第3話1-3.赤毛の女

「早く中に入って。あれで保って五分ぐらいよ」

「あの人、まだ生きてるんですか?」

「ええ。ただし、人では無いわ」

「人じゃ無いって……」

「文字通りの意味よ。私達は〝魔物〟と呼んでいるわ」


 クレアに背中を押された志光が正面に見たのは分厚い鉄扉(てっぴ)だった。背の高い白人女性は、彼の背後から手を伸ばして扉を押す。


 薄暗い室内にあったのは地下へと続く螺旋階段だった。円筒状にくり抜かれたコンクリートの壁面には、LEDライトが輝いている。


「降りて」


 志光はクレアに言われるまま、反時計回りの階段を降りていった。内側から鍵をかけた背の高い白人女性も、彼の後を付いていく。


 十五メートルほど降りると、狭い空間にたどり着いた。そこにも頑丈そうな鉄扉があった。


 クレアはどこからか別の鍵を取り出すと鉄扉を開けた。その先には、高さが四メートル程度、幅は二メートル程度の通路があった。


「ここは?」

「見ての通り、通路よ。その先に門真がいるわ」

「弁護士さんの? 電話で話をしたことしか無いんですが……」

「そのようね。ただ、さっきも言った通り、今は説明している時間が無いの。歩いて奥まで行って」

「はあ」


 クレアに追い立てられた志光は、心許なさそうに周囲を見回しながら、通路を歩き出した。螺旋階段と同じように、ここもLEDライトが天井に設置されている。


 地下通路の先に、一体何があるのだろう? 父親の遺産をもらえると思って喜んで東京までやって来たら、命を狙われていると言われるなんて思ってもみなかった。


 わけもわからず殺されるなんて絶対に嫌だ。こんなことになるぐらいなら、埼玉の奥に引っ込んでいたほうが何万倍もマシだ。


 しかし、それにしてもこの通路は長い。さっきの駐車場があったところから、確実に別の場所へ移動している。


 志光がこの建築物が違法ではないかと思い始めた頃に、またしても同じ鉄扉が彼を待ち受けていた。クレアが扉を開けると、数メートル先に更に鉄扉が見えるが、これは今までよりも更に分厚く重い感じがする。


 駐車場の扉を合わせると、これで合計五つ。警備の人間は見当たらないが、厳重に保護されている空間なのは明らかだ。


 クレアはここで初めて志光を追い越すと、最後の鉄扉をノックした。十数秒後に、重い扉が内側に開く。


 中は殺風景な部屋だった。警備室と応接間を併せた感じだろうか? 部屋の角にはL字に横付けされた長机には液晶モニタが幾つも載っている。映っているのは、駐車場や螺旋階段の光景だ。どうやら、ここで室外の監視を行ってるらしい。


 長机の前に置かれたキャスター付きの椅子には、一人の女性が座っていた。


 クレアほどではないが背は高い。百七十センチぐらいだろうか? 赤く染めた髪をショートのボブにカットしている。顔つきは典型的な日本人だが、目は大きい方だろう。年齢は二十代だろうか? 前が大きくえぐれたベージュのサマーセーターに、黒革のミニスカートを着て、足には短めのウェスタンブーツを履いている。


 しかし、それより目につくのが片手に持っているアルミ缶だ。ほのかに漂ってくる臭いからして、恐らく酒類だろう。


 部屋の反対側の隅に、潰されたアルミ缶が山のようになっている。あの量を一人で飲みきっているのだとしたら、とんでもない酒豪だ。


「君が地頭方志光君かな?」


 椅子から立ち上がった女性は、空いている手を差し出した。


「アタシが門真麻衣だ。電話で何度かやりとりしたのを覚えているね?」

「もちろんです! 初めまして!」


 志光は両手で麻衣の手を握って振った。


「随分良い声じゃ無いか。最初に電話で話をしたときは、うまく話せなかったようだったから心配していたんだ」

「す、すみません。緊張したり焦ったりすると、舌が絡まるような癖があって……」

「なるほど。でも、今日は調子が良さそうだね」

「はい! クレアさんと最初に会った時は上手く話せなかったんですが、急につっかえなくなったんです。理由は解りません」

「クレアに何かされた?」

「いえ……ああ、いや、そういえば指で唇を触られたというか、触って貰いました」

「なるほどねえ」


 目を細めた麻衣は、クレアに顔を向けた。背の高い白人女性は、赤毛の女性から顔を背けて返事もしない。


「あの、唇に触れられたことに何か意味があるんですか?」

「あるよ。でも、今は重要じゃ無い。今はキミの命の方だ」

「あ、ああ。確かにそうですね。代理で来ていただいたクレアさんから、父さんの遺産の件で命を狙われていると聞いたんですが……」

「その通り。君は狙われている。それは本当だ」

「それはって……本当じゃ無い事があるんですか?」


 志光から問いただされた麻衣はアルミ缶に口をつけ、中身の液体を嚥下した。


「ある。アタシは弁護士では無い。あれは嘘だ」

「……はあ?」

「君のお父上である、地頭方一郎氏の部下だったが、弁護士資格はないと言うことだ」

「ど、どうして僕に嘘を?」

「君をここに呼び寄せるための方便だ」


 麻衣はそう言うともう一度アルミ缶を煽り、それからモニタの一つを顎で指し示す。そこには、黄色い雨合羽が螺旋階段を降りていく姿があった。


「どうやら復活したようだね」


 麻衣はモニタを眺めながら舌を出した。


「予想より少し遅かったみたいね」


 クレアはそう言うと、部屋の奥にある木製の扉に手を掛ける。


「約束通り、道具を貸していただくわ」

「ああ。弾丸も一緒に置いておいたよ。好きに使ってくれたまえ」


 クレアが隣室に姿を消すと、麻衣はアルミ缶の上下を手で押さえた。すると缶はプレス機で押しつぶされたようにぺちゃんこになってしまう。


「凄い力ですね」

「人間じゃないからね」

「クレアさんも同じようなことを言っていました。僕を追いかけてきたのが〝魔物〟だって……」

「アタシは〝魔物〟じゃない。〝悪魔〟だよ」


 麻衣はそう言って笑うと、潰れた缶を部屋の片隅に投げた。それから机の上に置いてあった黒い手袋を装着する。

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