第14話3-4.壁の蝿

「ウニカは積極的に会話をするように設定されていない。棟梁はそいつを何かの実験に使っていたんだが、それが何なのかはアタシにも説明してくれなかった。運動能力を確かめる時に、少し手伝っただけかな? 棟梁はウニカを少女の形にしたのは、それが〝タブー〟だという意味だという話はしてくれたけど、どんな意味なのかは完全には解らなかったね」

「完全に解らなかった、ということは少しは解ってるんですか?」

「そいつの自律プログラムの開発に〝夢魔国〟が関わっているからね。彼らと積極的に関わりを持つのは、悪魔の世界ではちょっとしたタブーなんだ」

「夢魔って睡眠中に性的な夢を見せる悪魔のことですよね? インキュバスとかサキュバスとか……」

「伝説ではそうなっているし、本人達もそういう存在だと主張しているが実体は違う。人間に限らず、動植物の認識力を操作できる特殊な技術を持っている」

「認識力の操作って、要するにその人が体験したことや感情を勝手に書き換えることが出来るってことですか?」

「そうだよ。人間でも悪魔でもね。だから、睡眠中の相手に淫らな夢を見させることが出来るというのは、要するに夢魔の能力の一部に過ぎないって事になる。彼らが悪魔の中でも好かれない理由がなんとなく解ったかな?」

「はい。それで、ウニカにもその能力があるんですか?」

「それは解らない。仮にアタシがウニカに認識を弄られていたとしても、私が操作に気がついたことは一度も無い。そいつも自分からその話をするすつもりが無くて、棟梁がいなくなってしばらくしたら、邪素が切れて動かなくなった」


 麻衣が少年に裏事情を明かすと、ウニカが同意の印に頷いた。


「じゃあ、ウニカを何に使うんですか?」


 ますます困惑した志光は下唇を噛んで嘆息する。


「棟梁は実験以外に使っていなかった。キミがどう使うかは自由だけど、アタシ達は人手不足だ。猫の手も借りたい。アタシなら、ここの護衛として使う」

「こんなに小さい身体なのに、そんなことが可能なんですか?」

「パワーはともかくスピードに限って言えば大抵の悪魔より速い。そっちの実験には何度かつき合わされたから、アタシが保証するよ」

「うーん……」


 志光は唸りながら、ウニカの頭頂部からつま先まで目を注いだ。ウニカは相変わらず無表情のまま少年を見返してくる。


 確かに、目の前で立っている少女らしき何かは、人間でも無ければ悪魔でもない。肘や膝、そして胴体の中央部が球体で出来ているのが何よりの証拠だ。


 しかし、だからこそ人間離れした美しさが、この球体関節人形にはある。そのような存在を、単なる穴埋めとして使うのは気が引ける。


 志光が逡巡していると、麻衣とクレアが明らかに苛立ち始めた。ピリピリした空気を察知した少年は、慌てて球体関節人形に命令する。


「ウニカ。僕を警護しろ」

「…………」


 志光に命じられたウニカは小さく頷くと、間を置かず目にも留まらぬ速さで片手を床に伸ばした。それから彼女は細い親指と人差し指の間に挟んだ、球状の物体を少年に見せる。


 物体の大きさはパチンコ玉ぐらいで、色は邪素と同じ青色だった。ただし、色むらがあり、一見すると琉球ホタル石のように見える。


「これは?」


 ウニカから青い球体を見せられた志光は首を捻った。球体関節人形に近づいた麻衣とクレアは、その物体に見覚えがあったようで、お互いに顔を見合わせるとうんざりしたような顔つきになる。


「これは……アレでしょう?」

「そうだね。蝿だ」

「蝿? 何ですか、それは? 邪素で出来た球に見えるんですが」

「ああ。邪素で出来た球だよ」

「何でそれを蝿と呼ぶんですか?」

「分割された〝魔界日本〟と関係があるんだけど、今はとりあえず大きな問題じゃ無いかな?」

「でも、ウニカは僕を守るために、この球を拾ったんですよね?」

「そうだね」

「すみません。混乱しそうなんですけど」

「分かるよ。だから、蝿に関しては最低限のことしか教えない」

「はい」

「その青い玉は〝レア〟な悪魔の一部が作り出せる。目的は監視だ。盗聴も盗撮も出来る優れものさ」

「つまり、この球は邪素で作った監視装置みたいなものなんですか?」

「ああ。使っている悪魔の正体も判っている。アニェス・ソレルだ」

「……誰ですか、その人は? 初めて聞く名前ですよね?」

「だと思うよ。でも、今はソレルの話はいい。彼女は恐らく大きな問題は引き起こさない」

「じゃあ、なんでウニカはこれを拾ったんですか?」

「ソレルが君を監視しているのを敵対行為だと認識したんだろう」

「でも、麻衣さんはその人は僕に悪意が無いと思ってるんですね?」

「そうだよ。アタシは彼女を知ってるからね。なあ、ソレル?」


 麻衣が青い球に呼びかけると、それはウニカの指の中でみるみる縮小して消えた。


「…………」


 球体関節人形はやや首を傾げ、球を捕らえていた方の手を志光に差し出した。


「消えた……んですか?」

「正確には消したのよ」


 クレアはゲートの天井を見上げながらゆっくり息を吐いた。


「志光君。お願いがあるの。ウニカの任務をこの場所の護衛に切り替えてもらえないかしら?」

「ウニカにゲートを警護させるんですか?」

「正確には、この地下室に続く通路から先を、完全に封鎖するように指示して欲しいの」

「さっき言っていた、人手不足の解消が目的ですか?」

「そうよ。ウニカに作業をさせている間に、ゲートを使って施行が出来る悪魔をここに来させるわ」

「施行って……建築が出来る悪魔がいるんですか?」

「〝魔界鉄筋工〟とか〝魔界鍛冶工〟とか〝魔界型枠大工〟ね」

「また〝魔界〟ですか。僕はその格好悪い名前は可能な限り使いませんからね!」

「慣れれば気にならないわよ」

「悪魔なんだから、もっとしゃれた名前にしてくださいよ」

「たとえば?」

「たとえばですね、悪魔はラテン語でディアボロスと言うんですよ。そっちの方が、格好良くないですか?」

「じゃあ〝ディアボロス鉄筋工〟で良いかしら?」

「それも格好良くないですよ!」

「志光君、職業差別は良くないわよ」

「違いますよ! 日本語で言うと普通に聞こえるから格好良くないって話ですよ!」

「それじゃ、型枠大工をラテン語にするとどうなるのかしら?」

「それは……」


 志光がそこで言葉に詰まると、脇で話を聞いていた麻衣が含み笑いを始めた。彼女は今にも噴き出しそうになるのを必死に堪えながら、少年の肩をポンポンと叩く。


「そのラテン語、どうせ『なんとかネーミング辞典』みたいなのを読んで、適当に丸暗記してるだけなんだろう? だから悪魔は知っていても型枠大工は知らないんだよね?」

「ち、違っ! 違いますよ!」


 顔を真っ赤にした志光が否定の言葉を叫んでも、赤毛の女性の表情は変わらなかった。それどころか、さっきまで完全な無表情だったはずのウニカまで、薄笑いを浮かべながら少年に近づいてくると、背伸びをして麻衣のように彼の肩を軽く叩く。


「…………プッ」

「違うって! 僕はちゃんとラテン語について調べてるから!」

「解ったわ、志光君。今度は鉄筋工や型枠大工をラテン語で何というかまで調べておいてね。それで、申し訳ないのだけれどもウニカへの命令を変更して」


 クレアだけは冷静な口調で志光に対応してくれるが、よく聞くと彼女の声音も微かに震えている。志光は下唇を突き出すと、ぶっきらぼうな言い方でウニカに命令を下す。

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