第7話2-3.突きつけられた選択

「駐車場の入り口付近を、カニ男がウロウロし始めてるね。最低でも五人いる」

「あ、あのですね。お二人は、あのカニ男と戦って下さるんですよね?」

「もちろんだよ。これでもアタシはあちらではちょっとは名の知られた女だからね。ただし、物事には何でも限界はある」


 麻衣は手にした水筒を弄びつつ、志光の顔を一瞥した。


「もしも、カニ男達の数が予想以上で、私とクレアで対応できないと判断したら、〝ゲート〟を使って魔界へ逃げる。ここは破棄だ」

「あ、あの……もしも僕が悪魔になれなかったら、その時はどうなるんですか?」

「そりゃあ、もちろん人間のままだろうね」

「そういう話じゃなくて、ここに取り残されるのかって事ですよ!」


 志光がソファから腰を浮かせていきり立っても、クレアは顔色一つ変えなかった。彼女は小さく頷いて、少年の不安を確信に変える。


「残念だけど、そうなるわね。もちろん、私は一郎氏から報酬を受け取っているから、最大限の努力はするつもりよ。でも、自分の身を挺してまで、志光君を守るという約束まではしていないわ」

「そんな……じゃあ、僕は…………」

「どうする? 悪魔になれるか、人間のままなのかを試してみるかい? 少なくとも、邪素はキミが抱える問題を、少しだけ解決した。悪魔になれる可能性は十分にあると思うよ。ただし、残された時間はそれほど無いけどね」


 麻衣は手にしていた水筒を段ボール箱に戻すと、それを台車から除けて床に下ろした。赤毛の女性は続いて新しい段ボール箱も床に下ろし、封を切って中を見せる。


「キミが悪魔では無かった時に、棟梁が財産として渡すように指示していたお金だよ。全部で確か六億円ぐらいある。年間に一千万使っても六十年間は遊んで暮らせるはずだ」


 ビニールに包まれた札束を目にした志光の喉が鳴った。


 これだ。これが自分が欲しかったものだ。


 このお金があれば、自分は人付き合いに苦しむこと無く生活が出来る。これを持って地上に出て、銀行に預けることが可能なら、想像していた以上の未来が自分を待っている。


 だが、地上の出入り口には、カニ男が何人もたむろしている。彼らを躱して地上に戻ることは可能なのだろうか? 


 自分の命を狙っている連中は、金に興味が無いとクレアは言っていた。つまり、この金の一部を渡して買収しようと思っても、上手くいかない可能性が高い。そもそも、顔の上半分がハエトリグモのような怪物に、日本語が通じるかどうかも疑わしい。


 また、クレア自身も金を寄越せとは言っていない。彼女は既に死んだ父親から十分な報酬を貰っているそうだ。


 ということは?


 ここにある札束は、自分の将来にとって大切かも知れないものの、現時点ではその将来があるかどうかが甚だ怪しい、ということだ。可能性があるとすれば、それは自分が悪魔に変身することだが、確実かどうかは分からない。


 麻衣は邪素のお陰で自分が普通に話せていると説明していたが、クレアに指で唇を触れられた時は青い液体を見なかった。だから、自分が邪素を吸収したという話は信じていない。


 同時に、これが毒であると言う可能性も捨てていない。彼らが超常的な能力の持ち主であると言う事実は認める。だが、それと自分に対して誠実かどうかは別問題だ。弱い人間、劣った人間が苦しむ様を眺めて喜ぶ奴らは掃いて捨てるほどいる。


「あの……」


 液体を眺めていた志光は顔を上げ、クレアと麻衣に視線を向けた。


「この液体を飲めば、悪魔になったかどうかを判断出来るんですよね?」

「できるわ」


 クレアは即答すると、自分の持っていた水筒のキャップを捻った。


「何度も同じ事を言ってしまうことになるけど、志光君の考えていることは分かるわ。これが毒物で、自分が騙されていたらどうしよう……そんなところでしょう?」

「す、すみません」

「私も最初に邪素を飲んだ時に、同じ事を思ったわ。だから、飲みたくなければ飲まなくて良いのよ。それに、飲んだからと言って変身できるかどうかも分からないわけだし」

「それに対しても、疑問があるんですが……」

「何かしら?」

「邪素を吸収すると、可塑性が高くなると仰っていましたよね?」

「ええ。分かり易い言葉にするなら、変身するということね」

「その変身なんですが……肌の色が緑色というか青っぽい色になったりしませんか?」

「え?」

「それでですね、耳の部分がコウモリの羽っぽく変形して、デビルイヤーなのに地獄耳って言われるようなってですね……」

「…………はあ」

「しかも、南極から来たデーモン一族が日本語喋ってるんですよ。名前もジンメンとか、どう考えても日本語。おかしいと思いませんか?」


 志光が饒舌に自分の不安を訴えるのを聴きながら、クレアが当惑の面持ちを浮かべたのに対して、麻衣は小さく首を振って少年に警告した。


「キミの懸念は分かったが、キミが想定しているマンガ作品には熱狂的な高齢のファンがたくさんいるから、あんまり批判的な意見を表明しない方が良いと思うね」

「いや、批判じゃ無くてですね……」

「とにかく、キミは自分の身体が意に染まない形に変わってしまうことを恐れているわけだよね?」

「ええ。まあ、そういうことになりますね」

「だったら、話は早い。隣の部屋に行こう」

「そこに何かあるんですか?」

「仮眠室だよ。ゲートを通って〝魔界〟から現実世界来た悪魔に、適当な宿泊施設があるとは限らない。だから〝ゲート〟付近に仮眠室を設けておくのが昔からのしきたりなんだ。そこでキミの知りたい答えを教えてあげようじゃないか」

「は、はあ」


 麻衣は要領を得ないという面持ちをしている志光の手首を握り、彼を奥の部屋へ連れて行った。一方のクレアは赤毛の女性の行動に納得がいったようで、何故か薄笑いを浮かべながら二人の後を付いていく。

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