第82話15―6.『のうりん』ポスター問題

「麗奈と過書町さんは?」

「そこにいるわよ」


 ソレルが顎で指し示した先には、麗奈と茜が立っていた。二人とも、パイル生地のラップドレスを身にまとっている。


「あの格好は?」

「脱衣所で裸を観られたくない人向けに、入り口で貸しだしているラップドレスよ。あの格好で銭湯に入るのはマナー違反だけど」

「まあ、ここで全裸でいられるのは、見られたいか見られても平気な人達ばっかりだもんなあ」

「当然でしょう? ここはお風呂に入るだけじゃ無くて、品定めをする場所でもあるんだから。もちろん、私はベイビー一筋だけど」

「過書町さんも同じ事を言ってたなあ」

「え? 過書町があなた一筋なの?」

「違う違う。品定めする場所ってところ。彼女が僕のことを好きなわけが無いよ」


 志光が苦笑して首を振っても、ソレルは疑惑の眼差しで茜を見つめながら呟いた。


「さあ。どうかしら?」

「ハニー。ここでグズグズしていないで入りましょう」


 少年と褐色の肌のやりとりが一段落するのを見計らって、クレアが再び彼の背中を押した。今度こそ志光は二人の美女を引き連れて、浴場内に足を踏み入れる。


 浴場の入り口付近には洗い場が設置されていた。ただし、その規模はスーパー銭湯のそれを凌駕する広さで、まるでボウリング場に設置されたレーンのようにカランとシャワーがついた台が並んでいるようだ。洗い場の端はシャワールームになっていて、板で囲って空間を作っているが、その数もとんでもなく多い。


 クレアとソレルが脱衣所で監視員から受け取った髪留めを使って髪をまとめて入浴の準備をしている間に、志光は風呂椅子を一つ持ってカランの前に腰かけた。


 少年がカランを押してお湯を出し、風呂桶に溜めて肩から浴びていると、二人の美女が背後から彼を立たせ、シャワールームに引っ張っていく。


「え? 何? また何かあるの?」


 狭い空間で左右から乳房に挟まれた志光は、ニヤニヤしながら嬉しい悲鳴を上げた。


「身体は私が洗うから。分かってるわね?」


 少年の右に陣取ったソレルは、手を伸ばしてバルブを捻る。三人が身体を洗いながらはしゃいでいると、入り口に麗奈と茜が現れた。二人は顔だけ覗かせる姿勢になると、中の三人に聞こえる程度の声量でボソボソと会話を開始する。


「あー、リアルが充実している皆さん、ここにいたんですねえ、麗奈さん」

「いましたねえ、茜さん」

「ヤリチンさん、あんな嬉しそうな顔をしちゃって、さぞかし楽しい気分なんでしょうねえ、麗奈さん」

「とんでもない大きさのオッパイを二人も連れて歩き回ったら、周囲の注目も浴びるし鼻高々なんじゃないですか、茜さん」

「私達を連れて歩いても、並みと並み以下だから自慢にもなんにもならないですからねえ、麗奈さん」

「まったくですよ、茜さん。私、どういうわけか憎しみで心がいっぱいなんですが」

「私もですよ、麗奈さん。現実世界に戻ったら、ネットでいかに巨乳が悪いかを書き散らしてやる予定です。『のうりん』のポスターみたいに、公共の場から排除してやらないと。容姿差別(ルッキズム)だと批判されても、観光PRに相応しくないとか、セクハラだとか言ってやれば……」

「過書町さん! 『のうりん』のポスター話はマズイだろう! それ、アカンやつだ!」


 志光は口を四角く開けて茜を非難した。しかし、眼鏡の少女は少年の意見を無視して麗奈との会話を継続する。


「あー、なんか持ってる人が言い出しましたね、麗奈さん」

「まあ、持っている人たちには、持っていない人の気持ちなんて分からないですからね、茜さん」

「あの、二人とも……そこまで卑屈にならなくても…………」

「あんなメロンみたいなのを目の前でブルンブルンされて、卑屈にならないなんて無理ですよね、麗奈さん」

「持ってる人達は、重くて肩が凝るとか、運動するだけでクーパー靱帯が伸びちゃうとか、色々愚痴を言いますけど、そうでも言わないと同性の嫉妬のせいで大変な目に遭うのは確実ですからね、茜さん」

「大きいだけで男共が寄ってきて、チヤホヤするのを何度も見ていたら、ねえ……麗奈さん」


 二人の少女が呪詛の言葉を呟いていると、クレアがニコニコしながらシャワーヘッドの向きを入り口に変えた。


 大量のお湯を浴びせかけられた少女達は、まるでゴキブリのようにシュッとその場から姿を消す。


「気にしなくて良いわ、ハニー。あの子たち、今日の目的を忘れてしまっているのよ」

「脱衣所であんなプルンプルンされたら忘れそうですけどね」

「湯崎を呼び寄せるのに手っ取り早い方法なんだから、仕方が無いわ」

「ちなみに、過書町さんが同じ事をしたら、湯崎さんは現れたと思いますか?」

「湯崎は子供に興味が無いから、現れないと思うけど、そもそも過書町は揺れるの?」


 背の高い白人女性が訝ると、入り口からボディソープのボトルが高速で飛んできた。彼女はそれを片手で軽々とキャッチして勝ち誇った笑みを浮かべる。


「身体も綺麗になったし、そろそろ入浴しましょうか?」

「そうね。ここからが本番だものね」


 ソレルもクレアに同調すると、三人は揃ってシャワールームを出る。


 洗い場を過ぎた場所には複数の浴槽が設置されてあった。一般的な座湯、水深が深い立ち湯、逆に寝転がれる寝湯、ジェットバス、電気風呂と至れり尽くせりだ。


 しかし、魔界銭湯の特徴は照明にあった。浴槽には、スポットライトが当たっている明るい場所と、当たっていない薄暗い場所で、文字通り明暗が分かれているのだ。裸体を見せたい人や気にしない人は明るい場所にどうぞ、それ以外の人達は暗い場所で、というわけだ。


 志光を挟んだ二人は、もちろん明るい場所にある座湯に滑り込んだ。三人が湯船に入ると、大勢の悪魔たちが彼らを囲むように入ってくる。


 志光はギャラリーたちを気にしない素振りをしつつ、心の中で胸をなで下ろした。


 茜も呟いていたが、これは究極のルッキズムかもしれない。何しろ、服でごまかしがきかないのだ。自分の肉体にコンプレックスがある人はやっていられない空間だろう。麻衣にどやされながら、身体を鍛えてきて良かった。もっとも、観衆の大半が見たいのはクレアとソレルの二人、正確には彼女たちの胸部なのは目線から推測できる。


 それにしても、改めて見ると凄い。お湯から半分以上ははみ出しているではないか。いつもはそれほど気にならないのは、比較する対象があまり無かったからだろう。同行を嫌がった麻衣も、過書町茜ほど小さくは無かった。


 そこで、ふっと彼女のことが気になった志光は、首を半回転させた。麗奈と茜は薄暗い浴槽からこちらをじっと見ている。その顔貌は心霊番組に出てくる女幽霊のように無表情だ。

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