第2話1-2.代理の女性
志光の言葉を聞いた女性は軽く微笑むと、流ちょうな日本語で返答する。
「初めまして。私の名前はクレア。門真さんからメールは届いているわね?」
「届いています」
「申し訳ないのだけれど、あなたが志光君本人かどうかを確かめたいの。幾つか質問しても良いかしら?」
「は、はい」
「年齢は?」
「十八歳です」
「住んでいる場所は?」
「埼玉県川越市笠幡です」
「お母さんは?」
「僕が十歳の時に交通事故で亡くなりました」
「亡くなったお父さんと何回会っている?」
「一度も会っていません」
「よろしい。それでは、詳しい話ができる場所まで移動しましょう。ついてきて」
質問を終えたクレアはきびすを返すと自由通路を大塚駅の北口に向かって歩き出した。志光も彼女と歩調を合わす。
良かった! 最初は突っかかってしまったが、後はすらすらと話をすることが出来た。
しかし、それは練習の成果が出たのではなく、クレアという女性が自分の唇に指を触れてくれたからのような気がする。彼女は一体何者なのだろうか?
自由通路を出た赤いドレスの女は、左に曲がると駅に沿って池袋方面に伸びる坂道を歩き出した。志光が後を付いてくると、彼女は車道寄りの空間に少年を手招いた。
志光はクレアと車道の間に滑り込んだ。
「あ、あの。何でしょうか?」
少年の質問に対して、背の高い女性は苦笑しつつ回答する。
「男の子なら女性と歩く時は車道側に立って守るのがマナーでしょう? それとも、自分よりも大柄な女性には、そういうエスコートは不要だということなのかしら?」
「ち、違います。経験が無くて……」
「彼女はいるの?」
「いません。つき合ったこともありません」
「あら。それじゃ仕方が無いわね」
「その、もう分かっていらっしゃると思うんですけど、僕は喋るのがあまり得意じゃないから、人と会っているよりも本やネットで文章を読んでいる方が好きなんです。今日はペラペラ喋れているから例外かなあ」
「本は好き?」
「好きですけど、愛書家(ビブリオフィリア)ではないですね。文字が書いてあれば、チラシでも何でも読みます」
「そのリュックサックにも本が入っているの?」
「はい。タブレットも入ってます」
「スマートフォンは?」
クレアはそう言いながら、志光の腕に自分の腕を絡ませた。豊かな乳房を押しつけられた少年は、顔を紅潮させる。
「あ、あの……」
「うろたえないの。男の子でしょ? それより、スマートフォンは?」
「あります。さっきクレアさんの顔を確認するためにメールを見たので、手に持ってます」
「そう。じゃあ、カメラを起動させて」
「はい?」
「カメラのアプリを起動させて欲しいの。ただし、カメラは正面のものを使って」
「は、はい」
志光は言われるまま、スマートフォンのカメラを起動した。坂道を登り切ると、クレアは右折して別の坂道を下り出す。
「スマートフォンを見るふりをして、私達の後ろをカメラで見て。誰か見える?」
少年がスマートフォンのカメラを背後に向けると、そこには黄色いポンチョ状の雨合羽を着た人の姿が映し出された。
身長は高い。二メートルぐらいだろうか?
性別は恐らく男性だが、フードをすっぽり被っているので判別がつかない。そもそも、こんなに暑い真夏の晴天時に、雨合羽を着ているのが不自然だ。
「やはり……」
黄色い雨合羽を目にした背の高い白人女性は不敵な笑みを浮かべ、志光から腕をほどいて彼の手を握ると早足に歩き出した。
すると、二人の背後を歩いていた雨合羽の歩幅も大きくなる。
「あの人、こっちをつけ回しているんですか?」
「間違いなくそうね。たぶん、私を見張っていたんでしょう」
「どうして?」
「狙いは貴方の命よ、志光君」
「僕の?」
志光はあんぐりと口を開き、背後を振り返った。クレアはますます歩く速度を上げると坂道を下りきり、T字路を右折する。
「一旦、駅の方向に戻ってから、目的地に向きを変えるわ」
「あ、あの……僕の命って、どういうことですか?」
「分かりやすく言うと、志光君がお父様から遺産を相続するのが気に入らないのよ」
「お金目当ての殺人ですか? 警察に相談しても駄目なんですか?」
「駄目ね。貴方に残された遺産は、お金だけじゃないのよ。後ろにいる奴を差し向けた連中は、そっちの方が気に入らないんでしょう」
「連中? 何かの組織なんですか?」
「そうよ。でも、今は説明している時間が無いわ」
クレアはそう言うと足を止め、唐突に志光をお姫様抱っこの要領で抱え上げた。彼女はゆっくり息を吸ってから走り出す。
背の高い白人女性の腕の中で、志光は目を大きく見開いて、道行く人々の唖然とする面を眺めていた。
それはそうだろう。体格が良いとは言え、女性が若い男性を抱えた状態で走っているのだ。しかも速い。足が地面を蹴っているよりも、宙を飛んでいる時間の方が長いぐらいだ。
クレアは金髪をなびかせながら、駅前のロータリーにある横断歩道を渡り、JR山手線と交差するように走る都電の線路も横切ると、大通りを左折して坂道を駆け上がった。彼女は歪な形をしたビルの前に来ると足を止め、志光を地面に下ろす。
「ここよ」
「はあ」
少年は左右に首を振った。ビルの一階はコインパーキングになっており、エントランスらしきものは見えなかった。彼は全力疾走したにもかかわらず息一つ乱さないクレアの美貌を見上げつつ、顔をしかめてみせる。
「ここが目的地、ですか?」
「そうよ」
「駐車場に見えるんですが」
「ただの駐車場では無いわ」
背の高い白人女性はコインパーキングへ足を踏み入れた。彼女は奥にある目立たないベージュ色の金属扉に鍵を差し込んでノブを捻る。
「貴方はこの中に入って」
「はい」
志光は扉の内側に足を踏み入れた。床には掃除用具の他に、砲丸投げ競技用の砲丸らしき金属球が幾つも転がっている。
クレアはその一つを掴むと、扉の正面を向いた。そこには、あの黄色い雨合羽を着た人の姿があった。
「雨だったら、不自然じゃ無かったかもしれないわね」
そう呟いた女性は鉄球を首に押しつけ身体を半回転させた。彼女はそこで志光と目を合わせてから一歩だけ後方に飛ぶと、急激に身体を捻って目の前にいる雨合羽に鉄球を投げつける。
駐車場に鈍い音が響いた。頭部に鉄球を受けた雨合羽は、前のめりに転倒する。
「ええっ!」
志光は眼前の光景に息を呑んだ。雨合羽が自分の命を狙っているという話は聞いていたものの、まさかクレアが反撃を、それも砲丸で行うとは思ってもみなかった。
しかし、彼女は淡々とした面持ちで志光を狭い部屋の奥へと追い立てる。
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