれ。武器はなしで、スペシャルはありだ。時間無制限で決着はKOかギブアップのみ。どうだ?」
元レスラーから挑戦を要求された少年は、落ち着き払った態度で周囲を見回してから口を開く。
「はい。受けます」
志光の返事を聞いた悪魔たちから歓声が上がった。ソレルがキスをするふりをして、少年の耳元で囁いた。
「ベイビー、やるわね。大成功よ」
褐色の肌の反応に、少年は無言で頷いた。タイソンは少年の身体をじっと見つめた後で、浴槽から立ち上がる。
「鍛えているな。良い身体だ。上腕三頭筋が盛り上がっている。麻衣からボクシングを教わっているだろう? しかもストレートパンチャーだ」
「バレちゃ仕方ないですね。その通りです」
「期待しているぞ。俺を楽しませてくれ」
タイソンが去って行くと、ギャラリーが一斉にヒソヒソ話を始めた。志光は余裕の笑みを浮かべつつ、心の中で泣いた。
話には聞いていたが、凄い肉体だ。どう考えても一〇〇キロは余裕で超えている。しかも、こちらの体つきから得意な攻撃方法まで当てた。格闘技全般と、筋トレの知識が豊富に違いない。
あんなのと一戦交えたら、どうなるかなどやる前から分かる。このままではボコボコにされる。
ドムスに帰ったら死ぬ気でトレーニングをして、ついでに就任式の日取りをできるだけ引き延ばせるように幹部たちに掛け合おう。新棟梁就任式の当日に死にたくない。
「そろそろ戻ろうか?」
凍り付いた笑みを溶かすべく、湯をすくって顔にかけた志光は、両脇に並んでいる美女二名に声を掛けた。しかし、二人が同意をする前に、一人の男性が湯船を泳ぐように近づいてくる。
見たことの無い顔だ。年齢は二十代だろうか? 身体は引き締まっている。
危険を察知したのか、本来の役目を思い出したのか、麗奈が慌てて志光の背後に駆け寄った。男は少女の股間を見上げると、嬉しそうに笑ってから少年に声を掛ける。
「初めまして、大将。黒鍬組の者です」
「黒鍬?」
「戦国時代や江戸時代に、土木工事のために使った鍬の一種よ。そこから転じて土木作業員の集まりを黒鍬組と言ったの。魔界では大工沢美奈子の配下を指すわ」
ソレルの解説を聞いた志光は警戒を解いた。彼は右手を男に差し伸べる。
「大工沢さんか! それで、どのようなご用件ですか?」
「奥の露天風呂で、カントクが待ってます。ご同行願えませんかね?」
「カントク?」
「大工沢のあだ名よ」
「ああ……どうして、大工沢さんはそこで僕を?」
「黒鍬組で露天風呂を借り切ってます。そこで話がしたいそうです」
「他のメンバーは呼ばれていないのかな?」
「もちろん、来て下さって結構ですよ」
志光は左右に首を振ってクレアとソレルと目を合わせてから、上を向いて麗奈に礼と忠告を述べた。
「見附さん、ありがとう。でも、股間は隠した方が良いよ」
「乳比べされるぐらいなら、下の方に視線が行く方がマシです」
「ああ……そうなんだ」
曖昧な言葉でお茶を濁した少年は、今度は彼女の背後にいる茜に顔を向ける。
「あの、過書町さん。これから露天風呂に行くことになったんだけど……」
「シャーッ!」
眼鏡をかけた少女は、両目を吊り上げ猫が威嚇するように鳴いた。志光は二人の巨乳の間から立ち上がり、浴槽を出て薄暗い場所にある立ち湯まで歩いて行く。
「過書町さん、もう終わったから。機嫌を直して下さい」
「シャーッ!」
「僕だってちゃんと約束を守って、言いたいことも言わなかったじゃないですか。たとえば、平将門とか、平清盛とか……」
志光が平氏出自の著名人の名前を列挙し始めると、茜は濡れたタオルを振り上げた。彼女が腕を伸ばすと、タオルが宙を飛び少年の目に当たる。
「あんとく様! お許しを!!」
視界を奪われて足を滑らせた志光は、真っ逆さまになって立ち湯の中に落ちた。
「約束を破った罰です。それに、『妖怪ハンター』を知ってる悪魔が、ここに何人いると思ってるんですか? 微妙にネタがマイナーなんですよ」
少女は吐き捨てるようにそう言って、うつ伏せの姿勢で浮かんできた少年を除けると、立ち湯から上がって麗奈の側に歩いて行った。
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