#5
皐月は部屋にこもって、市立図書館から借りてきた本を読んでいた。読書感想文というのは本当に苦手だ。たいていあらすじを書いて、最後に適当な感想を付け加えて終わってしまう。活字を読む習慣がないのは、こういうときに苦労するのだなぁ。
土日は祖父の家まで残りの荷物を取りに行っていた。ついでに何週間かぶりに向こうの友人と会い、遊んできた。充実した週末であったが、宿題は全く進まず。
弥生は隣の部屋でゲームをしているようだ。人の苦労も知らないで。
そのとき、チャイムが鳴った。こんな昼間に、なんだろうか。
「はーい」
弥生が対応に向かう。宅配便か何かだろうか。
「皐月ー。友達、来てるわよー」
友達? 誰だろうか。
「誰ー?」
「井上君ー」
先日、駄菓子屋で会った成美か。どうしてまた。
「うん、わかったー。上がってもらってー」
「はいはい。どうぞー」
「おじゃましまーす」
成美の声がした後、部屋のふすまが開いた。ここの間取りは台所を中心とした3DKで、三つの部屋はそれぞれ父の部屋、居間、皐月と弥生の部屋といったように分けられている。皐月たちの部屋は六畳の部屋を二段ベッドで区切った狭い部屋である。弥生のスペースは奥の窓際、皐月のスペースは手前の台所側だ。
「よう、如月。元気か?」
「うん。どうしたのさ、急に」
「いやー、エドワードも爺ちゃん家行ってて暇だからさ」
成美が皐月のそばに座る。とりあえず本を伏せた。
「さっちゃん、お茶ぐらい出しなさいよ」
なんてことを言いながら、弥生が麦茶の入ったグラスを持ってきた。
「あ、どうも」
「ごゆっくり~」
弥生はくすくすと笑いながらふすまを閉めて、居間に戻った。
「如月、お前の姉ちゃん、美人だな」
「そうかなぁ?」
姉の容姿を褒められたのは初めてだ。姉は不細工ではないと思うが、美人とまでは思えない。
「で、よく部屋わかったね」
「如月なんて苗字、一つしかないだろ」
「そりゃそうか」
如月なんて珍しい苗字に加え、成美は同じ団地に住んでいる。名簿とか調べればすぐにわかるだろう。
「千代田の隣とは思わなかったけどな」
「ちー……千代田と知り合いなの?」
愛称で呼びそうになったので、とっさに言い換える。本人のいないところで愛称で呼ぶのはちょっと恥ずかしい。
「同じクラスだよ。如月こそ、千代田のこと知ってるのか?」
「小さい頃、家が近所だったんだ。幼馴染……になるのかな」
「へー。こっちに引っ越してきても近所とか、不思議なもんだな」
「ホントにね」
すると、机の上に伏せていた本に成美が気付いた。
「本読んでたのか? 真面目か」
「違うよ。読書感想文。井上君は済んだの?」
「あんなの、最終日にちゃちゃっとやれば大丈夫だって」
あ、これ、絶対苦労するパターンだ。身に覚えがありすぎる。
「自由研究は?」
「あ、そっちは終わった。エドワードと一緒に、近所の自販機に入ってるジュースの種類を調べたよ」
「え、もう終わったんだ。いいなぁ」
「エドワードは賢いからな。如月はどうするんだ?」
「お父さんが車屋で働いてるから、どういう仕事が多いか聞いて、それをまとめて出そうかなって」
頭を抱える皐月を見かねた父が提案してくれたことだ。正直助かった。
「夏休みもあとちょっとだよな。九月もまだ暑いんだから、そこまで夏休みでいいのに」
「ホントにね」
「そういえば如月、こんな話知ってるか?」
「何の話?」
「大角山(おおすみやま)の蛇女の話!」
それ、どう考えても霞の話じゃないか。知ってるも何も、友達だよ、その蛇女。
だけど、どういった話が広まっているのかは気になる。
「いや、知らない。どんな話?」
「捨丸(すてまる)……あ、山のほうにな、大角山って山があるんだよ。そこに蛇女が住んでるんだって」
「蛇女?」
どんな外見なのか。その答えは下半身が蛇で、胸の大きな美人。
「おう。近づいた子供をさらって食っちまうって話だぜ」
そういえば霞が話してたような。人さらいがあって、それが霞のせいにされたとか。
「食べるって、どう食べるんだろうね」
「そりゃ、蛇女だし、丸呑みにしちまうんじゃねぇ?」
霞が蛇女ということを知ったとき、丸呑みにされるのではと想像してしまったことを思い出した。考えることは同じみたいだ。
霞さん、良い人なのにな。そう言ってみたくなるが、ここはこらえる。
「でも、なんで子供をさらうんだろう」
「知んないよ。でも漫画とかで言ってるじゃん。子供は美味いって」
「なるほどねー」
おおかた霞が言っていたとおりだった。人さらいが霞のせいにされた、と。霞がそんな人間じゃないということはよくわかっている。なのにそんな噂話が広まっているなんて、改めてかわいそうだと思う。
「どうした? 元気ないな」
「あ、いや、こういう話、苦手だからさ」
苦手も何も、彼女とは友達なのだが。まぁ、そんな話が広まっている蛇女と友達だとはなかなか言えない。
「そっか。怪談とか苦手なんだな」
「そうだね。肝試しとか勘弁してほしいよ」
そこは嘘ではない。お化け屋敷なんか本当に嫌いだ。弥生はそれを知ってか、ホラー漫画のカバーを外して置いており、何気なく手に取った皐月の反応を見てからかってくることもある。あれは本当にやめてほしい。怖いやら恥ずかしいやら。
「肝試しかー。俺らもキャンプのときにやったなー。あれは適当だったけど」
「井上君はそういうの得意そうだね」
「おう。じゃあ、今度やるか」
「やめてってば。肝試しの季節は終わりだよ!」
なんて雑談を交わしていたら、本のあらすじなんかすっかり忘れてしまった。
翌日の昼下がり。
皐月は宿題の息抜きに、近所のショッピングセンターの二階にある書店に訪れていた。目当ての漫画の単行本を無事に確保。ついでにゲーム情報誌の立ち読みも済ませたので、あとは向かいにあるゲーム・CD店を覗いて帰ろう。そろそろ次世代機が欲しいが、何かしらのイベントがなければ買ってもらえないだろう。誕生日はとっくに過ぎているので、あとはクリスマスに期待。父も欲しがっているので、二人がかりで押し切ればいけそうな気がする。
「あ。二月クン。二月クンじゃないっすか」
試聴コーナーを眺めていたら、新月の声がした。まさか、こんな街中に? 声がした方向に振り向いてみると、そこには新月の顔があった。だが、その手足は人間のものだ。先日会ったときのような、ノースリーブのブラウスとショートパンツ姿だ。
「え? ……新月、さん?」
「そっすよー。ちゃんと覚えててくれたじゃないっすか。えらいえらい」
人違いかと思ったのだが、彼女は新月という名前に反応した。そんな名前、そうそうないし、名乗ってもないのに二月と呼んでくるのは、こちらの名前を知っているということだ。信じにくいことだが、目の前の女性は新月なのだろう。明るいところで見てみれば、彼女はずいぶんと童顔であり、霞とは違ったタイプの美人である。
「たまたまCD買いに来たら、いやー、偶然っすね。世の中狭いっすわー」
新月がCDの入った袋を出した。
「誰の曲なの?」
「アイドルのやつっすよ。一緒に住んでる人に頼まれまして。私はあんまり好きじゃないんすけどね。私はもっとこう、激しいやつが。二月クンこそ、どうしたんすか?」
「漫画買いに来てた。それよりも、聞きたいことあるんだけど……」
新月は烏のような黒い翼を持つ、ハーピーだったはず。
「なるほど。聞きたいことはわかるっすよ。ま、立ち話もなんですし、ちょっとお茶でもしましょうか。おごるっすよ」
新月はこちらの答えを聞かないまま、一階へのエスカレーターに向かった。ひとまず彼女の後について行く。このショッピングセンターにある飲食店は、一階にドーナツ店。二階にハンバーガーチェーンとラーメン屋。それにレストランがある。一階に向かったということはドーナツ店か。
その予想は当たり、新月はドーナツ店に入った。チェーン店であり、土産として何度か家で食べたことはあるのだが、店内で食べるのは初めてだ。
「好きなの取っていいっすよ。そんなに高いものじゃないですし」
新月はオールドファッションとイチゴのチョコレートがかかったドーナツを取った。好きなの取っていいって言われても、腹はそんなに減っていないので、チョコレートがかかったドーナツと、クリームの入ったドーナツを取る。
「二個だけでいいんすか?」
「うん。この時間に食べすぎると、夕飯食べられなくなるし」
「それもそっすね。飲み物、何がいいっすか?」
「じゃあコーラで」
「はいはーい。じゃ、適当に席取っていてもらえます?」
店の中は空いている。ひとまず、隅の席を確保。すぐに新月が向かいに座った。新月の飲み物はアイスミルクティーのようだ。
「はい、どーぞ」
「ありがとうございます」
新月に頭を下げて、コーラを飲む。ちょうど喉も乾いていたので、非常に美味い。
「礼を言うのはこっちっすよー。若い子と食べるご飯は美味しいっすから」
新月はストローで飲み物をかき混ぜながら、くすくすと笑った。霞はだいぶ長生きしているようだが、新月もそうなのだろうか。
「じゃ、質問なら受け付けますよー。何でも聞いてください」
「じゃあ……新月さん」
「うふふ、彼氏ならいないっすよー」
「まだ質問してないし、聞きたいの、それじゃない!」
「もう、ノリ悪いっすねぇ」
新月のペースに乗せられると、話が進みそうにない。先手を打っていかないと。
「新月さん、烏みたいな翼、生えてなかった? いや、生えてるっていうか、腕が翼っていうか」
「ほほう。そう来たっすか。そのとおりっすよ」
「でも、今は……」
「まぁ、簡単に言えば、私は人間に化けることができるんすよ。さすがに今の時代、自給自足じゃ生きていけませんから。随分と練習したんすよ、これ」
「どうやって?」
「それは企業秘密っす。忍術とか、魔法みたいなものと思ってもらえればいいっすよ。ほら、RPGでもあるじゃないっすか。変身する魔法」
「魔法って……ゲームじゃないんだし」
「霞さんと新月ちゃんを見た二月クンが言う台詞っすか、それ」
確かに蛇女と鳥人間がいるのだ。魔法の一つや二つ、あってもおかしくはない。だとすると、車を運転できたというのにも納得。人間に化けていたのだな。
となると、霞も人間に化けることができるのだろうか。
「二月クンが考えてること、わかるっすよ。霞さんのことでしょ」
「う」
図星。
人間に化けた霞の姿を思い浮かべる。時代劇でお姫様役をしている女優と言われても違和感ないほどの美人になりそうだ。
「霞さん、人間に化けたがらないんすよ。できることはできるんすけどね」
「え、そうなんだ」
「霞さん、美人でしょ。なんで、人間に化けると、色々とめんどくさいらしいんすよ。それに、本当の姿を知られて幻滅されるのが嫌っていうのもあるんじゃないすかね?」
「幻滅、かぁ」
「普通は蛇女見たら引くんすよ。二月クンが変わってるだけで」
「でも、霞さん、いい人じゃん。確かに見た目はアレだけど……」
「普通、そこまで判断できるほど話さないんすよ」
「新月さん、何を言いたいの?」
「だから、私や霞さんの本当の姿を知ってるのに、こうして何の警戒もせずに話してくれる二月クンは、貴重な存在ってことっすよ」
「貴重って、別に特別なことしてるつもりないし」
「それでいいんすよ。変に意識してもらうのもアレですし」
新月はくすくすと笑い、ドーナツを食べた。まぁ、新月の言うとおりだ。特に意識する必要もなさそうである。
「霞さん、寂しがりやさんなんすよ。なんで、仲良くしてあげてくださいね」
「うん。してあげるっていうか、オレも仲良くしたいし。霞さんとも、それに、新月さんとも」
言ってみればなんだか恥ずかしい。
「あら。それは光栄っすね。そんな褒めても何も出ないっすよ。お土産、何がいいっすか?」
「出てる出てる。いいよ、そこまでしてくれなくて。お姉ちゃんからも何か言われそうだし」
「えー。自慢してくださいよー。綺麗なお姉さんからお土産をもらった、って」
「自分で言う、それ」
新月は美人ではあるが、その言動からか、なんだか美人って気がしない。
「んじゃ、私からも質問いいっすか?」
「質問?」
新月の表情はなんだか真剣だ。一体何の話なのだろうか。
「二月クン、ジャスティスラッシュってゲーム、知ってるっすか?」
「え? ああ、知ってる。ちょっと前に全クリしたよ」
身構えて損した。今年の初めに出たステージセレクト式のアクションゲームだ。正義の味方であるジャスティスマンをプレイヤーキャラとして、怪人を倒していく、というゲーム。妙にステージギミックに力が入っており、なかなか面白いゲームではあった。
「ホントっすか!? じゃあ、ウォールコマンド、どうやって倒すんすか?」
アスレチックステージのボスだ。なぜか関西弁で喋る巨漢である。
「あれは遊具を使うと楽だよ」
「嘘!? じゃあ、ボーンコマンドは?」
墓場ステージのボス。二人一組の骸骨だ。
「あいつらはほっとくと仲間割れするから」
「嘘!? なんすか、このゲーム……」
それは皐月も思ったことだ。製作者の性格の悪さがにじみ出ている。
「じゃあ、メタルコマンダーってRPGは?」
「それはこないだクリアしたよ」
「……師匠って呼んでもいいっすか?」
「やだよ」
しかし、新月もテレビゲームをするんだなぁ。なんだか親近感が湧いた。
「攻略本、買えばいいのに。大人なんだし、気軽に買えるでしょ?」
皐月の小遣いにとって、攻略本は大きな支出となる。そのため、立ち読みのできる古本屋で目を通すか、友人が買っていたゲーム雑誌の攻略記事に頼るしかなかったのだ。流行っているゲームなら友人間で情報の共有が可能だが、マイナーなゲームだとそれも難しい。
「そんなの邪道っすよ! 自力でクリアしてからこその達成感っす!」
「でも倒し方聞いてきたじゃん」
「それはセーフ!」
新月の自分ルールはよくわからない。
適当に雑談を交わしていたら、ドーナツとコーラを平らげてしまった。ちょっと手持ち無沙汰になる。それは新月も同じようで。
「それじゃ、今日はこのへんでお開きにしましょうか」
「そうだね。ごちそうさまです」
「いえいえ。これからもよろしくお願いしますね」
新月と一緒に店から出て、駐輪場に。新月は入り口のすぐ近くに車を停めていた。白い角張ったワゴン車。やっぱり新月の車だったようだ。
「じゃあ、二月クン師匠、またよろしくっすー」
「その呼び方やめてよ」
新月は窓越しに手を振り、走り去っていった。その後を追うように、皐月も自転車で家路を辿る。
霞と仲良くしてほしい。もちろんだ。それはこちらから願っていることだし。
霞に会いたいな。花火大会のときから会ってないもんな。それには、早く宿題を終わらせてしまわないと。
皐月は気合を入れて、自転車をこぐ足を速めるのだった。
八月三十一日。時刻はちょうど十二時。ようやく宿題を終わらせることができた。鉛筆を置き、一呼吸。
弥生は夏休みの反省会と称して朝から遊びに出かけている。昼食として野菜炒めを作っていてくれていたので、レンジで温め、朝の残りの味噌汁も温める。いつもよりも少し急いで食べて、外出の準備も済ませる。戸締りをして部屋から出た後、駐輪場で千歳と出くわした。どうやら彼女は外出から帰ってきたところのようだ。
「あ、さっちゃん。こんにちは」
「ちーちゃん」
「どこか出かけるの?」
「うん。ちょっとね」
「宿題、終わった?」
「ついさっき終わったよ」
千歳はこちらがそわそわしているのに気付いたようだ。ちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「じゃあ、私、帰るね。クラス、一緒になるといいね」
「そうだね。明日からよろしく」
千歳はぺこりとお辞儀をして、階段を上っていった。さて、霞のところに急がないと。
いつもよりも自転車を飛ばして、霞のもとへと急ぐ。早く会いたいな。話したいな。
駆け足気味で階段を上り、霞のほこらに辿り着く。
「霞さんっ!」
息も整えずに呼びかける。少しの間の後、霞がほこらの影からひょっこりと顔を出した。大声に戸惑ったのか、なんだかきょとんとした表情。そして、麦わら帽子を被っている。衣装もいつもの着物ではなく、ラフなTシャツ姿だ。
「皐月? どうしたのじゃ、そのような大声を出して」
霞は嬉しそうな笑みを浮かべ、こちらへ這い寄ってくる。彼女はいつも着物姿だったので、男物のTシャツにミニスカートという組み合わせはなんだか新鮮だった。たとえそれが観光地の土産めいたダサいTシャツでも。
「あれ、霞さん、今日は着物じゃないんだ」
「うむ。ちと草引きをしておってな。これは新月からの貰い物じゃよ」
「汚れてもいい服装なんだ」
「そういうことじゃな。皐月から見て、変ではないか?」
「え? いや、別に、普通だよ」
Tシャツ、ダサいけど。
霞が今風の服を着たらどうなるだろうか。試しに朝に見た女子アナが着ていた服で想像してみると、凄く可愛かった。
「どうした、皐月?」
あ、変な顔をしてたかもしれない。
「ううん、なんでもないよ」
ちょっと恥ずかしくなって、ほこらの軒先に座る。霞も隣に座った。
「ふう。今日は風が気持ちよいのう」
「そうだね。日陰だと涼しい」
霞は帽子を脱いで、二、三回扇いだ後に、隣へ置いた。今になって気付いたのだが、髪も束ねているようだ。霞に感じた新鮮さは髪型の部分も大きいのかもしれない。と思ったら、霞は髪をほどいて、いつもの髪型に。
「霞さん、ごめんね。花火大会からこっちに来れなくて」
「構わぬ構わぬ。宿題などで忙しかったのじゃろう?」
「え、なんで知ってるの」
「新月が言っておったぞ。きっと宿題終わらなくてヒーヒー言ってるっすよー、とな」
霞は新月の声真似をしながらくすくすと笑った。正解なのがなんだか悔しい。
「学生は勉強が本分じゃろうて。……では、今日ここに来たということは、宿題が終わったのじゃな?」
「うん。ちょっと前に、やっと」
「そうかそうか。よう頑張ったのう」
霞が微笑み、頭を撫でてきた。ちょっと恥ずかしいが、まんざらでもない。
「でも、夏休みも今日までなんだ」
「ほう」
「明日から学校だよ。引っ越して、転校して、初めての学校」
「そうか。……不安かの?」
「不安じゃない、って言うと、嘘になるかな」
千歳や成美、洋一といった友人はできたが、彼らと同じクラスになるかというと話は別。転校は初めてだし、不安が付きまとっている。
「大丈夫じゃよ。皐月はわしなどとこうして仲良うしてくれておるのじゃ。学校でもきっと上手くやっていけると思うぞ」
霞が手を握ってきた。励ますかのように。霞の手はひんやりとしていて、すべすべしていた。
少しどきりとした。
そして、一つの言葉が引っかかった。
わしなどと、という言葉。
「しかし、学校に行きだしたら、ここには来にくくなるのではないか?」
「まぁ、授業もあるからね」
「それもじゃが、わしと仲良うしておるということが知れると、そなたの不利益になろうて」
不利益。
確かに、霞の言うこともわかる。蛇女と友人だということは、普通のことじゃない。それで引く人がいても不思議ではない。こちらのことを思って言ってくれているのだ。それもわかる。
だけど、引っかかる。
「……霞さん。オレと、会いたくないの?」
「……え!? い、いや、そのようなことはない! 断じてない!!」
霞は大慌てで両手と首を振る。その仕草と言葉で、ちょっとだけ安心。
「この前、言ったでしょ。霞さんは、オレの、友達だって。他の人に嫌われるからって理由で、霞さんと友達だってことをやめるなんて、オレは嫌だよ」
恥ずかしいけど、霞の目を見て、はっきりと言う。この気持ちは、絶対に誤解されたくないから。
「え、う……」
霞も恥ずかしそうにしているが、恥ずかしいのはこちらも同じだ。続ける。
「オレは、霞さんと友達だってこと、自慢できると思う。霞さん、優しいし」
次の言葉、なんだか言いにくい。だけど、思ってること、そのまま伝えないと。
「……キレイ、だし」
面と向かって綺麗だと言うのは本当に恥ずかしかった。二回は言えそうにない。
「き、綺麗、とな……」
ほら、霞も戸惑っているじゃないか。無理矢理でもいいから、話を進めないと。
「だから、オレは、霞さんに『わし“なんか”』って、言って欲しくないの! 霞さんはオレの自慢できる友達なんだからッ!」
霞の顔は真っ赤だ。多分自分も、顔、真っ赤にしてるだろうな。
「だから、約束する! 学校が始まっても、霞さんに、会いに来るって!」
指きりのつもりで、霞に小指を差し出す。霞は戸惑っているのか、その小指をじっと見つめるだけだ。約束をして欲しいから、もう一度小指を強調する。
「……ん」
霞がおずおずと小指を絡めてきた。今まで見たことのない、戸惑っているのか恥ずかしがっているのかよくわからない表情で。
「……そなたは本当に、変わっておるのう……」
霞は指きりの節に合わせて腕を振りながら、ぽつりと、しかし嬉しそうに呟いた。
皐月を見送った後、霞は大きく息を吐いた。今日は久々に刺激の強い一日であった。
あの後、お互いになんだか気まずく、普段の調子で雑談できなかった。二言三言会話しては、沈黙が訪れて、夕方までそれの繰り返し。こういう日に限って新月も来ない。
優しい。綺麗。自慢できる友達。約束。会いに来る。
皐月の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
いや、新月が来なくてよかった。新月が居たとしたら、皐月もそこまで言わなかっただろうし。言って欲しかったという訳ではないが、あんなことを言われて嫌な訳がない。
約束と言っていたときの皐月の顔。恥ずかしがりながらもきりっとした、普段とは違う表情。皐月は可愛らしい顔つき―彼は気を悪くするだろうが―なだけに、余計に印象に残る。
思い返すと、胸がきゅんとする。
「まずい……まずいのう……」
霞は大きなため息をつきながら、日が落ちるのが少しだけ早くなった空を眺めていた。
夏休みも残り二時間。皐月は宿題をランドセルに全部入れたことを確認し、蓋を閉じた。学習机の椅子にもたれて、大きくため息をつく。
「何よ、ため息なんかついて。こっちまで辛気臭くなるじゃない」
カーテン越しに弥生のからかうような声が聞こえた。
「……あのさ、お姉ちゃん」
「なァーにー?」
「お姉ちゃん、キレイって言われたら、どう思う?」
「何よ唐突に。……まぁ、相手にもよるけど、そりゃ悪い気はしないわよ。あんただって、カッコいいって言われたら悪い気しないでしょ」
「まぁ、そうだけど」
外してなかったのかな。なら安心だ。
「あんた、そんなことを言う機会があったわけ?」
弥生はによによと笑いながら、仕切りのカーテンを開けて、こちらを覗きこんでくる。霞は自慢できる友達だけど、弥生に紹介するにはまだ早いかも。
「別に。ただ聞いただけだよ」
「どーだか」
弥生はカーテンを閉めた。やっぱり言うんじゃなかったな、これ。
「さ~っちゃんがァ~女の子ォ~キレイってェ~ほ~めたァ~」
「歌うな、バカ! 言っとくけど、お姉ちゃんはキレイでもなんでもないからな!」
「あたしだってあんたに言われても嬉かないわよ!」
うん。言うんじゃなかった。
CDラジカセの時計表示が進み、夏休みが少しずつ終わりを告げようとしているのを見て、皐月はもう一度ため息をついた。
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