第10話2-6.変身
「足に〝レア〟の証拠が出る場合もあるの。靴下も脱いでね」
クレアは唇を舐めながら、少年に脱ぎ方の指示を出した。志光は頬を膨らませたが、反意を表明することも無く、ズボン、タンクトップのシャツ、そして靴下を脱いでいく。
ボクサーパンツ一枚になった少年は、恥ずかしそうに股間に手を当てた。二人の女性は大きく首を振って駄目出しをする。
「恥ずかしがってちゃ話にならないよ。全部脱がないと」
「志光君。時間が無いのよ。早くしてもらわないと」
「で、でもですね……」
「でも、何かしら?」
「その、股間に〝スペシャル〟の証拠が出る事ってあるんですか?」
「可能性としては、もちろんあるわ」
「本当に、ホントーに出るんですか?」
「出る時は出るし、出ない時はでないんだから、今更悩んだって時間の無駄だよ。さっさと脱いじゃいなよ!」
クレアとのやりとりを遮る形で麻衣が野次を飛ばすと、志光は両目をつむって下着を足から抜いた。二人の女性は少年の股間を凝視すると、親指を立てる。
「合格だよ。おめでとう!」
「合格よ。これなら棟梁を任せられるわね」
「ちょ、ちょっと! 合格って、一体何が……まだ僕は悪魔になれたわけじゃないですよね?」
「そうだね。でも、合格のサイズだよ。これなら大抵の女性は文句なしだね」
「同感ね」
「や、やっぱり! やっぱり××コ見たかっただけじゃないですか! お、男を、男をそこだけで判断しようとするなんて……」
志光がそこまで言いかけたところで、針が刺さったような痛みが心臓を襲った。少年は胸を押さえて呻き声を上げる。
「い、痛い! これ、本当に大丈夫なんですか?」
「いよいよ始まったわね」
先ほどまでふざけた態度をとっていたクレアの目付きが鋭くなった。麻衣も真顔になると、志光に声を掛ける。
「大丈夫だよ。小腸で吸収された邪素に心臓の筋肉が反応している証拠だ。悪魔になりたいのであれば吉報だよ。反応が無いより何万倍もマシな状態だからね」
「こ、こんな痛いって話は聞いてなかったんですけど……」
「個人差があるんだよ。アタシはほとんど痛く無かった。キツかったらベッドで横になって、変身が終わるのを待てば良い」
赤毛の女性から対処法を聞いた志光は、小さく頷いてベッドに倒れ込んだ。
額から脂汗が滲んでくる。しかも寒い。
まるでインフルエンザにでもかかったようだ。ということは、体温が上昇しているのだろうか?
志光は全身を震わせながら天井を仰ぎ見た。
ピンク色の蛍光灯がまぶしい。
ヒップホップの音楽が耳に障る。
だが、心臓の痛みは徐々に消えていっている。寒気もだいぶ楽になった。
それに伴って、青く輝く粉末のようなものが見えてきた。
それは、表皮から立ち上るように動き、仮眠室の空気と混ざって消えていく。
「両手に出た! 〝スペシャル〟だ! しかもアタシと同じ場所だね」
麻衣の歓声を耳にした志光は、自らの手の平を見た。説明を受けていた通り、手首から先が真っ青な絵の具でも塗られたかのように輝いている。
「何も触れないで。どんな効果があるか分からないわ」
クレアの忠告を耳にした少年は深く頷いた。
「そのままで青い輝きが収まるまで待っているんだよ。アタシたちはそろそろ奴らの相手をしないと」
液晶モニタでカニ男たちの動きを確認した麻衣は、下着姿のままベッドを降りて隣室に消えていった。
「輝きが収まったら、志光君も戦いを見に来て。隣の部屋に防音用のイヤーマフを置いておくわ。戦う場所はさっきと同じ廊下だから、それを被っておかないと耳が大変なことになるわよ」
両手で長い金髪をすいたクレアも、下着姿のまま部屋を後にする。
一人残された志光は、液晶モニタに視線を向けた。カニ男たちは、どうにか螺旋階段の下にある鉄扉をこじ開けるのに成功したようだ。
通路の幅を考えると、十体以上のカニ男たちが二人の女性を取り囲んで襲撃できる可能性は無い。つまり、数の優位性にそれほど意味が無い。
「あの二人、最初から勝つつもりだったんだな。パニックになった僕をからかっただけか……」
苦笑いを浮かべた志光は、それでも自分の身体から輝きが消えるのを待った。最初にカニ男を見た時の驚きも、悪魔の説明をされた時の緊張も既に無くなっている。
代わりに心の中から気力が湧き上がってくる。一種の自信と言っても良い。
特に根拠は無いのだが、今の自分なら何でも出来るような気がするのだ。間違いなく、あの邪素を飲んだせいだろう。
全身から立ち上っていた青い粒子が見えなくなると、志光は立ち上がってボクサーパンツを履いた。本当は学生服も着たかったのだが、またあの二人にからかわれそうだったので、そのままの姿で警備室に戻る。
ソファの前に置かれたテーブルには、大型のヘッドフォンによく似た防音用のイヤーマフが置いてあった。黒いイヤーマフに下着一丁という珍妙な格好になった少年は、通路に続く重い扉を開く。
対戦車ライフルの轟音が、イヤーマフをつけていてもはっきりと聞こえてきた。腰だめに銃を構えたクレアが、カニ男に向けて射撃をしている姿が背後から見える。
一方、麻衣の姿は天井にあった。天井のコンクリートには、マンホールから地下の下水道に降りていく際にに使う、コの字型の足掛金物に似た金具が定間隔で装着されており、彼女はそこへ雲梯にぶら下がる要領で掴まっていた。
クレアの射撃をかいくぐったカニ男が接近してくると、麻衣はすかさず地面に飛び降りて、青く輝く拳を容赦なく振るった。どうやら、二人の間で射撃をする距離の取り決めが交わされているようだ。
赤毛の女性に殴られたカニ男は、急激に力を失ってうずくまった。彼女の拳で殴られ、衝撃を受けた液体はエタノールに変化するとのことだから、カニ男の血液なり体液なりが酒に変わっているせいだろう。
もしも殴られる相手が人間だったらと思うとゾッとする。一瞬で急性アルコール中毒になって死ぬという状況を想像したくない。
しかし、自分も麻衣と同じような〝スペシャル〟だと言われた。まだ明らかでは無いが、邪素を利用した特殊な能力が両手に秘められているらしい。
「志光君。申し訳ないけど、床に落ちた薬莢をどけてくれないかかしら?」
対戦車ライフルを撃ちながら、クレアが志光に片付けの指示を出した。
「はい!」
大声で返事をした少年は、燃焼した火薬がもたらす白煙を掻き分けるようにしてしゃがみこみ、背の高い白人女性の足下に転がっている薬莢を拾う。
薬莢の長さは10センチぐらいだろうか? とにかく大きい。魔物も悪魔も、こんな武器で攻撃しない限り死なないという話は、眼前で殺し合いが行われていても、にわかに信じられるものではない。
志光が薬莢に気をとられていると、銃撃も接近戦も辛うじて躱したカニ男がクレアの鼻先に滑り込んできた。
「危ない!」
麻衣が金切り声で警告するが、それよりも一足早く脚を変形させた刃が対戦車ライフルの側面を叩く。クレアは次の攻撃を避けるべく、後ろに飛びすさる。
頭の数センチ上で戦いが始まったのに気づいた志光は顔を青くしてその場から逃げようとした。しかし、緊張のあまり身体がすぐに反応しない。
その代わり、少年の手が青く輝きだした。すると彼が握っていた空薬莢が目にも留まらぬ速度で打ち出され、襲いかかってきたカニ男の頭部と胴体を貫通した。
「これは……」
志光は唖然とした面持ちで、破壊された魔物が黒い塵になるのを眺めていた。通路にカニ男の姿は見当たらない。どうやら、全て退治してしまったようだ。
「志光君の特殊能力は推進系のようね」
戦闘が終わると、対戦車ライフルを床に置いたクレアが志光に向かって微笑んだ。
「発現した場所も麻衣と同じだし、これは幸先が良い証拠かも知れないわ」
「僕が……スペシャル?」
少年は呆然としながら、未だに青く光り続ける己の両手を二人の女性に掲げて見せた。
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